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食いだおれさん:
朝鮮大阪のいわれ
大阪は淀川の賜物 むかし、大阪湾は今の寝屋川市付近にまで食い込み、
大阪市の大半は海の底だった。その海に、淀川が大量の土砂を流し込み、
今日の大阪平野が形成された。
しかし、そこはこのような成り立ちのゆえに、長い間人間の住みにくい一面の低湿地となっていた。
その開発は、土木技術の進んだ朝鮮半島の人々がたくさんこの土地へやってきたことで、本格的に始まった。
そのころ朝鮮半島にあった百済(くだら)、新羅(しらぎ)、
伽耶(かや)諸国、高句麗(こうくり)といった国々から新天地を求めて九州に上陸した渡来人のかなりの部分が、
さらに瀬戸内海を東にすすみ、当時難波津(なにわづ)と呼ばれた大阪に上陸したのである。