派遣制度って、差別制度かな? パート23

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265名無しさん@そうだ登録へいこう
政府機能というのは程度の違いはあれ、どうしても社会主義的なあり方を含有する。

昔、王の肉声が力持ち人々の心をすべて呑み込んでいた時代にあってさえ、王の権力はその私利私欲のためだけに発揮されることはなかった。
共同体の安全と存続がその最大の目的だった。
王の存在がそのすべての成員の安全と生存に役に立った。
リーダーとは常にそのような役割を背負っている。

煌びやかに着飾った貴族によって構成される武士団の活躍に変わって、標準化された装備をもつ平民出身の近代的軍隊の出現した。
長い年月の伝統を背負うことのない軍隊組織の戦闘員は、如何にせん武勇と作法においては見窄らしいことこの上ないが、軍団としての強さは古来の戦闘集団を凌駕してしまった。
このことに現代の力の卑しさの一つが起源があるような気がしないでもない。

世を統べるためには官僚主義では不十分だと言うことは異論はないだろう。
さりとて、力のバランスだけでもやはり問題が多すぎる。
そこに、論理、真理、科学技術、哲学、人々がどんなこと事を正しいとするか、どんなことを望むか、等を問う話し合い・コラボレーションの場が保たれることが必要になる。

三方面からの現実への接近のバランスが現実問題を解決するときの鍵となる。

仮に、右から左に主張がぶれる政治的なあり方でことを捉えようとしても、その事はことに関する三つのあり方の一側面に偏った味方である。
社会主義的な要素を多く取り入れたとしても、克服しなくてはならないのは右よりの勢力を抑えると言うことでなく、官僚主義および諸々の力関係に意を注がねばならないことは言うまでもない。

ウヨクとかサヨクとかアカなんてことで、済ませられる問題ではない。