ゲームにおける新たな概念「ナラティブ」を語るスレ2
ゲームにおける新たな概念「ナラティブ」を語るスレ
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1384788518/ 1 名前:ゲーム好き名無しさん[] 投稿日:2013/11/19(火) 00:28:38.17 ID:4CTGblqu0 [1/2]
“ナラティブ(narrative)”という言葉を知っている人は、それほど多くはないだろう。
“ストーリー”と“ナラティブ”は、日本語ではどちらも“物語”と翻訳されてしまうため、
その違いが見えにくいところがある。
だが現在、海外のゲーム業界では“ストーリー”に代わる概念として、大いに注目を集めている。
世界中のゲームデザイナーが集まる“ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス(GDC)”では、
毎年優秀なゲームに賞を与えているが、2012年からは“最優秀脚本賞(Best Writing)”がなくなり、
“最優秀ナラティブ賞(Best Narrative)”に名称が変更されたほどだ。
2 名前:ゲーム好き名無しさん[] 投稿日:2013/11/19(火) 00:30:22.05 ID:4CTGblqu0 [2/2]
海外で“ナラティブ”だと高評価を受けている、2つのゲームがある。
1つは日本でも注目を集めた『風ノ旅ビト』だ。
このゲームにはセリフもなく、主人公の“旅ビト”が何者なのかも明確には語られないのに、
わずか数時間のプレイを通して、非常に壮大な旅をしたような感覚を得ることができる。
もう1つは『FTL:ファスター・ザン・ライト(FTL: Faster Than Light)』というインディーズゲームだ。
これは宇宙船どうしの戦闘を描いたゲームだが、敵の攻撃によって船内で火災が発生したり、
敵が船内に突撃してきて乗組員が殺されたりといった、ゲーム中で起こる事件の大半は、
ランダムに発生するものだという。そうしたランダムゆえに味わえる濃密な体験を、
海外では“ナラティブ”だと評されているという。
だが、ランダムゆえの濃密な体験を表現したゲームなら、すでに日本にも存在する。
『風来のシレン』に代表される「不思議のダンジョン」シリーズだ。
「不思議のダンジョン」シリーズは、ストーリー自体は存在するものの、
それ以上にランダム生成されるダンジョンで繰り広げられるプレイヤー各自の
悲喜こもごもなプレイの思い出が、強烈な体験として記憶されている。
続きはこっちで・・・
主人公はその世界の住人だけどプレイヤーは外の世界の住人
主人公として中の目線をプレイヤーの外の世界の目線で見る
>スパイに金を渡して味方にしたら?一緒にコンビ組んで芸人デビューしたら?
そんな欲求は起こらない
ゲーム側のプレイヤーにやってもらいたい事、やらなければいけない事
それに対する反例だから
プレイヤーにスパイを目の前通して気がつかないで進む
と言う筋書きに対して
気がついたらどうする?
と言う気がつかないという強制の解除
それで、無理やり気づかないふり、「やらされてる」部分を解除
気がついたらどうなの?
こうなる
元はと言えば作者の作ったストーリーに対する裏づけだから
作者が言い出さなきゃ始まらない
作者が光る石を取れといったら、そうでない場合も当然存在する
でも、作者が「スパイに金を渡して味方にしたら?」「一緒にコンビ組んで芸人デビューしたら? 」
と言う選択を「言い出す」ならそういう選択も出て来る
プレイヤーは興味津々でその選択を試そうとする
前
>>1000 主人公は単なる操作対象であってイコールじゃない
物語というなら主人公も参加するはずだ
数ある登場人物のうち1人だけ得てない知識を知っていて最適にしか行動しなかったらおかしくなる
下に関しては
スパイを斬り殺すのは強制されたことじゃない
>>4 スパイに金を渡するのは金を渡さないという強制の解除だな
ゲームはプレイヤーを選べないからそんな欲求起こらないとは言えない
スパイの容姿に惚れて敵対したくなくなるかも
主人公はプレイヤーだから特殊な位置にいる
もちろん参加もできる
ただ、プレイヤーは知ってる事を主人公は知らないふりをする
物語はゲームと言う本の発しているものだと考えたら
プレイヤーは主人公を使って本を読んでいるだけ
何をいいたいのかを
単にゲームの発する物語は、そこにいるのはスパイですよ
と言ってるだけなので
そのスパイを捕まえた場合、そのスパイを知らなかった事にした場合
どういう展開するのか
読み物としてみれば分かる
これはこういうものなのか、と
スパイの容姿に惚れて敵対するのはいやなら態度で示したらいい
それがゲーム
どういう行動をとるか決めれる
それこそ、スパイを殺さなきゃいけない時、頑なに拒もうとする
すると作者としては特別な事すれば拒めるルートもきちんと作って
それで解決
仮に殺すしかなかったとしてもそれはそれでストーリー
色々試してみたけど、殺す事になるんだなって十二分に読者に伝えられる
プレイヤーは何も試す事は出来ないけど、プレイヤーの次する事は決まっていてプレイヤーの判断や気持ちと無関係に
勝手に主人公はスパイを殺すって言うのはだめ
それは殺す事になると言うストーリーを何の説明もしないで強制してるから
>>8 スパイがいることだけじゃ物語じゃない
それを捕まえたり見逃して罠にかかって物語じゃないか
そのなかで主人公がゲーム世界の住民にあるまじき存在なら変になるだろう
少なくとも世界設定は崩壊する
>>9-10 それだと無限の分岐になるだろう
芸人として成功しそうな顔だったら?
>>11 プレイヤーがスパイに惚れてもゲームシステム上殺すしかなかったから殺したもプレイヤーの判断だろう
とりあえずゲームを投げだすという選択肢は選ばなかった
主人公はプレイヤーと違って別に惚れず殺すと判断したというストーリーになる
そしてプレイヤー視点なら主人公と自分の考えが相違したという物語の体験だ
>スパイがいることだけじゃ物語じゃない
それを「捕まえた場合」「見逃して罠にかかった場合」こうなるのか〜
それが物語
プレイヤーは主人公の立場として行動するから問題ない
主人公の知ってる事とプレイヤーの知ってる事は別でもプレイヤーはその主人公と言う人物として振舞うから問題ない
その時、主人公の知らないはずの事をしたらフォローすればいい
「この人スパイだったんだ」と周囲の登場人物は驚けばストーリーの一部に溶け込む
NPCが色々それらしそうに見えるもっともな理由や態度をとればいい
さも今知ったかのような白々しい態度でもOK
知ってるはずの無い事、知ってるべき事、整合性と理屈を整えるようにフォローする
>それだと無限の分岐になるだろう
そうならない
作った人の用意したストーリーに対するYESorNOだから
開発者(ゲーム側のシナリオ)が行使なさいと発言しない限りそれに反対する要求は出ない
ゲーム側がそういうシナリオを突きつけてきたなら別(芸人として〜)
プレイヤーはその中で出来る事で器用に自分のしたい事を表現する
ゲームのシナリオ側が「殺しなさい」と言えば、それに反した行動と言う態度をとろうとする
それで逆らえるのか?それでも逆らえない事を発見するのか
元祖壊レコと本家壊レコの争いか
もっとやれ
ゲームはおもちゃでナラティブはおもちゃで遊んだ体験だ
主人公の行動の必然性を細かく説明するゲームのプレイはその体験の1つにすぎない
プレイヤーが脚本家の書いたものを覚えてなくたって素晴らしい体験ができればそれでいい
おもちゃで遊んだ素晴らしい体験のためにこそそう作らないと
遊べない
多少でも強制感残ると体験になるはずだったものは、強制になる
ただやらされてるだけ
だから簡単に言えばその「体験」こそ脚本家の書いた「脚本」
どうするとどうなるか?で構成されている脚本
>>14 フォローになってないだろ
知らないことを知っているのがおかしいんだ周りがどう反応しようが関係ない
主人公に時間遡行者や予知能力者だったという設定を後付けしなければならない
下はゲームはプレイヤーを選べないともう一度
>>17-19 スパイを仲間にするという選択肢がなくてもスパイとの戦闘を楽しめばいいだろ
戦闘の最初に出す技やダメージ値まで事細かに脚本家が書いてるとでも言うのか?
そもそも脚本に乗っているという時点で強制以外の何でもないんだよな
石を取らなきゃ死ぬ話で石を取らなきゃ死ぬのはどんな裏付けがあろうと脚本家がそう定めたから以上にはならない
石を取らなくても死なないパターンとその裏付けを用意しなかった脚本家に強制されてる
全然おかしいとは感じないけど
プレイヤーは知ってる主人公は知らない
プレイヤーは知ってるけど主人公は知らない事をする
主人公は知らないけどこういう行動をとった→周囲はそのまんまの反応をする
下はプレイヤーは別に自分の意思は持っているけど勝手な事している訳ではない
開発者の指示に対して行動を決めてる
開発者のスパイを殺しにいきなさい
それに対して逆らってみるかどうか
開発側は何もいってないのに芸人になろうとは誰も感じない
でも、開発者側がゲームを通して芸人になれと言えばなるかどうか考え始める
ここではスパイと戦うのを頑なに避けようとする事はできるかどうか
ストーリー「スパイを殺すんだな」
ではそうしなければいけない根拠は?
避けられる?
そういう部分
主人公がスパイだという根拠が全くないうちにスパイだとわかったらおかしいだろ
分かる根拠はと言われたら一度このゲームのEDまで行ってこいつがスパイだってからとしか言えない
>開発側は何もいってないのに芸人になろうとは誰も感じない
芸人向きの顔だと誰かが思ったらどうするんだ?
プレイヤーが何を思うかなんて制御できないぞ
ちょっと違った
主人公(=プレイヤー)は知ってる
けれど周囲の人は主人公は知らないと思ってる事をやってのけた
その反応
または、主人公は知らないはずだけどそれをやってのけたという結果
それで十分
芸人向きの顔だなと思っても芸人向きの顔だなと思うだけでそこで芸人にしようとする行動をとろうとするような人はいない
裏づけと言うのは必ず二人称に対する強制の裏づけだから
二人称とは開発者からみたプレイヤー
プレイヤーにこの光る石を取れと命じた場合は何でとらなきゃいけないの?
とらないとどうなるの?
と言う反発は出てきて当たり前
でもプレイヤーの勝手にこの人芸人向きの顔だなと思ってもそれは勝手に思ってるだけで
芸人に育てられないからと言って不自由を感じたりはしない
どうしてもスパイだと分かると言う手順を踏みたいなら、スパイだと分かる手順を踏んでから出ないと正体を見破れないようにすればいい
でも正体を見破る手順は既に知ってる
>>24 主人公がスパイを根拠なしに見破るわけだ
破綻した物語だな
>>25 ただの決めつけ
なんで芸人に育てちゃいけないの?
育てたらどうなるの?
