派遣制度って、差別制度かな? パート22

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463名無しさん@そうだ登録へいこう
多分、ニートはその辺の埋められない溝についての本能的な違和感ともいえる知覚がある。

積極果敢には見えるけれど、まともな人間ならば引いてしまいたくなる、あまりにも、受動的な積極性。 
現実の立ち位置がどうしょうもないものであっても、そんな不自然で不完全なものには飛び越えらないのだ。

それは独立したい十全を望む人間としては、あまりにもありえない来たし方だからだ。

だから、日本の現在にニートという存在がいることにある種の望みを見いだすことができる。
少なくとも、人間でありたいという痛切な願いをそこに見ることが出来るからだ。

哀れみの対象とするのではなく、そこに民族の希望を見いだすためにも、彼らの自在に進める道が用意されなくてはならないと思っている。
彼らこそが、ひょっとして日本の希望の鍵を握っているかもしれない。

社畜であることを拒み人間になりたい、この切ない譲れない希望を叶えてあげられないものだろうか。
これは我々の未来を開くための道筋に深い水脈で密接に繋がっているように見える。