【Human-i】東芝日野工場 - ヒューマンアイ - part3

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969名無しさん@そうだ登録へいこう
 僕の部のある部員さんの話をしよう。
彼は34歳で、地元で生まれ育ち、ご両親とお姉さんがバリバリの活動家だった。
地元で幹部までやった。ご両親とお姉さんは数年前に引越してしまって、一軒屋の自宅に彼一人で住んでいる。
大学受験に失敗して、それが理由わからないが今まで一切活動をしてこなかった。
色々辛いことがあったのだろう、精神的に弱く、仕事も変わりがちで、今も派遣のアルバイトで、人と会話するにも萎縮してどもってしまう。
今まで歴代の部長が訪問しても会えなかった。
電気はついているのだが明らかに居留守だったこともあった。
地区婦人部長が新聞代の集金で会えるくらいだった。
活発で元気な未来部時代の彼を知る地区の高齢の壮年・婦人部の方々は現状をとても残念がっていた。

今年の春に地区婦人部長と集金で一緒に同行して彼と会うことが出来た。
その時何を話したかは覚えていないが、玄関越しで渾身で対話し、最大限に激励した。
そしてこれからも玄関を開けてくれる約束をすることが出来た。
それから毎週通い、玄関越しで様々な話をすることができ、6月には家に上がって一緒にお酒を飲むことが出来た。
朝までの語らいの中でそれまでの自らの人生の軌跡を洗いざらい話してくれた。
学会の人に心を開いて受け入れていこうと決めた理由の一つにこんなことがあったらしい。
ある日、お酒を飲んで終電を逃し、家まで歩いて帰ろうと思った。
住宅街の裏道で携帯に気を取られていて前を見ずに歩いていたら肩が誰かと当たったのだ。
それはチンピラだった。
相手は二人で因縁をつけられ、その後はサッカーボールの様に殴られ、ボコボコにされた。
「すみません、すみません」と何度謝っても殴り続けられた。
もう死ぬ、と思ったらしい、その時に心の中で咄嗟に「南無妙法蓮華経」と三回唱えたら、すっと手が離れ何事もなく彼らは去っていったのだという。
実際に鼻の骨とあばら骨を数本折られたというのだ。
970名無しさん@そうだ登録へいこう:2008/05/18(日) 01:41:42 ID:4HzYH/0P0
「学会が嫌いでした。
 学会と信仰抜きでも俺は生きていくんだ、
 と社会人になった頃から思ってました。
 でも・・・あの出来事以来・・・何か考え方が変わりました」

「一緒に題目をあげよう」と提案し、それから毎週彼の自宅で二人きりの唱題会を持つことになった。
実際に勤行もきちんと出来なかった。
数珠のかけ方も知らないほどだったとは言い過ぎではない。
仏壇の両脇の壁には信心剛情で既に亡くなっているお祖父さんとお祖母さんの写真が額縁に納まっていた。
「彼を信心で立たせてきださい。どうかお守りください。
彼は絶対幸福になります」とご本尊と祖父母に祈り続けた。
(居留守を使っていたときは)「僕は男子部の人が帰るまで両方の耳を指で塞ぎながら、じっと耐えていました・・・あの時は本当にすまみせんでした」とある日打ち明けてくれもした。
唱題が終わって御書を引用したくて「御書あるかな?」と聞いた。
「その辺りにあると思います」と(ご両親が置いていった)学会関連の書物やビデオの棚を指差した。
探してみると使い古された御書が出てきたのだ。
僕はそれを開いてこみ上げるものを感じた。
御書にはあちらこちらに線が引いてあり、ポストイットが沢山貼られていたのだ。
祖父母、両親、姉が使い込んだ形跡をはっきりと感じた。
一冊の御書に彼の家系三代の信心が染み込んでいたのだ。
僕は決意した。
「(彼の家族で)彼も漏れることなく、信心で立たせ、幸せにしてみせる」と。