>>26 プレイヤーは知ってるのに主人公が見破れないよう強制するのか
つまり主人公≠プレイヤーでいいんだな
破綻した展開を許すような物語はバカバカしいと思われる
どんなに主人公以外の説明を丁寧にしようがバカバカしいのだからだれも興味を持たない
破綻してない、むしろ見破ったかどうかはさて置いてスパイに見破ると言う行為を出来ない方が破綻してる
本当はスパイだと言うのにそれを無い事にしてて
主人公がスパイだと見破るのに理由なんて幾らでも作れる
単に直感でもいい
主人公は兎に角、スパイを見破った
それに対して、それに沿った結果や結末をたどった
何も破綻していない
例えば、実在の芸人に似てるキャラ登場したとしても
プレイヤーはそ芸人に芸人に育てられない事を不自由に感じたりしない
横の友達とこの人物は誰に似てるといいながら笑い合っても
でも次にする事をゲーム側に決められたらそれに反した行動やそれた行動は出来ないのは不自由に感じる
主人公はプレイヤーの考えで行動してるんだから主人公=プレイヤーでいい
で、主人公=プレイヤーは必要な要素をそろえてスパイを知ったと言う状態にする
何もおかしいところは無い
必要なのは主人公=プレイヤーは見破ったと言う行動の部分と
見破った場合こうなると言うそれに対する結果結論
どう見破ったのかは必要ではない
直感でもいい、分からないけど適当にやったらそうなっただけでも良いし
事実どおりもともと知っていたでもいい
事実関係はその人物はスパイで、それを見破っているという部分で
行動に対する結果さえ作られていればなんも矛盾はしない
単に主人公はふざけて味方に切りつけたらスパイだったでもいい
仮に霊的な力で時間を何度も戻して体験しててもそれを表に出して説明する必要性は無い
むしろプレイヤーは知ってるのにそれを試そうとしても作られていない方の方が破綻してるしおかしい
主人公の状態にばかり目をつけるけど
大事な部分は主人公のとった行動とその結果の整合性
主人公ははっきり言ってプレイヤー自身なんだから何を知っててもいい
主人公=プレイヤー何だから主人公の知ってる事をプレイヤー知ってても何も問題無い
プレイヤーが主人公そのままのゲームなんてないよ
主人公はあなたです、と言われても最初から役割与えられてるだろ
その役割から逸脱は出来ない
目的や役目与えられてもそれについでどう考えるのか?どうするのか?思考するのはプレイヤーそのものだから主人公=プレイヤー
プレイヤーは主人公そのものとして物を見て物を考える(られるように作る)
そのためにはプレイヤーの考えるべき部分を奪ってはだめ
主人公の役目は、光る石を拾う事だけどもしも「光る石をとる」と言う役割何だから四の五の考えずとるしかない
と言えばその行動はプレイヤーの考えではないから主人公はプレイヤーでは無い
むしろプレイヤーは主人公を動かす為にゲームに命じられてるお使い
もしも「光る石をとる」と言う役割の時、そこにプレイヤーの考えをはさむとどうなるかと言うと
ゲーム側からは「光る石をとる」と言う役割を推奨されている
でも、どうするか考えてどうするかを決めるのは主人公=プレイヤー
だから具体的にどうなるかと言うと
「光る石をとる」と言う役割を自分からしたい時だけ光る石をとる
「光る石をとらない」と言う行動ものその一つだし
自分から「光る石をとる」と言う事を発見して試すのもそう
作ってる側から見ればプレイヤーの自分から「光る石をとる」という行動をするまで待つ
命令しないでその気になるまで、またはその気になるようにそそのかす
製作者としては主人公に塔に向かってもらいたい
そこで、プレイヤーは自由選択をして自然に塔に向かうようにするようにする
そういうのを省いたら、次いける場所は塔しかないんだから、さっさとゲームは塔に登れと言ってるんだから
いったとおりにゲームの指示どおり塔を登れ、ゲーム側のいった事をいったやり方でしろ
になる
「塔を登れ」と命じてそれしか行動できなかったとしても「何でそんな事自分はしてるのか?」も分からずそれをやってる
いやいや命令されているからそれをやっていやいやそれしか出来ないからそういう行動をとる
それならプレイヤーと言う存在はゲームにとって完全に不要になる
プレイヤーの自分の感覚で気になった事
やりたい事をやる
それに対してゲームはどういう答えを用意するのか
そういう関係は大事
そうでない関係とは
プレイヤーはそれをやる気にもやりたい気にもなってないのに
興味も無いのに
次に進む場所は示されていてそれしかする事は許されない
ゲームの主人公にとっては一大事でもプレイヤーにとっては他人事だったり
かと言って同情を誘うと、ゲームの強いた導線を辿ってるなんて言われる
その解決策として洋ゲの多くは、プレイヤー自身にも関わる現実の問題を
善悪のわかりやすい構図を使わずに描きたがるって面もある気がする
物語に感動を求める人にとってはそれが仇となって
洋ゲの物語は微妙なんて言われたりもする
まあ海外でもそういうのに不満持ってる奴もいるんだろうけど
ラスアスやウォーキングデッドのADVみたいなのが
まるで今までの洋ゲの風潮には飽きたと言わんばかりの支持受けたりするし
一周回ってむしろ日本的な物語の描き方が受ける空気になってる気がする
GTA5とかも結構カットシーン多用して感情に訴える内容だったし
洋ゲ的なのも好きだけどな
もう少し受動的に、用意されたショーを楽しみたいプレイヤーが多いってことなんだろう
43 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/12(土) 10:05:39.43 ID:gchlN8Kgi
主人公が喋ろうが喋るまいが、固定キャラだろうがカスタマイズできようが、
現実とは別の舞台で振る舞うんだから、どれだけ物語に没入できようが、どこまでいっても所詮、他人事の話だよ。
GTA4はニコという固定キャラ、Saints Rowsはカスタマイズキャラだけど、プレイ感覚は変わらないし、
Saints Row2はシリアスなストーリー、Saints Row3はどこまでも突き抜けたバカストーリーだけど、
ストーリーのツボや好みもあっても、いわゆる自分の体験にはならんよね。
ややスレ違いだが、日米の物語の嗜好の違いは能動受動の違いというより
、西洋=「白か黒」の文化、東洋=「昨日の敵は今日の敵」の文化という面が強い。
マーヴルの漫画で敵だったキャラがこちらの味方になることは少ないが、
ジャンプの漫画や西遊記でも倒した敵が味方になることが多いだろ。
ガンパレ絢爛ガンオケエヴァ2
芝ゲーはだいたい早すぎたナラティブだな
和洋の差は、父性優位か母性優位か、ってのも感じたりするな
洋ゲの舞台って、暴力が支配する戦場や世紀末世界とか
開拓時代や砂漠や極寒の地とかの厳しい大自然とか
サバイバルするタフさを強調するものが多い
日本だと、優しさとか癒しとかが強調されてるの多い気がする
女性の描かれ方もそうだし
ナラティヴって言葉、文芸評論とかでたまに目にするな
でも日本じゃこういうまともな評論とか分析とかはゲーム対象じゃ盛り上がらないと思うよ
作ってる側も客もそういう文化があんまりない
映画や小説に比べてまともに批評・評論されない理由としては
あるソフトを語る為に必要なプレー時間が長すぎるのと、ソフトが少し高いのが考えられる
たぶん海外にも、母性的なものを求めてる奴は多いんだと思う
マザーってRPGあったが、
あれもその名の通り母性をゲームシステムで表現したゲームだったが
マザーの生みの親の人が、
アメリカにもマッチョな奴ばかりじゃなくこういうの好きな奴は大勢いるって
あっちのファンに言われたとか
ICOとかもあっちに熱烈なファンいたりするし、その辺日本の強みな気がする
>>43 だからこそ
現実の問題を、ゲーム側の恣意的な感情の盛り上げや
テーマの過剰な説明を押さえて表現するものが多いんじゃないかって気がする
物語の動機を、ゲーム側が用意せず、画面のこっち側のプレイヤー側に用意させようとする
映画的な物語を望む人にとっては、なんだか盛り上がりのない物語って思われることも多いけど
どこまでいってもプレイヤー自身のリアルな体験とは違うってのはその通りだな
物語は本質的にそうあるためのもので、物語な以上そこが限界な気がする
51 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/12(土) 16:31:34.04 ID:oYm3PhCDO
>>46 そうかなあ?
最近のアニメやゲームでも
暴力女は多いし女自体が戦艦だったりで
そんな感じはしないけどな
むしろ強さを求められてる感ある
女性を理想像的に描くこと多い気するけどな
53 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/12(土) 16:52:07.30 ID:oYm3PhCDO
54 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/12(土) 16:54:10.47 ID:oYm3PhCDO
戦場だの世紀末だのは
単にそういう設定でしかゲーム作れないだけなんじゃないの
一番単純で簡単なネタだからな
55 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/12(土) 16:55:33.60 ID:oYm3PhCDO
マザーのシステムって母性か?
基本ドラクエと同じじゃね?
どの辺りに母性が含まれてるの?
>>53 和が
洋も理想像なんだろうけど
日本だともう少し偶像的なニュアンス強い気がする
>>55 エイトメロディーズは教会の賛美歌で
2のパワースポットもそうだけど
辛い現実の一時の避難地的なものじゃね
洋だと、辛い現実でサバイブする感じが日本より強い気がする
59 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/12(土) 17:35:45.35 ID:CPORUZbO0
そこは社会や世相を反映してるんじゃない?
GTA4で東欧人が移民としてアメリカで生きていく大変さ、なんて日本人は知識として知っていたとしてもピンとはこないだろ。
主人公が中国・韓国系の密入国者で新宿を拠点にしたクライムアクションをセガあたりが作ったとしても売れなさそう。
そういうリアルなのより、Vシネマみたいな世界観のほうがウケるんだろ。
60 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/12(土) 17:44:02.72 ID:CPORUZbO0
それ以前に、実際は洋ゲーでも国産ゲームみたいな世界観はあるけど、
洋ゲーをやる層は年齢層が高くて、シリアスな内容を好むから、そういう洋ゲーばかり認知されてるだけってことはない?
61 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/12(土) 18:22:19.26 ID:oYm3PhCDO
>>58 それは和洋じゃなくジャンルの違いじゃね
和ゲーでもSTGなんかだと絶望的な状況から始まるストーリーは基本みたいなものだしな
ほとんど勝ち目のない戦い、とか
たとえ勝てても自分は死ぬ、みたいな設定ばっかり
東洋は女性を理想像的に描いたりする事多いけど母性とは違うよね
西洋ドラマの「人間は感情を持ってるんだ、ロボットや爬虫類や宇宙人とは違う」的なノリの人間愛大好きなノリの方がむしろ母性に見える
東洋の女を描いた作品群は実際の女性とかけ離れたもの多い気する
命がけで戦ったりする女とか
63 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/12(土) 19:00:20.73 ID:oYm3PhCDO
まあどっちにしろ
その辺は和洋関係なく作品個別の差だな
まさか次スレが立ってるとは
東洋作品での女はどこか脚色されてて憧れの対象みたいな描かれ方する事多いよ
女はこんなに美しいんだ見たいな
どっちかってと母性を欲しかったけど母性を得られなかった少年からの視点って感じだけど
同じジャンルでもそういう傾向の差を感じるけどな
日本っつーかオタが母性望んでるって話かもな
エヴァでも言ってたし
ゲームでいうとゼノギアスとかもか
あれも少年が母性を求めて、女性をその願望から解放するって話だったな
向こうは「母親?愛してるよそりゃ、当たり前だろ?」
って価値観だしなぁ
わざわざ求めるコトもない
宗教も一種の母性かもな
日本だと宗教と言ってもイメージ悪かったり、ピンとこなかったりするけど
マザー2で祈りコマンド持つポーラが怪しい新興宗教に捕まってて
祈りでラスボス倒すってのは、そういうメタかもな
ゼノギアスでもそういう話あったな
教会に裏切られて、父親のおかげで自分の内に宗教見出すってエピソードがあった気がする
ゼノギアスはエピソードの全てが、まさに父性と母性の物語だった
>>43 主人公に感情移入しない方が自分の体験になる
「感情移入をする」=「自分とは別人に対して共感する」
そんなキャラと言うものは存在しないいるのは自分(プレイヤー)だけ、自分だけが何かをやっている
そう考えると、自分の体験になる
主人公キャラと言うものを存在しない事にする
自分の受けた問題として、その物事を自分で取り組む
それは自分の体験
1+1=?と質問されてそれをとこうと思っているのは自分の訳で
それを体験しているのは自分以外の何者でもない
それを体験する対象物と言うものが出てきて感情移入しなきゃいけないなら別人になる
>>50 映画的な展開でも
ゲームの映画的な展開と言うのと、映画の一部分を操作できる事でゲームと言ってるのと違う
ゲームの映画的な展開はプレイヤー自身を映画のなかで体験したいと望んでるようなプレイヤーにこそ望まれている
それをなかなかできないからの乖離で
映画の一部分を操作できるようにしたゲームと言うのは、映画の大筋のプレイヤーに動ける権利を譲ってやっても良い部分をプレイヤーに操作権渡す
例えば、ストーリーは地点@から地点Aまで向かう事は映画的ストーリーで決まっている
だからその途中にいる敵を倒す事に関してはプレイヤーに操作する権利を譲渡する
とか、ストーリーは決まっていて次はこの仕掛けを発動する事になっている、プレイヤーにその仕掛けを発動する権利を譲渡しよう、とか
ゲームの映画的な展開と言うのはゲーム的
実際にプレイヤーが映画の中に入った場合の展開を想定して作る
映画ではこの場面でこのキャラはどじな事をして殺された
では、プレイヤーだったら別の行動をするのか?どうか
別の行動をしたら何か変るのか?
