>>106 収益を出すか出さないかって、企業側の論理だ。 特定の企業なんて他の人間からは存在そのものだって問う必要もない。
能力がなければ収益出すことで精一杯で、企業という営為で人間としてどうこの社会と関わりをもつつもりであったかという根本事をいつしか忘れてしまうのだろうね。
従業員だって同じだ。 働いて稼いで生計を立てることが骨組みになるが、会社という社会との接点でどう人間として生きて行くかということに心が向かうと思われる。
普通は、ただ、金さえ入ればいいってだけを考えはしないだろう。
商品とサービスとて企業とかかわりを持つようになる社会の人々だって、単に、交換のためにかかわりを持つというのでなく、自らの世界の中での営存の中での位置づけのために広く社会との関わりを持つに至るのだ。
すべて、社会の中で自由と自在を求めての営為だ。
だから、関わるということがその根本的な要求に外れると懊悩することになる。
まさに、派遣制度が不公平に運用されてそのように世の人々の社会への関わり方を歪めてしまうことになるから問題なのだ。
>現実社会から学ばなければならないね
学びのためには、時間と金が要る。とくに、現実社会を有効に彷徨するには。
人々が、仕事なく遊ぶか長時間労働に二極化するような状態ではその目的を果たしがたい。
人々が余裕ある勤労生活を求める理由がある。
派遣労働に閉じ込められた人々の苦悩の一つはそこにある。