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名無しさん夏休みの宿題:
【000001】
興隆期(その2)95年の出来事
第2回九州大会には、前日から佐賀RBWの方々と会場に設営等の準備のため入りました。
サルートはトーチカ(土嚢積み)設営を主に手伝いました。
驚くことに、半日で残り全ての設備をなんとか完成させることが完成させることが出来ました。
Y氏をはじめとする佐賀RBWの方々の努力には頭がさがりました。
ところで大会開催日の朝、困ったことが発生しました。
それは大会運営部にチームリーダーを登録せねばならなく」なったことです。
旧来サルートには絶対チームリーダーを置かない方針があったので、これに反するためです。
それではRBWに迷惑をかけるので、急遽メンバーのなかで一番年長である上に、◯◯という
社会的責任ある職業に就いているので問題はないだろうということでK氏にリーダーにリーダー
になってもらうことにしました。
さて大会の内容ですが、1チーム40名超えるゲームに慣れてなかったためと、大会のお手伝い
で右往左往しているうちに終わったという感じでした。
大会中の天候は良好でしたが、ただ季節はずれ台風が接近していたので2日目は風が強く大量の
埃とバイオBB弾によって銃の故障が続発し、大会が終わるころには稼動する銃がチームで皆無
という状態となり最後の総当りゲームには参加せず久留米に帰りました。
その後の銃の修理には大変苦労したようでF氏、S氏の努力には感謝!!
総括としてこの大会のおかげで福岡県のサバイバルゲーム界が活発になり、船小屋に来られる
チームが増えて良かったものと思います。
ただ、この規模の大会が九州で行われたのがこれが最後だったのは、大変残念に思います。
この時期チーム規則を不文律だったものを成文化し、且つ九州大会用の臨時のものであった
リーダー役を正式なものとし、仮代表であったF氏からK氏へバトンタッチされた。
メンバーも10名を超え順風満帆であるように見えたサルートですが、更にメンバーを増やす
派と現状維持派とで装備統一の面で小さな亀裂が生じたのはこの年の忘年会の時でした。
結局K氏は仲裁出来ずS氏を含め数名離脱の原因となった事件でした。
・・・以上が、古田氏の一方的な主観に基づいで開設していたHPの内容でした。
最後の章、つまり>氏を含め数名離脱の原因となった事件←これをアピールしたかったために
古田氏はわざわざHPをこさえておったという訳です。