プレイヤーのそれぞれのした行動に結果としての映画的展開が用意されている
映画の世界を自分でプレイしたら必ず各その場面場面でのifになると思います
各行動のifにそれぞれ映画的演出をつける
それを映画一本道の途中を操作するだけって感じにするから映画的=強制になる
プレイヤーの自発的にした行動=プレイヤー自身の体験
映画の世界の中で自発的に試してみた行動とその結果
算数の問題を解いているその体験は自分の体験
今言うところの映画的ゲームの自分だったらこんな事しない
そこから始まる
本当に?じゃ自分の思う事やってみれば?
それに対してつけられる映画的演出や結末
自分だったらそんな事しない
それに対してそのしなかった場合につけられる結末とそれの映画的演出
それで映画の中に本当にいて映画の中で活動しているプレイヤーは出来上がる
ストーリーを展開する時ゲームと言うツールを使ってストーリーを展開するか
ストーリーはゲームとは無関係でプレイヤーと無関係かの違い
なんでこんな事を理解できないのかそっちの方こそ謎
要するにプレイヤーのやった事で展開するストーリーか
プレイヤーは何をやってもストーリーとは別の場所にいて、それとは別に用意されたプレイヤーのやれる事だけをやらされているか
カスタマイズとか全然関係ないから
自分でキャラの顔や性格をカスタマイズとかTPS視点で一人称と一致とか好きなミッションを自由に選択できるとか一切関係ないから
そういう部分とは無関係
自分のやった事はきちんとゲームと一体化してるかどうか
75 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/13(日) 05:51:57.75 ID:sTDrxsxq0
ゼノギアスって面白かった記憶があるけど、ストーリーはちっとも覚えてないな。
エヴァがあんな感じで終わったので、ゼノギアスに話の解決を求めただけであって、
ゼノギアス単体にははまってなかったのかも知れない。
一方で、20年近く経った今も、こう語られるってことは、その人にとって感じるところが強かった、
このスレ的に言えば、その人にとってはゼノギアスを通してナラティブな体験を得たってことになるのかしら?
76 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/13(日) 06:03:43.94 ID:sTDrxsxq0
ビデオゲームの面白さって突き詰めると、操作できることと、それに対する反応を楽しむこと、ってことに尽きる。
ストーリーを楽しむのもその反応のひとつだ。
プレイヤーの動機と、ゲームキャラの動機は一致しない、と岩崎は言ってるが、これに何の問題があるかわからない。
ゲームを通してストーリーを知りたいというプレイヤーの動機がある一方で、
ゲームキャラの動機はストーリーをプレイヤーに伝えるための手段だ。
ゼノギアスは
>>1でいうところのナラティブなゲームから最も遠いゲームデザインだけど、
ゲームを通して物語を知り、プレイヤーごとに感じ方・受け止め方が違うわけだから、十分、ナラティブという話だな。
77 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/13(日) 06:13:31.55 ID:sTDrxsxq0
ナラティブの話でドラクエが例にあがって、メルセデスメソッドだから楽しいみたいな説明が混同して紹介されてるから、
ナラティブの意味も漠然として、訳のわからないものになってるんだよな。
メルセデスメソッドは謎解きを提示する手段に過ぎないのに、だからドラクエは面白い・ナラティブを感じるみたいな。
ヒントの与え方、提示の仕方がドラクエはうまいだけであって、ナラティブだとかは関係のない話だ。
>ストーリーはちっとも覚えてない
=ナラティブの弱いゲームって事になるけど
ベンツの形のメソッドはナラティブにおいて重要な役割を果してる
ストーリーとして強制された道をたどったのと自分で歩いた事でストーリーを知るのと
プレイヤーごとに感じ方・受け止め方が違うと言うのは結果でどちらかと言うと同じストーリーを伝えられる技術をさしてナラティブと言ってる
次はここにいってこれをとりなさい、その次はここでこれをとりなさい
と言うのをさして現代的なストーリー展開
ここに行けばこれを手に入れられる、ここに行けばこれを手に入れられる、自分の考えで自分の足でそれを展開しなさい
と言うのをさして、自分の経験の物語
なんとなく言葉だけ聞いて
いわゆる雰囲気ゲーがナラティブだと思ってたけど、不思議のダンジョン系もそうなのか
自分だけの体験、経験、物語になればいいのか
(何か最近あちこちでマザーをやたら誉める書き込みが多くて不気味…。
糸井さんネットワークの方達かしら)
糸井さんネットワークってなんだよww
プレイヤーキャラとプレイヤーは同じじゃないのに
なぜ現実では自分は自分なの?
本当は俺たちも
この自分というプレイヤーキャラを操作しているプレイヤーなはずでしょ?
主体感や没入感や意志や自分性や現実って何?
>>82 そもそもプレイヤーキャラなんて存在しない
いるのはプレイヤーだけ
算数の問題を出されてそれをといているのは回答者
ゲームと言う問題を出されてそれをといているのもプレイヤー
プレイヤーキャラを操作して壁にかかった時計をいじってみようとするのは単にプレイヤーが壁にかかった時計を気になっていじろうとしてるだけで
そこにプレイヤーキャラとプレイヤーとは違う人格を持った一人の人間は存在しない
全部それらはプレイヤーの体の一部で、プレイヤーの指とか手足と同じ
プレイヤーの気になった箇所を調べるプレイヤーの体の一部
プレイヤーの行きたい場所に動かすプレイヤーの体の一部
キャラの設定が、スパイなら
スパイが当然できることが、プレイヤー自身の肉体ができなくても
ゲーム内ではできなくてはダメだろ
あるいはステータス表示から、できるできないの判断を、
予想できる手段と用意してあるとかな。
プレイヤーとキャラは同じではないけど、
ならなくてもいいってのはプレイヤーに想像力がないってことだろ
× キャラの設定が、スパイ
○ プレイヤーキャラの設定が、スパイ
スパイのプレイヤーはからだの一部のキャラと言う臓器を使ってプレイヤーの興味関心の行動をする
そもそもスパイは情報を盗み出す事が仕事で戦いでもなんでもないので肉体はプレイヤーの肉体とそう大差ない
仮に筋肉的な肉体キャラをと言うなら別に、プレイヤーの指先の臓器のそのキャラがそういう性能を持っている
=自分の指先の一部は筋肉だって事
そういう臓器なんだから出来て当たり前
ゲーム内で
プレイヤー本体は別にそういう機能を持っている訳ではないので筋肉を持つ必要も無い
ミス
× キャラの設定が、スパイ
○ プレイヤーの設定が、スパイ
スパイについて勘違いしてるけど
スパイは戦ったりする戦闘員じゃないので
スパイの仕事は工作活動
工作活動=スパイのゲームって無いよね
>>76 >プレイヤーごとに感じ方・受け止め方が違うわけだから
そっちいったゲームも多いな
オウガの松野もベイグラやFF12でそっちいったし
MGSとかもそっちいったな
ゼノはブレイドで、洋ゲ的な「答えのない2択」を取り入れてたな
サブイベント限定だけど
ゼルダもテイルズも、新作では選択肢でプレイヤーの感情をゲームに反映出来るようになったし
洋ゲが普及したのもあってか、そういう楽しさの認知が割と進んできた気がする
和ゲーも昔から色々やってきたんだけど、客に受け入れられず浸透しなかった気がする
そういえば敵たちにばれて銃の撃ち合いしてるようなスパイは三流スパイかと
何故かスパイ=銃の撃ち合いだけど
腕のいいスパイだったらきっと敵組織が壊滅するまでずっと敵から味方だと信じられていると思う
ばれたらゲームオーバーでないとだめだと思う
ばれないように、敵に好かれながら裏工作して目的を達成するゲームこそスパイゲームなんじゃ
スパイの面白いゲーム
偉い人にだまして取り入って情報を盗み出したり、誘って破滅する方向に誘導したり
それでも疑いの目を向けられず
見たいのは創作物スパイ物としていい感じなんじゃ
産業スパイでも良いし、何かの組織のスパイでも、当局のスパイでもいいし
だましてる張本人なのにそのスパイこそ唯一の味方かのように思い込ますのは芸術的
スパイの掘り下げとかどうでも良いんで
最高のスパイゲーとは何かってスレでも立てて1人でやっててください
93 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/14(月) 11:42:53.25 ID:n3OUkpr6O
ファミコン最初期にもあったよな
って、あれはポパイか
>>76 >ゲームを通して物語を知り、プレイヤーごとに感じ方・受け止め方が違うわけだから、十分、ナラティブ
それはなんかちがくね?
>ゲームを通して物語を知り、プレイヤーごとに感じ方・受け止め方が違う
ってのはゲームプレイして普通になる状態の事じゃん
普通の状態を特に意識する事なんてないだろ?
意識する事のないモノにわざわざナラティブって名前つけて
その魅力の正体とか、成立条件とか知りたがって議論する人間が現れるとは思えない
それに自分のナラティブ体験を語ってる人達はみんなスゴく熱く語ってるじゃん
それはその人の感じたナラティブの体験が
普通の時とは違ってスゴく熱い体験だったから熱く語ってるんだろ
普通に面白いお話だったとか、普通にインタラクティブなゲームだったとかじゃなくて、
特別なプレイ体験だったと思えるレベルでなきゃナラティブって呼べないと思う
要はインタラクティヴな何かってやつか?
インタラクティブってのは
「このゲームはインタラクティブな作りだ」みたいに使う構造を表す言葉だけど、
ナラティブってのはゲームをプレイした時に時々発生する
何ともいえない熱い体験を表す言葉が無かったから作られた
プレイヤーの感じた「何ともいえない熱い感覚」を表す言葉だろ
インタラクティブなゲームをプレイしたからって
必ず「何ともいえない熱いプレイ体験」ができるワケじゃないから、
イタラクティブなだけ・プレイヤー毎に違うプレイ内容になるだけ を
ナラティブだというべきじゃない
えーじゃあ「ナラティブなゲーム」って存在しないじゃん
>>94 >>1でナラティブなゲームとして例があがってるドラクエにしろ、風来のシレンにしろ、
ドラクエ?鍵の場所やキーアイテムを探すゲームだろ。別にアイテム探しに物語なんか感じないし、ドルアーガの塔とどう違うんだよ?
