派遣制度って、差別制度かな? パート19

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283名無しさん@そうだ登録へいこう
人はそれぞれ独自の制約条件の下で生きている。
それは過去の選択の結果であったり、自分では選びようもなかったことの結果だったりする。

>>276は言い切るからには相応の競争できる条件を持っているのだろう。
だが、己の思いに強く縛らると、ある面で広い視野を失って不自由な思考をしてしまい自在な想像を失うこともあるだろう。
そうなると場合によっては容易に足をすくわれることにもなりかねない。
「情けは人のためならず」という(古い元々の意味で、念のため)。 そういうことも考えてみてくれ。

>>281
>派遣村見ただろ?
>パンを与えてやったら「ミルクも寄こせ」っていう恥知らずな連中だよ。

おいおい。そういう状況こそ彼らが陥っている極限の解決(援助)が必要な課題だよ。
「健康で文化的な最低限度の生活」意識が崩壊している姿だ。
人は貧しなり追い詰められていくにつれ、自分を柔らかく包んでいた生きて行く上での安全装置ともいうべきバリアが次々に剥がれていく。
職がなくなる。家族に見放される。友がいなくなる。 施設とか数々の便宜が使えなくなる。 持ち物がなくなる。 金がなくなる。
保険がなくなる。 居場所がなくなる。 干物がなくなる。  ・・・・
体力がなくなる。 身体の免疫能力が低下する。 気持ちの余裕がなくなる。
そうこうするうちに逆に生活を阻むものが増えてくる。
体の不調、 できもの、 病気、 ふけ、汚れ、 ・・・・。
人々の視線、 悪い噂、 揉め事、 事件、心の乱れ、 不安、 恐怖、 怒り、 悲しみ、 不信、 諦め、 絶望、 無気力
人はそれなりの豊かさがあるときは、人付き合い上で見っともない姿は晒さないですむ。
だが、極限状態に近づくにつれ、心を露に出すようになる。 自らを振り返る余裕がなくなって来る。
いわば病理的な精神状況に追い込まれるのは、人が純粋に精神的でありえず生物としてフィジカルな状態から逃れることができない存在だからだ。

「健康で文化的な最低限度の生活」意識を維持するのは、勿論、当人の自己責任・自助努力が必要と言える。
だが、崩壊した心で自ら崩壊した心を修復するというのはきわめて困難な作業だ。
強力な援助が必要だ。 人々の平安のために公に課せられた仕事と認識すべきじゃないか。