【ムラ社会】沖電気八王子工場を語ろう【ブラック】

このエントリーをはてなブックマークに追加
626老師
榎本博君を悼む(その1)

4月27日に榎本氏が死亡し、通夜の席で家族からOKIセミ役員に密葬にする旨伝達され、5月6日には一般社員にも伝達された。
一般社員に対する幹部の説明はひどく異常なものであった。
会社代表取締りの死亡なのに、社葬はなく、死因も不明で、他人から聞かれたら答えてよいが、自らは他人には言うな、というのである。
事実上のかん口令である。
彼はその2-3日前まで通常勤務していたので、病死は考え辛く、事故でもないようである。
幹部の対応からして、自殺したのではないか、という疑いをもたれる状況である。
残念ながら榎本氏には自殺するに十分な理由がある。
その第1の理由は、彼の取締解任が決まっていたことにある。
沖電気半導体部門は、この10年間実質的な赤字を出し続け、篠塚社長から売却先を探すように指示された。
榎本氏はその売却先であるローム社を2008年の2月には決めていた。
6月の取締会の承認を受け、2008年10月にはOKIセミコンダクタ社が設立され榎本氏が社長になり、ローム社95%株式所有の子会社になった。
2009年3月には、ローム社佐藤社長の指示の下、社員の半分を削減する大合理化が断行された。
社員を大事にしないローム社の社風を嫌い(例えば、退職金制度がない)、退職条件がそれほど悪くなかったことから、予想以上の応募が有った。
退職引当金が膨らみ、一部社員には待ってもらう状況になった。
その後会社設立時にローム社から借り入れた120億円も底をつき、運転資金にも困るようになった。
¥5万円以上は社長決済となったのもこの頃である。
そこで榎本氏は佐藤社長に頭を下げに行ったところ、2度目の借り入れに対し佐藤氏は榎本氏を激しく叱責した。
そのときの運転資金借り入れの条件が、2010年3月期の黒字化必達であり、未達のときは引責辞任する、というものである。
結果は、売上高740億円、実質赤字30億円であった。
榎本氏が八王子恒例の桜の「花見」を、社長自ら呼びかけたのもこの頃である。
晴れ姿で皆に会う最後の機会と考えたからである。
627老師:2010/05/15(土) 06:31:12 ID:BFFaY1ql0

榎本博君を悼む(その2)

 沖電気半導体部門を買収したローム社佐藤社長には夢が有った。
2008年10月に開催されたCEATEC JAPANで披露されたローム社の新しいロゴは、赤い下地に「ロームセミコンダクタ」と白く記載されていた。
後発ゆえに落穂拾いを余儀なくされた佐藤社長の夢は、創業50周年を機にローム社を一流の半導体会社にする礎を築き上げ、後進に残すことだった。
沖電気半導体部門のを買収はその一歩になるはずであった。
しかし、沖電気八王子は彼の予想以上に腐っていた。1000億円を投じて買収し、大合理化までしたのに、OKIセミコンダクタ社は黒字化できず、借入金を増やした。
ローム社佐藤社長は、その引退のインタビュー記事で、澤村新社長に対し「経営に口を挟まない」、「半導体会社でなくても良い」とまで言っている。
その趣旨は、彼の夢実現に向けた施策がローム社に損害を与えたことに対する実質的な経営責任を認め、後進の障害にならないようにすることである。
従って、3月中旬に澤村新社長就任が決まったときに、榎本氏の解任も決まっていた。
しかも、沖電気と異なり、その後の彼のポストが用意されていなかった可能性が高い。全くのクビである。

628老師:2010/05/15(土) 06:35:01 ID:BFFaY1ql0

榎本博君を悼む(その3)

 榎本氏が自殺を考えた第2の理由は、沖電気半導体部門の売却を自ら推進し、ブラック企業と言われたローム社に売り渡してしまった事への悔悟だろう。
彼の先輩であった加茂氏は、自らの職を賭して反対し、執行役員から下ろされてしまった。
自らも売却に反対すべきではなかったか、ローム社以外の買い手は居なかっただろうか、そのような悔悟が彼を苦しめたことは想像に難くない。
親しかった知人、部下が自分のせいで退職に追い込まれ、若しくは正社員の地位を追われた。このことに対する唯一の言い訳はOKIセミコンダクタ社2010年3月期の黒字化であったはずだ。
リーマン・ショックで、彼はその言い訳さえ奪われてしまった。
 榎本氏は、小さい物事には拘らないそれなりの人物であったが、「遊び」の無い性格だった。
真面目過ぎるのである。これが第3の理由である。
彼が1952年慶応大学修了後沖電気を選んだ理由は彼の父親が既に沖電気の取締役であったことにある。
私の八王子に居た友人から聞いたところでは、彼は入社直後から出世に対し尋常でない意欲と自信を持っていた。
語学に堪能で、学業も悪くなかったようだ。従って、会社人生が彼の全てと言ってよかった。出世の終わりが人生の終わりではないはずだが、その余裕は無かったのだろう。
沖電気社長篠塚氏に選ばれ、その出世が決まった時の笑顔は、社内誌で得意満面であった。
しかし、篠塚氏の専制体制が沖電気全体に与えた悪影響は八王子工場でも蔓延していた。例えば、上司のための書類作成、文書登録が上から下まで重要な仕事になってしまい、形式主義がはびこった。
当然半導体の業績も長く低迷した。納期短縮が叫ばれているのに、他方で、長く売り上げに貢献する良い製品は出現しなかった。
技術者にとって大切な個性は無視され、待遇も業界最低に転落した。
彼は、製造業に居たのに「物作りの喜び」とか、新技術開発とかとは遠いところに居た。
629名無しさん@そうだ登録へいこう:2010/05/15(土) 09:36:12 ID:fOag0uAh0
理由はどうあれ
あの世に登録されたらおしまい
630老師:2010/05/15(土) 09:49:20 ID:BFFaY1ql0

榎本博君を悼む(その4)

聞いたところによると、榎本氏はこの1年程ほとんど笑うことが無かったようだ。顔色は優れず、十分な睡眠が取れていないように思われた。
誰もが陥ると言う、うつ病になっていた可能性もある。善く言えば、彼は「経営責任」と言う言葉の重みを身を持って感じていたに違いない。
 それが自殺で無い場合でも、榎本氏を知る者として、彼の冥福を祈りたい。
家族が密葬を希望したのはその事情を聞いている家族の意向か、若しくは榎本氏自身の遺言によるものだろう。
少なくとも自らの葬式に、自分を叱責した佐藤社長と自分に八王子売却を迫った篠塚氏が来ることは望まなかったはずだ。

追伸
OKIセミコンダクタ社では後任に岡田新社長が選任された。
しかし、新社長の下でも長年沖電気で培われたブラックな社風は変わっていないと聞いた。
ローム社の澤村新社長は、その重荷に苦しむことになるだろう。