ととらえる人もいる一方で、探す過程で自分だけの物語を感じる人もいる。
結局、ナラティブって受け手側に大きく依存する概念だよ。
そうは言ってもナラティブな体験を得られるゲームデザインやアプローチはあるだろうと仮定してみても、
受け手側に大きく依存する概念だから、そんなアプローチはない、定義はできない、となり、本場ではナラティブ議論は廃れて、
従来のWriting(脚本)からNarrative(口承による物語)に言葉が置き換わっただけの概念になった、って流れじゃね?
べつにドラクエの主人公は喋らないことに重きを置いて開発されたわけじゃないかもしれない
それでものちの世で喋らない主人公が一種のステータスとされ、評価の対象となったのは
他ならぬ寡黙な主人公こそがナラティブを演出する最も大きくて基本的な要因だったから みたいな?
>>96 んだから、それはインタラクティヴな何かじゃないと体験出来ないだろ?
ここでいうナラティブは
多分
>>1の用法に倣ってるんだと思うけど
そもそも
>>1の用法がズレてるような気がする
誰かも言ってるけど、海外での使い方となんか違う気がする
ゲームシステムの楽しさだって、
プレイヤーの腕ややる気に依存するし
インタラクティブな遊びな以上はそういう風になるんじゃね
その上で、善し悪しを定義したり議論したり出来ると思うし
そうやってきたんじゃん
まあ海外の用例でいくと、ゲームにおけるストーリー=ナラティブなんだよな。
ナラティブ自体、英英辞典でひくと、物語における出来事、って意味だし。
>>98 簡単な分かり方としては、一つの読み物になっているかどうか
ゲームをする事=読み物になっているかどうか
話を進めた時、ストーリーを頭に焼きついて覚えているかどうか
脚本=書き手側の書いた脚本
物語=作品を見た時にそこから物語を発しているかどうか
置き換えられただけになるのは置き換える前のものも全てNarrativeと言い出したから無意味になってる
感動的なお話を作りました=Narrativeになってる
何と何をそろえました→そうしたら何が起きてどうなりました→その結果次に進めました
自分のやった事をやった側はきちんと物語として消化しているかどうか
道なりに進んでいったら、仕掛けに突き当たったのでその仕掛けをときました
これじゃただ進行をさえぎった問題を解かされただけ
何をするには何が必要で、何と何をそろえたら、ここにいけて
ゲームプレイそのものをストーリーとしてみる事出来ると
自分のやった事=ストーリーになる
ゲームシステムも
プレイヤーの腕や関心が低くても充分楽しめるゲームもあれば
プレイヤーの腕や関心が高くないと深く楽しめないニッチなゲームもあるように
要は様々なナラティブの間にある、わかりやすさの差の問題な気がする
演出重視のFPSの一本道キャンペーンのように
プレイヤーの依存度を低めにしてナラティブをわかりやすくするゲームもあるし
そうじゃないゲームもある、っていう
本当はプレイヤーに依存度した方が物語としてプレイヤーになじむ
当たり前だけど、プレイヤーの行動と無関係にゲームシナリオは進行するなら
そのストーリー自体頭に入らない
自分のやった事でどう変化したか?をプレイヤー自ら念頭に入れてプレイすると
ストーリーを自分のものとして認識できる
プレイヤーがこういう行動をとったから、話はこう進んだ
をきちんと認識すると
話の進行とプレイは一体化する
でも何をしても何も変化しないならストーリーを頭でたどるのをやめる
それより目の前の敵や仕掛けをどうするかに注意を払う方がゲームとして合理的だから
そのうちムービーや演出だけでストーリーを語り、プレイ内容そのものはただ路線上の敵を倒すだけだったり
>>106 ゲームシステムだとある程度、客観的に議論できるんだよな。
格ゲーだとわかりやすいけど、コマンドのキャンセルやガードが複雑すぎて人を選ぶとか、
画面端のハメ技でリカバリー不能なのは、システム的に欠陥だろ、とかね。
物語の受け取り方になると、受け取り側の問題はもちろん、伝わる伝わらないの難しさもあるし、そもそもストーリーを伝えようとしてるのか?ってゲーム側の問題もある。
単純にゲームデザインの出来不出来だけの問題じゃないから、議論の共通項が見出しにくいんだよね。
>>1でドラクエが例に出てるけど、
もともとCRPG(コンピュータRPG)って、ドラクエに限らず、キーアイテムを集めて先に進む、というゲームで、
その先に進む動機づけにストーリーがついてたわけじゃない?
アイテムを集めることが重要だから、主人公も喋らないのが基本だった。
ストーリーを伝えることが主目的じゃないと。
その後、容量が増えたこと、単純なストーリーによる動機づけだけでは弱いってことで、鑑賞にたえるストーリーに進化した。
当然、ストーリーを伝えることが目的で、プレイヤーもストーリーを知る・共感することが目的になる。
>>1でいうナラティブだと、ストーリーを伝えようとしてないゲームこそ、自分で物語を紡ぐから、ナラティブとなる。
ゼノギアスなんてのはナラティブから最も遠いゲームだ。
一方で、海外の定義でいけば、それこそ上のほうで出てるゼノギアスみたいなゲームこそ、ナラティブだとなる。
ここらへんは整理して、共感認識を持ったほうが議論は面白いだろうね。
認識が統一されてないと、ナラティブの側面からThe Witcherを語る、とか言ったとき、
お互い噛み合わないよな。
>>111 >>1でいうとストーリーを伝えようとする手段の違いで
ストーリーを伝える部分は共通で
そのストーリーのつた方の違い
ストーリーを伝えるのに、プレイと無関係な部分でストーリーを伝えるか
それかプレイそのものでストーリーを伝えるか
たとえば、同じ赤い石と、黒い石をそろえなきゃいけない話でも
キャラが赤い石を取りにいこう、その後黒い石を取りに行こうと言うから赤い石と黒い石をとるというストーリを形作るのと
プレイヤーが赤石と黒い石を取った時それによって話は進む事を悟って、その結果赤い石と黒い石をとるというストーリを形作るのと
その違い
プレイヤーの行動と無関係にストーリーは語られるかプレイヤーの行動によって物語を語られるか
ナラティブな要素よりナラティブではないものを羅列したほうがわかりやすそう早そう
自分で見つけた事はきちんと覚えているけど、他人の指示や伝聞は殆ど覚えていないし
理解もしていない
百聞は一見の理屈
>>114 そうですよね
ムービーのゲームとかは・・・
>>114 それも結局「ナラティブ」を定義しないといけないから難しくない。
ナラティブを
・体験を通して自分だけの物語を紡ぐ。
・ゲームを通して伝えられる物語を自分を重ねて感じとる。
・ゲームのキャラの動機と、プレイヤーの動機を一致させることで、物語をより自分のこととしてとらえてもらう。
・単に物語のなかにおける出来事の積み重ね。
みたいな色んなニュアンスがあるからね。
ナラティブでないものなら、
TRPGの分野だと、吟遊マスターは嫌われますし、ダンジョンバスターばかりでは味気ない
>>110 だからこそ議論されてんじゃねって思うけどな
>>111 海外ではゼノギアスのようなゲームこそナラティブってより
自分で物語紡ぐものも、ゼノギアスのようなものも
どっちもナラティブって感じじゃね
物語とは、本来雑然としてて意味不明な物事に
順序や焦点を与えて叙述していく事で、意味を限定していく行為の事だと思う
その作業を作り手がガッチリ握ってる物語もあれば、受け手が一緒になって行う物語もある
今までの「脚本」や「ストーリー」って言葉だと、それらの区別がなかった
その区別のために生まれた言葉のような気がする
で、どんなゲームもプレイヤーが語ってる部分とそうじゃない部分があって
あとは程度の問題でしかない
「ストーリー」と「ナラティブ」に分けるんじゃなく
「ストーリー」が「ナラティブ」に置き変わったってのは、そういう事のような気がする
122 :
110:2014/07/14(月) 22:37:48.39 ID:3kSH/IXZ0
>>119 ゼノギアスこそがナラティブっていうのは適切じゃなかったな。
ドラクエと比較すればゼノギアスのほうがが海外でいうナラティブだ、というのが正しいか。
ドラクエって、キーアイテムを探すゲームであって、ドラクエ自体の物語は、
ロトの血をひいてるから、魔王を倒さなきゃいけない、ってだけであって、物語を感じる・受け取るって意味では弱いんだよな。
で、物語の善し悪しの議論と、物語かどうかの議論は別なのに
それが混同してるのが
>>1な気がする
単純にストーリーをプレイヤーが殆ど認識していないと言う点に対する問題点だと思う
単純にプレイヤーにとってストーリーを感じるかプレイヤーにとってナレーティブか
一方的に流される物語を物語として認識して覚えているか
>>122 DQは筋道をプレイヤーこそが認識できるような進行式を取ってる
プレイヤーは何をするためには何をしてそのためには何をする
どこに行って次どこに行って
これをプレイヤー自ら決めて進んでいるように見えるような作り方してる
その筋道のシナリオをさして物語と言ってる
そういうのをやめてストーリーはストーリだけで独立してプレイもプレイとして独立してしまってるはそうでないゲーム
ストーリーの伝え方の違い
>>122 今見ると確かに当時のドラクエは古くさいけど、物語性は強かったと思うけどな
横スクACTや縦シューみたいなゲームが主流の中で
世界を股に掛けた大冒険を、ゲームシステムを通して体験出来るドラクエは
物語を強く感じるゲームだったと思う
人間ドラマを描くよりも
「竜王の取引に応じるかどうか」みたいに
プレイヤーの内面を問うことを重視した洋ゲも珍しくない
むしろドラクエの方が
海外のRPGに近い気がする
>>126 勘違いしてほしくないけど、ドラクエが古いとか批判してるわけではないのね。
ドラクエは面白いと思うけど、ナラティブなゲームの例であげるのがおかしいと思うだけで。
少ないヒントをもとに、色んなキーアイテムを探す、その過程に自分だけの体験ができる、自分だけの物語を紡ぐそれがナラティブだ。
と
>>1通り定義すれば、ドラクエはナラティブなんだけどね。
その定義で進めていくと、
ドラクエのキーアイテムを探しながら先を進む、っていうデザインはドルアーガの塔と同じともとらえられると思うけど、
ドルアーガの塔をナラティブから語ることはないよね。
もっと言えば、アクションゲームだって先を進むうえで、プレイヤーが試行錯誤しながら、自分の体験を通じて、
ゲームを通して、自分だけのゲームプレイの物語を紡いでるよね?
でも、こちらもナラティブの側面からは語られない。
そう考えると、キーアイテムを探す過程に自分だけの体験を通して物語を感じる、
それがナラティブだ、っていうのは違うんじゃないか?ということを言いたいんだよね。
断っておくけど、ドラクエは良いゲームだよ。
ドラクエとドルアーガやアクションゲーム(仮にロックマンとしよう)の違いを見てみると。
ドラクエは、
・ロトの血をひくから魔王を倒さなきゃいけない。
・国王の娘がさらわれている。
・琴やゴーレムの笛、姫のさらわれた場所に関して、NPCがヒントをくれる。
ドルアーガは最終目的は提示されてるけど、ヒントはない。
じゃあヒントの提示があれば、ナラティブになるのか?
ロックマンはワイリーを倒すという最終目標もあるし、博士からヒントももらえる。
色々、変身ができ、それぞれのボスに対し何が有効か、試行錯誤できる。
その体験は自分だけの体験だし、自分の物語も紡がれるだろう。
じゃあロックマンはナラティブなのか?
