>>30 ゲシェ・ロプサン・ワンチュク (73)
獄中にても再び『チベットの独立を証する十六の要点』と題する
冊子を作り、死刑を宣告される。だが、ダライ・ラマ法王をはじめ
とする多くの国際機関の介入により、18年の刑とされた。長期間手枷、
足枷をはめられていたため、手足が麻痺し、また拷問のため視力も
失う。1987年11月7日、ダプチ刑務所にて死亡。
ツァムラ(32)ラサ・ギャルカラン出身。
拷問で受けた損傷のため入院したが、医学生による実験手術を
受ける。1991年8月25日死亡。
シェラップ・ガワン(18)メド・ゴンカール出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。
激しい拷問を受けた挙句、手錠をされたまま独房に3日間入れられた。
以後、記憶がちぐはぐになり、言動がおかしくなる。1995年2月2日、
刑期を終え、釈放。入院したものの、同年4月17日死亡。拷問が原因
で死亡した最年少の政治犯。
ワンドゥ(26)シガツェ・シェトモン出身、タシルンポ寺の僧侶
1995年、中国人の工作隊が寺に来て、ダライラマ法王が認めた12世
パンチェン・ラマを非難するように強制する。1995年6月24日、非難
することに耐えられず、自ら死を選ぶ。
ダワ・ツェリン(28)ラサ出身。
拷問による後遺症のため、背中が曲がり、まっすぐ立つことができ
なくなる。病院に入院。五年後の1995年8月19日、退院することなく死亡。
プルブ・ツェリン(36)ラサ・ダナクショ出身
武装警官隊に鉄パイプでめった打ちされる。頭蓋骨損傷を受け、
意識不明になる。手術を受け、4ヵ月間入院。その後自宅に戻ったが、
半身不随になり、度々全身痙攣を起しす。回復することなく、
1996年2月7日、死亡。