中国産の割り箸やべえよ発ガン性イパーイ

このエントリーをはてなブックマークに追加
52食いだおれさん

<<人肉を食へて出世>>
事件の一端が明らかになったのは、中国・広西省武宣県である。ここだけで「殺され、迫害によって
死んだ人間は524人、その内、食われた者は百数十人。武宣県の食人者は推定1万〜2万人にのぼる」。
ここでは上からの犠牲者割り当てに応じて、走資派や実権派をデツチ上げ、「まず批判闘争宣言があ
り、糾弾集会を行い、その後、人間を殺して、生きているままに人肉を削ぎ、生きている人間が絶命
すると、人間の心臓、肝臓、胆嚢、腎臓、胸肉、骨髄、太もも、足、筋、・・人間の骨肉を切り取り、
削ぎ取って、それを煮たり、揚げたり、炒めたり、そして酒にゆっくりと漬けたりして、さまざまな
調理方法で、豊かな献立にしたのである。また<人肉宴会>では酒を飲み、杯を交わし、論功行賞を
した。」、「こうして食人の嵐がうずを巻き、集会があるごとに闘争があり、闘争があるごとに死者
が出て、死者が出れば、かならず食われ、惨劇が繰り広げられたのだ」。例えば、1968年7月1目、
武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は同中学の教室で開かれた批判糾弾大会に引きずり出され、棍棒で殴
り殺され、生徒から教師達までが副校長の人肉を切り取って、大々的に食べられた。頭は殴られ、真
っ黒にはれ上がり、大腿骨とすね、そして手の肉は全部、切り取られ、肝、心臓、性器もすべてとら
れ、胸部は空っぼで、はらわたも流れ出していた。そして学校の食堂や廊下、区役所の炊事場で、教
員宿舎や女子学生宿舎で人肉を煮たり、焼いたりして人肉料理の宴会が行われたのである。女子民兵
・王文留は、「人肉を食べたことによって、共産党から認められ、だんだんと地位が上がり、最終的
には武宣県革命委員会の副主任になった。彼らは人殺しから出世しただけではなくて、人間を食って
出世した」のである。