ドラクエを基準にこう掘り下げていくと、ナラティブとは言われないゲームもナラティブだと言えるけど、
ドルアーガやロックマンはナラティブとは思われない。
ドラクエを基準にしたナラティブの説明って間違ってるんじゃないか、と思うわけ。
いや、自分自身の体験を得られるんだから、ドルアーガもロックマンもナラティブだよ、となると、
じゃあ、ゲームって全部がナラティブじゃん、ってことになって、ナラティブって言葉で差別化する意味がなくなる、という。
ストーリーを語ると言う前提の在る無しかと
ナラティブの指すストーリーは逐一の筋書きの事
プレイヤーの体験にストーリーは載ってきているのか?
目的の町に抜けるのにはこの洞窟を抜けないといけない
だからこの洞窟を抜ける
と言うと自分の主体性を持った行動にストーリーはきちんと載っている
何々の目的のための町にたどり着こうとして洞窟を抜けたというストーリーは守られる
でも、乗っける筋書きが無いならそれはストーリー(ナラティブ)にはならない
固定されてる部分が「最終的な敵を倒す」だけでストーリーは特に無い場合ときちんと
筋書きの物語に沿ってる場合との違い
プレイヤーはここに立ち寄って、何々を貰って、次はその貰った何々をこの場所で使う、するとこういう事が起こって
見たいな筋書きこそ物語で
読み物にもなる
それをプレイヤーに物語を自分の目線で体験しているかのように語れる
何をすればいいと試行錯誤した結果、物語の作者の意図に乗ってこないといけない
試行錯誤して作者の作った道筋を見つけ出す、作者の思惑を読み解いているって感覚
プレイヤーは自分の道を進んでいるように見えて作者の作った道をたどらされている
ここ行ってここ行ってここ行ったよって体験(作者の意図した体験)をプレイヤーにやってもらう
そうする事で物語をきちんと体験を通して語れる
お話をプレイヤー目線で流す
>>129 >自分自身の体験を得られるんだから、ドルアーガもロックマンもナラティブだよ、となると、
>じゃあ、ゲームって全部がナラティブじゃん、ってことになって、ナラティブって言葉で差別化する意味がなくなる
だからさぁ ナラティブってのは
「ゲームはインタラクティブだから、プレイヤーそれぞれが自分だけの体験を得られる」っていう
ゲームの構造を表す言葉じゃなくて、
爽快感とか達成感とか満足感とか、そういうプレイヤーの得た感覚を表す言葉の一つなんだって!
「このアクションゲームはすごく爽快だった」みたいに
「このRPGはすごくナラティブだった」って使うんだよ
全てのアクションゲームで必ず爽快感が得られる訳じゃない様に
インタラクティブなゲームで必ずナラティブを得られる訳じゃないんだよ
爽快感のあるアクションゲームを作りたい時には
どうすればプレイヤーが爽快感を得られるのか考えてシステムとかバランスとか演出とか作るだろ
ナラティブのあるゲームを作りたい時も同じ様に
どうすればプレイヤーがナラティブを得られるのか考えて
システムとかバランスとか演出とかを作らなきゃならないんだよ
>>131 その表現だと、ナラティブ自体が何なのかを定義してないやん。
133 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/15(火) 11:32:53.21 ID:fFq7sGaqO
つまり
>>128 表現力、説得力の問題じゃね
例えばドラクエ4のAIじゃナラティブは弱いけど
ワンダと巨像のような生きたAIがあれば全然違ってくる
キーアイテム探すだけのものでも
ドルアーガみたいにデジタルな表現のゲームなら物語体験として薄いけど
TESみたいに大自然の中を歩いてるような臨場感あれば、そうでもない
簡単にいったら
ゲームのストーリーを教えて欲しい
という質問と
ゲームの攻略を教えて欲しい
という質問を受けた時の答えは一緒か違うか
は目安になるのでは
この町に行ってこれを貰って、この洞窟に行ってこうい事したら先に進める
「この町に行って」「これを貰って」「この洞窟に行って」「こうい事した」
と言うのは自分の試行錯誤して発見する攻略で
そのままゲームのストーリーになってる
プレイヤーのゲームでする事(やった事、やらなければいけない事)=そのままゲームのストーリー
やってもストーリーにならないプレイヤーのやった事はただやっただけでストーリーになってない
やった事がきちんとストーリーに反映されてこないとストーリーとして頭に焼きつかないから物語として強い印象に残らない
そうでない場合の例は
もしもプレイヤー道なりに進んでいって、途中にいる敵をたおして、目的地についてそこで仕掛けを起動する
それはストーリーを進めるムービーや演出の合間の出来事で、プレイヤーに与えられた作業をこなすと筋がゲームとは別の部分で語られ次のプレイヤーのやる事を教えられる
するとストーリーはゲームが一方的に流してるだけなので殆ど覚えていないしゲームと関係ないので覚える必要性も気にする必要性も無いけれど、ストーリーは進行している
プレイヤーのする事はそれとは無関係の作業やお使い
なので、ストーリーはムービーやイベントや演出で流れた事の内容をさして
攻略は全然違う敵を倒す事と仕掛けを起動する事になる
プレイヤーのやった事がストーリーになってればきちんと記憶に残る
プレイヤーはただやっただけの事はそのまま忘れて記憶に残らない
プレイヤーはやってないけどストーリーだけ語られても耳から流れるだけで記憶に残らない
プレイヤーのやった事とストーリーがきちんと一体になってないと
プレイを実際にやってみてそれと一体
ストーリーをたどって本当に冒険してみたって気分になる
それか本当に長い道のりを自分で歩いたって気になる
>ドルアーガもロックマンもナラティブだよ、となると
それでも間違ってないんじゃね?
>>1が前半の文で言ってるように
それまで「ストーリー」と言われてきたものとは別の新しい概念じゃなく
それに代わる概念で
差別化するための言葉ってより、包括するための言葉じゃね
それこそ、ゲームって全部がナラティブじゃん、って事になるから
「脚本」とか「ストーリー」とかやめて、それに代わって「ナラティブ」でいこう
って感じじゃね
脚本やストーリーって言葉だと
例えばゼノギアスみたいな物語は語れても
>>1でいうFTLみたいなものは守備範囲外になる
「ナラティブ」って言葉なら、それらを同じ土俵で扱えるんだと思う
なんとなくわかった気になるけど、
ナラティブって尺度で、ゼノギアスとFTLを並べて語るのは無理じゃない?
語るとしても、ゲームを通じて感じた面白さになってしまって、
それはナラティブって概念を持ち出さなくても語れるわけで。
海外でいうナラティブは
>>138の言う通り、ゲームのストーリー≒ナラティブなんだと思うけど。
どっちかというとストーリーの方が包括してる言葉の意味合い
受けて側は強いナラティブを感じなかったとしても、ムービーだけでも物語は語れる
今のFF何かも物語りだけどゲームとしての物語は弱い
例えば、腐女子さんがシムズを使って、ボーイズラブなプレイ日記をブロクで公開しているけど。
シムズはお人形遊びだから、プレイヤーの言う通り、演じたりはするけど、ゲームからストーリーは提示しないよね?
でもプレイヤーは妄想して、物語をつくってる。
こういうのもナラティブの範疇になるのか?
プレイヤーのナラティブだけどゲームのナラティブじゃ無いよね
物語と言う日本語に置き換えたら分かる
自分で作った脚本はプレイヤーの自分の物語だけど、ゲームの物語じゃない
>>140 そうでもないと思うけどな
ゲームはもともと、競技の楽しさとフィクションの楽しさが不可分に混ざってると思う
競技的な楽しさじゃ割り切れない部分があって、そこをピンポイントに語れたりするのがナラティブじゃね
>ナラティブって概念を持ち出さなくても語れる
ってゼノギアスの事か
勘違いした
俺はゼノギアス的な物語も、
ゲームプレイに関わってくると思う
例えばラスボスと戦うときの心境が、
プレイヤーそれぞれの解釈で違ったりする
FF12とかダクソとかもそうだけど
選択肢とかのシステム的な窓口がなくとも
少なくともゲームとプレイヤーとの間でキャッチボール出来てると思う
インタラクティブな楽しさって
多かれ少なかれプレイヤーに委ねてる部分あんじゃね
要はゲームがプレイヤーの反応を引き出したり受け取ってくれたりするかどうかな気がする
いわんとすることはわかるけど、それもナラティブ特有の概念じゃないよね。
映画や小説でも解釈は受け手に委ねるというのはたくさんあるし。
変な喩えだけど、野球におけるストッパーがクローザーに置き換わったのと似てるかもな。
日本人って新しい外来語を発見すると、日本で発明した言葉も簡単に捨てて、外来語を使おうとするから。
一部のマニアだけが、ストッパーとクローザーはニュアンスが違う。
ストッパーは回跨ぎするし、江夏みたいに7回から投げたりする。
一方で、クローザーは9回の1イニングしか投げない。
なんていうけど、実際はそんな使いわけは存在し、定義もない。
ただ、本場ではクローザーって言ってるから置き換わっただけ。
ナラティブも本当はそんな感じで、ゲームのストーリー=ナラティブという意味なのに、
一部の人間だけが、
>>1のような独自の解釈で語ってるという。
>148
他のメディアにもあるからナラティブじゃないって訳でもないんじゃないか
もともと他の分野から持ってきた言葉らしいし
広義的には、ゲームにしかないものでもないんじゃね
それをゲームデザイン上で表現したものが、ゲームのナラティブなら
ゼノギアス的なものがナラティブじゃないとは言い切れん気がする
ナラティブが限定的な意味で使われてるような気はするな
GDCがナラティブ部門になってからの
ベストナラティブ取った3つのゲーム見るだけでも
主人公にはっきり個性があるゲームも、無個性なゲームも
選択肢で話が分岐するゲームも、リニアなゲームも
カットシーン多用するゲームも、ほとんど使わないゲームも、色々ある
本来「ナラティブ」って、「ゲームにおける物語表現」みたいな、
器のでかい言葉な気がするけどな
「ゲームのストーリー」というと
ゲームがプレイヤーに向けたものってニュアンス強いけど
ナラティブはそれに対するプレイヤーの反応、
プレイヤーがゲームに向けたものも拾う言葉のような気がする
同じ「物語」って意味でも、「ストーリー」よりも双方向性が意識された言葉だと思う
だからこそゲームにしっくり来る言葉で、「脚本」や「ストーリー」に取って代わったんじゃね
「俺はゲームで最も重視するのはストーリーだ」というと
ゲーマー筋から「ゲームじゃなくていいじゃん」とか「映画見ろよ」とか突っ込まれたりする
そういう論調からも感じるけど、
「ストーリー」はゲームプレイからどこか浮いてるようなニュアンスのある言葉だった気がする
「ナラティブ」というと、ゲームプレイともっと一体になってるニュアンスを持つ
カットシーンで語る物語も、実際はゲームプレイと相互に作用してた筈で
「ストーリー」って言葉を当てはめてたせいで、そういった部分が意識されてこなかった気がする
「ナラティブ」って言葉なら、そういった部分も含めて物語を評価出来るんだと思う
ゲームにストーリーは不要と一概に語れる時代ではもうない
>>153 ゲームが提示するストーリーが強いものも弱いものであっても、
ゲームを通じて、プレイヤーが感じる・受けとめるものが強いものが、ナラティブなゲームってことでいいのかな?
そうなるとナラティブを尺度にゲームを語るって難しくない?
幅広く、色々な視点からゲームの面白さを語ることと同義だから。
使い方は間違っているけど、
>>1の限定的なナラティブのほうが議論には向いてるよね。
>>1のナラティブは、DQ派がFFを批判するときの論調に似ていて排他的ではあるけど、尺度として使いやすい。
実際には、ナラティブは
>>1のような使い方は海外ではしてないから、
FFみたいな映画的なゲームもナラティブだよ、と平行線にはなるけどさ。
ただ、
>>1の記事って、海外では優秀脚本賞がベストナラティブ賞に変わったんですよ、と紹介しておいて、
>>1のナラティブなゲームの説明は、ナラティブ賞受賞作と矛盾するという。
>>1はあくまでプレゼンターの考えるナラティブなゲームに過ぎない、ってことを踏まえる必要があるな。
>>1の基準でナラティブを語ると、ナラティブはそういう限定的な意味じゃないよ、って話で堂々巡りになるから、
>>151の視点でナラティブを定義したほうが、ナラティブを基準・尺度にゲームを語れる気がする。
158 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/16(水) 06:19:27.08 ID:xktrTs+3O
じゃあ「ナラティブ」なん言葉を使わんでも
今までのように「ストーリー」でいいじゃん
ゲームのストーリーの見せ方
ゲームのストーリーのあり方
で話すればいい
>>156 >幅広く、色々な視点からゲームの面白さを語ることと同義
おれとしては、そっちの方が色々語りやすいし、面白いと思うけどな
スペック論争みたいに、わかりやすい尺度で言い合った方が
わかりやすくてある意味議論も白熱するんだろうけど
そういうのって表面的な部分だけの話で終わっちゃって
ゲームの楽しさの実態から遠ざかることも結構あるんじゃないか
>>1で挙げられてる風ノ旅ビトも、プレイヤーの解釈を必要とするゲームって事で
ゼノギアスと共通項あるし、そこが評価されてもいるんだと思うけど
限定的な意味で使うと、全く別物ってなっちゃって、そういう肝心な部分が語りにくい
ゲームの良さが一つの尺度では割り切れない複雑なものであるように
ナラティブだってそうだと思うし、その上で色々議論も出来んじゃね
160 :
156:2014/07/16(水) 06:40:27.61 ID:yRrJH/8ri
一方ではそうなるけど、
>>1のナラティブの定義は、ベストナラティブ賞受賞作とズレている以上、
いつまでも、
>>1のナラティブ観と海外でのナラティブの意味っていうナラティブの定義で平行線になって、
肝心のゲームの議論に入らんのよね。
それに
>>1はDQ派のFFに対する批判とも共通するから、今さら語らなくても出尽くしてるってのもある。
個人的には、海外の受賞作関係なしにドラクエを基準とした、こういうのがナラティブだ、って説明もしっくりこない。
GTAは物語より、通行人を襲ったりする要素が強くて、物語がプレイヤーに残らないからナラティブじゃないとか。
通行人を襲うなんて、GTA3で卒業してるから、そんなことよりストーリーを楽しんでいるよ、ってプレイヤーも多いだろってツッコミを入れたくなる。
俺は思いつかないけど、ラスアスもドラクエもナラティブを基準に語るアプローチがあるんだろう。
そっちを探るほうが、ナラティブの定義で堂々巡りするより議論として面白いと思う。
161 :
156:2014/07/16(水) 06:46:33.70 ID:yRrJH/8ri
162 :
156:2014/07/16(水) 08:40:08.35 ID:yRrJH/8ri
>>158 あと、ゲームにおけるストーリーの見せ方って意味に限定すると、
ローグライクはあてはめられなくなるんじゃね?
基本、ローグライクはストーリーはないけど、深い階層にいくほど敵が強くなるから、
それに備えてアイテム・備えを充実させて立ち向かう競技性の強いゲームだから。
風来のシレンのそういったプレイヤーが死にながら覚えていって立ち向かう過程、それもナラティブらしいからな。
ローグライクだと、angbandやnethackなど、指輪物語の設定の流用がおおいけど、
別に指輪物語のストーリーを持ってるわけではないから、
ストーリーの見せ方って視点ではローグライクは語れなくなる。
ローグの死にゲー要素ってストレス溜まらずむしろくそーこんどこそ!って思う
ストーリーだけ、システムだけではなく
ストーリーがシステムを補う、またはシステムがストーリーを補ってナラティブを作り上げるみたいな
ナラティブは総合評価みたいなニュアンスに思う
ナラティブを「ゲームの構造」を表す言葉だと勘違いしてるから
ストーリーの割合の極端に違うゲームや
ストーリーの見せ方の方向性が極端に違うゲームが
どちらもナラティブなゲームとして挙げられているのがおかしいと思えるんだろ
ナラティブは感覚を表す言葉なんだから、
プレイヤーがナラティブを感じたなら
それがどんな構造のゲームでもナラティブなゲームであり、
タイプの全く違うゲームがどちらもベストナラティブ賞を受賞したとしても当然なのに
もしもベスト爽快感賞があったとして、
アクションゲームとトレーディングカードゲームと戦術SLGと経営SLGが受賞したとしても
何もおかしくないだろ 爽快感はアクションゲームだけでしか味わえないものじゃないんだから
ナラティブだって同じだよ プレイしてナラティブが味わえたなら
そのゲームに予めストーリーが用意されていてもいなくても
主人公に個性があってもなくても
インタラクティブ性が高くても低くてもナラティブなゲーム
165 :
156:2014/07/16(水) 15:53:58.65 ID:yRrJH/8ri
ナラティブがどんな感覚なのかについての解説をよろ。
166 :
156:2014/07/16(水) 15:59:22.04 ID:yRrJH/8ri
ナラティブ自体は、ロングマン英英辞典だと、
1 [countable] a description of events in a story, especially in a novel
2 [uncountable] the process or skill of telling a story
って意味だからね。
ナラティブな感覚って言われると、わかったようでまた言葉から離れるんよね。
>>156で大体当たってると思うけど
どちらかと言うと「ゲームが提示するストーリーが強いもの」をナラティブの強いゲームと呼ぶ
もともとゲーム開始から終りまで一直線の一本道のナラティブに対する批判から出てきた概念で
www.choke-point.com/?p=15790
にも書かれている通り
その一直線にゲームが提示する「強いストーリー」を提示しても
受けて側から見ると殆ど物語として受け取っていない
プレイヤーの体感は、プレイ感覚だけでどういう仕掛けを解いたか?どう敵を倒したか?
しか感じてない
だからゲームをする事でそれが物語になる
ゲームそのものを物語にする事で「物語を読んだ」「冒険した」と感じるゲームはどんなか考える
「ゲームが提示するストーリーが強いもの」をそのまま体感としてストーリーに感じるにはどうすれば良いか
「ゲームが提示するストーリーが強い」でもプレイヤーはそのストーリーの内容は殆ど記憶に無い、何かごちゃごちゃやっていた程度にしか、何故ならプレイと無関係な次元で話は進むから
「ゲームが提示するストーリーが強い」だからプレイヤーもそのストーリーを体感した気分になって記憶に残る
差
ゲームの出すストーリーが強い=脚本をどんだけ練りこんだか?で一方的にそれを流すだけ だとゲームをプレイする側からは全然ストーリーを覚えていない
ゲームの出すストーリーが強い=受け手側の感じる物語性が強い だと物語をどれだけ強い印象として残しているか? そのためにはどうしたら良いか?
どれだけ感動的なストーリーを練って、そのストーリーの通りプレイヤーをたどるように強制する
=何も覚えていない
感動的なストーリーを自分で見つけるようにする=印象に焼き付けられる
FF7は一本道だったけど最後までやった奴はほぼ全員エアリス死んだのを覚えてるからね
願望で話すの止めようね壊レコ君
そういうのの事ではないです
特徴的一場面一場面は覚えていても
自分のどういう経緯をたどってきたか自分のやってきた歴史は殆ど覚えていない
そういうことにしたいんですね
はいはい
>>165>>166 >ナラティブな感覚って言われると、わかったようでまた言葉から離れる
そりゃそーだろうよ 呼び方の無かった感覚に
名前を付ける為に既に使われている言葉を借りてきたんだから
江戸時代、弓矢を使った的当てを遊べる遊技場「矢場(ヤバ)」が、
素行の悪い者がよく集まり度々取締りの対象になった為に
形容詞化して「不都合である 危険である」という意味の「やばい」になり、
その「やばい」も今じゃ「最高である」って意味でも使われてんだぞ
転用された語は新しい使い方をされてるんだから、元の意味で判断すんなよ
ナラティブがどんな感覚か 現状俺が得た情報から推測した個人的見解でいいなら解説するけどな
ナラティブってのは、大昔からあらゆる分野で時折得られると言われ続けてたアレだな
「黒子のバスケ」の「ゾーン」とか、「H×H」の「心滴拳聴」とか、
「宇宙家族カールビンソン」のコーちゃんが神楽の名人だったおじさんの霊にとり憑かれたかの様に
これまでもこの後も二度と出来ない様な見事な神楽を舞ってみせた時とか、AHA体験とか……
脳が普段とは比べ物にならないほど活性化して何かをなす為に全力を発揮できる状態、
物語の全てを感じ取り把握する為この状態になった時感じているのがナラティブ
なぜ俺がこう考えるかというと、
語られるナラティブ体験に多く共通する「濃い体験をした」という部分
人間が物事を濃いと感じる理由は
その物事を構成する情報量が多く、種類が多岐にわたる事だが、
現実を構成する情報とゲームを構成する情報を比べた場合
圧倒的に現実の方が多いにもかかわらず、
ゲームをプレイしている時に濃い体験をしたと感じているという事は、
ゲームプレイ中に人間側の情報を拾う能力が普段よりも優れた状態にあったからと考えられる
すなわち、脳全体の活性が高まる事で五感が鋭くなり、情報処理能力も上がって
普段の何倍もの量の多様な情報を拾い上げ処理したのだと予想した
また、もう一つよく見られる共通点「記憶に残る」という部分
何かについての記憶は、その何かを構成する情報が多様であるほど忘れにくい
何故なら見た目・匂い・味・感触・音を知っている物は
似た見た目・似た匂い・似た味・似た感触・似た音に遭遇するたびに思い出される
頻繁にアクセスのある情報ほど神経回路が強化される為、
思い出す機会の多い構成要素が多岐にわたる情報ほど記憶に残る
物語の記憶が多様な情報で構成される為には、
プレイ中に五感を担当する部位を含む脳の多くの部位が活性化して多様な情報を収集し、
それらを一つの物語の記憶として結びつける処理を行わなければならない
以上から、物語の全てを感じ取り把握する為に
脳のなるべく多くの部位が活性化し大量かつ多様な情報を結びつけ
一つの物語を脳内に構成している時に感じているのがナラティブ
173 :
156:2014/07/16(水) 22:25:36.18 ID:vmlF7tkk0
ナラティブはアハ体験とか言ってた壊レコ2号か。よくわかった。
俺が好きなゲームはナラティブ
嫌いなゲームはそうじゃない
TESってメインクエストを追っていくだけなら、世界観やストーリーも練られてる一本道のRPGだけど、
ほとんどの人間が、メインクエスト関係なく、その世界で冒険することを楽しんでるよな。
一本道ならオープンワールドじゃなくてよいってのもあるけど、みんな冒険する、ってことに価値をおいてるんだろうな。
ルナティックドーンは早すぎたのかな?
>>173 おまえは何もわかっちゃいないだろ
そもそも他人の感じている感覚が自分の感じているどの感覚と同じなのか理解する為には、
言葉の定義なんかじゃなく
ある感覚を得ている時の他人の様子と何かを感じた時の自分の様子を比較して
いくつかの共通項を見出せた時に
「ああ、あの時○○が言っていた××という感覚は、今俺が感じているコレなんだ」
と理解していくもんだ
爽快感だって達成感だって満足感だって、
他人が感じている時に直接自分も同じものを感じている訳じゃないんだから
様子を比較して自分の感じたあの感覚と同じだろうと予想するしかない
しかしそんな状況でも、どうしたらゲームで爽快感を得られるのか考えて
試行錯誤して作られるゲームはあるし、その試行錯誤からノウハウを得て
かなりの確率で爽快感を提供できるゲームを作れる制作者はいる
たとえば、爽快感を提供する為に必要な事を理解していない奴が
爽快感を提供できているゲームのシステムだけを丸パクリしてコピーゲーを作っても、
システムは完璧にコピーされているのに
爽快感の無いゲームになるなんてのはよくある事だろ
ある感覚をゲームで提供するという事は一つの構造だけでできる事じゃなくて
ゲームの細部にまで気を使わなきゃ実現できない事なんだよ
ナラティブという感覚を理解する為には、ナラティブを感じている誰かと自分とを比較して
自分が感じた事のあるどの感覚と同じなのか予想するしかないし、
ナラティブがそういうものでも
それをゲームで提供するにはどうすればいいかを試行錯誤して実現する事もできるし、
それは一つの構造で成せる様なものじゃないんだよ
マジレスしてやると、長文で書き連ねてるわりに言ってることは、「ゲームをやったときに面白かった・充実したと感じたときの感覚」、
程度のことしか言ってないんだよ。
多少没入感があっても反復して戦略やシステムを理解してくるとそんな感覚消し飛ぶわ
この辺解決したゲームってあるんか
>>178 現実世界でも、最初は新鮮でも経験を積むと惰性になる、ってのはあるし、
ましてや、ゲームはプログラム以上の反応はないから割り切るしかないでしょ。
ナラティブとは関係ないかも知れないが、
ベストプレープロ野球のゲームは、選手能力はデジタルな6段階評価で、能力項目も少ないのに、
試合展開はランダム性に富んでいて、それでいて年間通すとリアルな数字になるから、
わりとシステムを理解すると冷めてくる、って感覚にはならないな。
>>178 ゲームをクリアするのに掛かる時間が短くなる様にして
プレイヤーが慣れる前にクリアされるようにしてみるとか
クリアに掛かる時間を短くできない時は、
プレイヤーが慣れる前に次々とゲームシステムを入れ替えていくとか
>>177 そりゃそうだよ
ゲームはインタラクティブなんだから自動的にナラティブになるとか言ってる奴がいるんだもんよ
ナラティブが感覚の事ならば、
それをどうしたら喚起できるかの議論なんてできないみたいな事も言ってるし
理論的に考えて、ナラティブが何の創意工夫もせずに作っても実現できる
ゲームにあって当たり前のものだったら注目される筈がないし、
どうすれば実現できるかの議論がされる訳がない
そしてナラティブが感覚であるからといって、
今まで爽快感という感覚を追及したゲームも、達成感を追及したゲームも、
その他いろいろな感覚を提供する事を目指して作られたゲームがあり、
ちゃんと○○感があるという評価を得ているモノもあるのに、
どうすればナラティブを提供できるか議論できない訳がないし、
議論する為にはナラティブが感覚であるとわかっていないといけないだろ
>>180 ナラティブを感じると脳内で電流が走るとか、感情が揺さぶられた時全般の現象を語ってるだけで、
ナラティブそのものの特有の特徴などについて、なんら説明がない。
その説明と特定の感覚を表す爽快感という言葉を並べるのは不適当。
>>178 同じ事の繰り返しになったり
作者はそれを考慮してそうならないように変化を入れたりしても
結局反復感覚消えないのは実際に同じ事を繰り返してるだけで何もプレイヤーのシナリオを練られていないから
作る側も特にお仕事で作ってるとそうなって来る
プレイヤーの体験からどのような冒険をしてもらうか?
どのような体験をするか?
そういう面からシナリオを練っていけば全然変って来る
作る側の思う「面白い」事は何なのか?
それとそれを再現する為の試行錯誤無いと作れない
システムをコピーしても理屈でこうすれば面白いと考えても
「反復に変化を与えたりランダムにする事で新鮮さを与えられる」
こういうのは理屈でそう思っているだけで、全体で見てみればただの反復作業になる
こういうのと同じ
もしも、プレイヤーから出た欲求で奥に煙の出てる場所を発見
自分の興味からそれを調べにいって、それについて何か思いがけない展開を期待できれば
次の興味はじゃ消火器と窓
色の違う壁
プレイヤーの興味関心は次々移る
それに対応し続けていれば決して飽きない
こういうのは開発者とプレイヤーとの対話のようなものだから
>>179 面白い小説や面白い映画は最後まで見ていて楽しい
システムを一度覚えたら反復になるゲームは直ぐ飽きる、現実は直ぐ飽きる
どう違うかと言うと一つ一つ見てもらう為のものを人の手で作っているか、全体像を分かってしまってるシステムを見てるだけか
興味をひきつける為の物を一つ一つ作れば人は興味を引かれ続ける
この先どうなるのか?こっちは何なのか?こうするとどうなるのか?
興味や関心を引き続けられればずっと飽きない
野球の面白さは試合を楽しむと言うものでまた別
展開に興味もって進めてる訳じゃないから
単に勝とうと思ってるだけ
>>180 慣れと言うのは結局は同じ事の繰り返しでしかないから
それを防ごうと今の人たちは繰り返しにならないように変えたりランダムにしたりしているけれど
それも含めて繰り返しでしかない
本当は自分から出た欲求と言うのはそれを見るたびに思いがけない発見を期待しての行動だから
人の手で作ってないな、と、全部繰り返しだな、と思った瞬間だんだん飽きて来る
長時間やって、一瞬で終えた気分になる
短いお話に見える
「もっと長い話にして欲しい」と要望出るぐらい
人の興味をひきつけ続ければ
興味と結果のみで構成された濃密な時間
かと
システム面でいじったり、見た目的な体感を変わるようにシステムを作ったり
それは殆ど無意味
興味をひきつけないと
興味の引きつけ方について何も言えないなら黙っててくれないかな?
「面白いゲームは面白い」って言ってるだけじゃん
興味→行動→思いがけない発見or今回は無し
何か思いがけない発見を見つけられると思っていれば、仮に何も無い事続いたとしても色々な場所を調べ回る
行動のきっかけが自分だと際限ない
>>184 興味とはプレイヤー自身から出る
何でプレイヤーは興味持つかというと、何か起こると期待しているから
たいていは背景でゲーム側の指定したもの以外何も起こらない
と思ってればプレイヤーは仮に古井戸を見つけたとしても興味も関心も持たない
何故なら、それはただの背景オブジェだと分かってるから
では、プレイヤーが自分の調べた事々の中に何か在りそうだと思っていればどうかというと
古井戸を見つければ当然興味をひきつけられ調べようとする
何も無かったとしても
ではどうして何か在りそうだと思っているのかというと、実際何か在るから
調べれば調べるだけ、「思いがけない発見」はどこかに在るから
調べれば何か思いがけない事が起こると言う前提で自由に調べていれば
当然色々な場所を調べ当然どこかで思いがけない事は起こる
ゲーム側の指図どおりの事、提示した事以外起こらないと思っていれば
当然ゲームの指示する箇所以外調べ協ともしないし興味も持たないし実際どこを調べても何も起こらない
それだけの事
プレイヤーの自由意志で自由に調べているか?
ゲーム側の予定だけか
その違い
プレイヤーが「これは背景だ」と見切り付けるかどうかってだけの事であって
指示通りに進むのもいろんな物調べまくるのもどっちも自由意思だろ
運命を切り開く事すら、予定調和で運命の内
指示通りに進むっていうのはゲーム側の強制でゲーム側の指示が消えたら一切する事は無い
自由意志は自発的で行動の起因は自分自身の興味
行動の欲求はプレイヤー自分自身の個人的興味に由来する
一つの空間を渡して、そこで自由に活動して下さい
何か起これば、これは何?これは?これは?次々興味は出る
それとゲームシナリオを結びつけると
興味を持つ事そのものがゲームの展開そのものになるから
特定のキーだけをたどって転々と進むものとそもそも構造的に違う
個人的興味とはフィールドを墨から隅まで調べて
ここには城、ここには町、ここには洞窟、ここには不審な色の違う地形(?)、この地形は?
部屋中を隅から隅まで調べて
ここは何もない、ここはテーブル(何か隠されてるのかな?)、これはいす(座れそう?)、これは飲みかけのコーヒー(何に使うのかな?)、不気味な穴、これは何?、模様のパターンの違う壁、これは何?
このレンガを割ると中に入り口出てきた、透明な場所を調べたらぶつかってはしご出てきた
じゃここは?
これは興味の条件で物語とまだ結び付けられていないけど
また現実にないゲームの話かよ壊レコ
指示されたこと以外出来ないゲームなんて存在しないんだよ
(´-`).。oO(文体に特徴あるんだから、IDをNG登録すればいいだけなのに…
>>181 だから、爽快感とか達成感とか満足感とかの感覚を表す語が
実際に自分が感じているどの感覚を指しているのか特定するには、
>>176に書いた様に
ある感覚を得ている時の他人の様子と何かを感じた時の自分の様子を比較して
いくつかの共通項を見出せた時に
「ああ、あの時○○が言っていた××という感覚は、今俺が感じているコレなんだ」
と理解していくものなんだよ
おまえが爽快感という語の指す感覚がどんなものであるかを特定しているのは、
今まで生きてきた時間の中で他人が「爽快だ」と言っている時の様子と
自分の味わってきた感覚を比較して共通項の多かった感覚の一つを
コレが爽快と呼ぶ感覚なんだと理解したからに過ぎないんだよ
ナラティブだって、
自分の感じた名称不明の感覚をナラティブと名付けた人間のナラティブ体験談や
そういう人間のナラティブ体験談と自分の体験を比較して
ナラティブがどんな感覚を指すのか理解した人間のナラティブ体験談を、
自分のゲーム体験と比較して共通項の多いものがあれば(既に体験した事があれば)
だれでもどの感覚の事なのかを特定できるよ
大体、おれが前スレの945や
>>172に書いたのが>感情が揺さぶられた時全般の現象 か?
五感が冴え渡って、普段なら見落としたり聞き落としたり気付かなかったりする様な
些細な情報まで大量に収集し、分野の違うそれらの多様な情報を
処理能力の上がった脳が飛躍的に結びつけ、普段なら思いつかない様な結論にも到達できる
物語の全てを感じとり把握する為に「自分の全力を発揮できる状態」がか?
スポーツ選手がいうゾーンは
最高の試合をする為に自分の全力を発揮できる上の様な状態になる事だが、
これを「感情が揺さぶられた時」の様だと表現してる所はみた事がないし、
武道家が戦いで全力を発揮する時の表現でも
死角にいる敵の位置や動き・相手の考えている事がわかるとか
時間が進むのが遅く感じるとかの描写はあっても、
感情を揺さぶられているからその状態でいられるという描写はみた事ない
何を成す為に「脳のほぼ全体が活性化して全力を発揮できる状態」になるかが違っても
ゾーンも武道家のアレも状態自体は同じだから、
それが感情を揺さぶられた時とも同じならばそう説明される事が多い筈だろ
あと、この状態はナラティブを感じている時の状態であって、
ナラティブという感覚をなるべく言葉で説明するなら
五感から入ってくる全ての情報が普段よりも鮮やかで豊富であり、
思考が冴え渡って物語の隅々まで自分の神経が通っているかの様に明瞭に感じ取れ、
それによって心地よい疲労感を伴った濃密な時間を過ごしたと感じられる事 だと思う
>>195に抜けてるトコがあった 下から7行目
>ゾーンも武道家のアレも状態自体は同じだから、
は
>ゾーンも武道家のアレも状態自体はナラティブを感じている時と同じだから、
下から5行目
>あと、この状態はナラティブを感じている時の状態であって、
は
>あと、この状態はあくまでもナラティブを感じている時の状態であって、
>>193 次する事を「プレイヤーに発見されるのを待つ」のと「直接指示する」の違い
製作者は次に進む為に必要な要素を隠してプレイヤーに見つけてもらう
中にはダミーもいっぱいにして
そうするとプレイヤーは自分でそれを探す
自発的に
ナラティブナラティブうっせえんだよ言葉なんて没入感とか自由度で十分だろ
大体凝ったシナリオゲーの初見の時のナラティブとプレイの軌跡自体が一つの物語じみてくるゲームのナラティブじゃ明らかに別物だろ適当に使い過ぎなんだよ
同じかと
凝ったシナリオ=プレイの軌跡
「凝ったシナリオ」に「プレイの軌跡」を一致するのがナラティブです
基本的に
ナラティブの使われ方が多岐に渡りすぎてるんだな。
TESを例にたとえると、メインクエストをのみを追ったプレイは、世界観やストーリーは練られてる一本道だけど、
そこゲーム体験を通じて、充足感を得られれば、ナラティブ。
メインクエストそっちのけで、その世界で生活する・冒険することに楽しみを見出してもナラティブ。
あえて原語の意味をつかえば、自分のなかに描写、刻まれるほどの出来事がゲームの体験を通じて得られればナラティブ。
ただ、
>>1の意味をふまえると、後者のことだけがナラティブだと限定して使われがち。
でも、ナラティブは受け手側の取り方だから、前者からもナラティブだと捉える人も十分にいる。
ところが、受け手側の取り方云々関係なく、海外ではゲームにおける物語とナラティブだと、使われてる。
原語の意味でいけば、ナラティブ=(口伝えによる)物語だから本当は一番的確な使い方なんだけど。
それぞれのナラティブ観はあるんだろうけど、実際は全部、ナラティブと表現して使われてるんだから、
ナラティブの定義で堂々巡りするのは無意味だな。
203 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/18(金) 07:41:08.98 ID:zuV75BzBO
キャッチコピー先行で失敗した典型例だな
掘り下げれば掘り下げる程、受け手次第でなんでもかんでもナラティブになるからな。
それなら、なんでもかんでもナラティブでいいじゃんとなる。
もとはナラティブか非ナラティブかで差別化をして、プレイヤーに感じ入ってもらうゲームを作るには、
どういうアプローチ・メソッドでゲームを作るべきかって目的があったんだろうけどね。
>>198 >ナラティブナラティブうっせえんだよ言葉なんて没入感とか自由度で十分だろ
>大体凝ったシナリオゲーの初見の時のナラティブとプレイの軌跡自体が一つの物語じみてくるゲームのナラティブじゃ明らかに別物だろ適当に使い過ぎなんだよ
没入感の方は良いとしても、自由度は全く意味が違うだろ
没入感は感覚だが、自由度はゲームの構造を表す言葉だぞ
ナラティブは感覚なんだから「凝ったシナリオゲーの初見」でも
「プレイの軌跡自体が一つの物語じみてくるゲーム」でも感じられる事があるんだよ
でもナラティブの成立条件として、確かに「初見」ってのは重要だな
初見の時の方が慣れてしまってからよりもナラティブを感じやすい気がするもんな
統計データとかは無いけどさ
理解しないで言葉だけ使ってるのが悪い
日本人は造語を前にすると思考停止するからな
ローグライクとか凝ったシナリオもないし死んだらその回は完全に無意味になるから軌跡もないけどナラティブだな
無意味…そこに意味を感じるゲームにナラティブを感じるんじゃろ
不思議のダンジョンは経験値のような目に見えて積み上がっていくものは無いけど技術と知識は失敗から積み上がってくやない
それ普通のRPGで全滅するのと同じじゃね
RPGにもよるが攻略法が決まってるRPGならそうかもしれない
試行錯誤が必要になるほど失敗から得るものは濃くなる…と思う
>>206 そのページ、後半はnarrativeじゃなくてemergent narrativeという熟語の説明じゃん
そこは無視するとして、ベストナラティブ賞とか
「『風ノ旅ビト』はナラティブだ」とかで使われているナラティブは、
元々存在していたナラティブって語を転用して使っているんだから元とは違う新しい意味だろ
「やばい」だって
元々の意味での使い方では「やばい(身の危険が迫っている)ぞ 先公が来る 隠せ隠せ」
だけど、転用した新しい意味での使い方だと
「このグラビアアイドル、まじやばい(のめり込みそうなくらい魅力的な)オッパイだぜ」
って全然違う意味になる
そして転用されたナラティブの新しい意味がもしも、
自由度が高いとかインタラクティブ性が高いとかのゲームの構造を表すものなら、
ベストナラティブ賞受賞作も、海外でナラティブだと評価されているゲームも、
どれも同じ構造を持っているゲームになる筈だろ
でも実際は、ストーリーの割合も主人公の個性の有無もランダム要素の割合も
インタラクティブ性の高さも自由度の高さも様々なゲームが
ナラティブなゲームとして挙げられているじゃないか
大体、ベストナラティブ賞は元は優秀脚本賞だったんだから、
いくらベストナラティブ賞に変わったとはいえ
インタラクティブ性や自由度の高さなどというゲームの構造を受賞基準にするなんて
めちゃくちゃ不自然だろ
特に、インタラクティブ性の高さでナラティブであるかが決まるなら
ナラティブなんて語を借りてくる必要がない ベストインタラクティブ賞にすればいい
だから、ゲームを評する時のナラティブは
今までそれを指す語のなかったある感覚を表しているんだと考えた方が辻褄が合う
ナラティブという感覚を得られるゲームだからベストナラティブ賞を受賞した・
ナラティブなゲームだと評判になった のであれば、
そのゲームのインタラクティブ性が高くても低くても、
主人公に個性があっても無くても、ストーリーが予め用意されていてもいなくても、
どんな構造のゲームであってもあり得るからだ
>>212 俺はインタラクティブ性が高ければナラティブになるなんて一言も言っていないので、俺に言われても困る。
また、Narrative自体はゲームのために作られた言葉じゃなくもともと、
物語における出来事に関する描写、口伝えによる物語、という意味があり、
そこからゲームが伝える物語=ナラティブという意味で使われてるんだろう。
前から例にあげてるが、
>>1で語ってるようなゲームとは程遠い、
UBIが作ったRPG、Child of LightのクレジットがNarrative Writingとなってる。
色々講釈をたれようが、ナラティブっていうのは物語を置きかえた言葉、つまり原語の意味で使われてるのが実際のところ。
ナラティブ自体は受け手に依存するから、インタラクティブが高くても、受け手がつまらないと思えば、その人にとってナラティブはないし、逆もしかり。
ただし、インタラクティブ性が高い方がナラティブは生まれやすいとは思う。
仮に、自由に操作できず、Aボタンを押すとストーリーが一方的に進むゲームを作ったとすれば、
ここからナラティブを得るのは難しいだろう。
ただ、こういう形式をとったとしても、受け手次第だから、その人がナラティブを感じれば、その人にとってはナラティブとなる。
>>213 だから
>>212に書いたじゃん
元々存在していたナラティブって語を転用して使っているって
転用の意味がわからないの? 元々存在していたものを
それまでとは違う場所で違う使い方をするのが転用
ナラティブがゲームの為に作られた言葉だなんて言ってないよ
>
>>1で語ってるようなゲームとは程遠い、
> UBIが作ったRPG、Child of LightのクレジットがNarrative Writingとなってる。
クレジットに書かれているNarrativeは本来の意味で使われているに決まってんじゃん
普通の使い方なんだから
本来の使い方で使われている時のナラティブと、
転用されて使われている時(ベストナラティブ賞や「『風ノ旅ビト』はナラティブだ」とか)
のナラティブは違う意味だって
>>212で言ってんだよ
ベストナラティブ賞や「『風ノ旅ビト』はナラティブだ」とかのナラティブは
今までそれを指す言葉の無かった感覚の名として転用されたナラティブだから、
ストーリーのあるゲームも無いゲームも、インタラクティブ性の高いゲームも低いゲームも、
ランダム性の強いゲームも弱いゲームも、主人公に個性があるゲームも無いゲームも、
様々なゲームがナラティブなゲームになりえるの!
ナラティブがゲームの特定の構造を表す語として転用されているのなら
様々な相反する構造的特徴を持つゲームが
ナラティブなゲームとして挙がってくる訳ないだろ
>>215 もともと、
>>1にあるようなプレイヤーがゲームの体験を通じて、自分のなかに物語を紡ぐ、深い充実感を得るようなものを、
言い表す言葉として、ナラティブって表現して差別化をはかったんだろう。
ただ、定義自体が曖昧なのと、受け手次第によってどういうゲームもナラティブになりえる、
差別化を図ること自体、無意味になった。
でも、ナラティブって包括的なニュアンスで物語や
>>1の言葉も含められるから、
それら全てを指してナラティブと言ってる。
だから、差別化したはずなのに、それらも含めてナラティブと表現してるから、
海外ではナラティブ論議は廃れてる。
このスレの流れも、
>>1の意味だけでなく、従来、ストーリーって言っていたのも含めてナラティブに置き換わっている。
って流れなのをまず理解してる?
変な喩えだけど、野球でスプリット(splitter)って球種があるじゃん。
指で挟んで、上向き回転を与えないようにすることで浮揚効果をなくして、打者の手元で落ちてるように見せる球。
メジャーリーグが身近になって、従来、フォークって言っていたものをスプリットと言うケースが増えてるけどさ。
日本ではもともと、こういう球をフォークボールと呼んでいたんだけど、
80年代に桑田が、球速を落とさないように、浅く挟み込んで小さく落とす球を、
スプリット・フィンガー・ファストボールと呼んで使ったことから、
それを引きずって、スプリットはフォークより浅く挟み込む球種って意味で使ってるけど、
メジャーでは挟んで投げれば全部、スプリットで、浅い深い関係なく、そういう区別はされてないんだよな。
そもそも日本でも、握りが浅くても本人がフォークって言えばフォークだし、スプリットと言えば、スプリットだ。
オタクだけが、本来区別のない言葉なのに、勝手に挟みこみの浅さ・深さで区別してる。
ナラティブもそんなところだろ。
ナラティブは
>>1のような感覚を表すために作られた言葉だと言っても、
使ってる当の本人たちは、そこを超えて、本来差別化しようと思ったもの含めてナラティブと言ってるという。
>>1を前提に語っても、もっと広い意味で使われてるよ、って堂々巡りになってるんだから、
実際の使われ方を前提に語るべきだし、そういうスレの流れだと理解してるが。
使い方はいいとしても
趣旨を持って分けてるんだから
>>1の趣旨を追求すべきかと
ナラティブの捉え方は色々あれど、
「ゲームプレイを通じて、自分のなかに深く刻まれる・昇華されるもの。」
というような共通認識はあるだろう。
それは受け手側に依存する。
>>1の趣旨も
>>1のプレゼンターが考えるナラティブに過ぎないから、
>>1を前提に追求するのも、無意味。
GTAは街の中でメチャクチャやることばかり、頭に残って物語が残らない、と説明されてるが、それはあくまで
>>1のなかではの話だ。
プレイヤーが移民だった場合、ニコの境遇にシンパシーを感じてナラティブを感じるプレイヤーもいるだろうし、
単に、敵のアジトに攻め込むときに、自分が映画の主役になったような気分になり、ナラティブを感じるプレイヤーもいるだろう。
もちろん、単なるTPSとしか見てねぇよ、ナラティブ?ハァ?ってプレイヤーもいる。
「
>>1の中では」だったら個人的にそう感じるという旨を説明する
「一般的に」の意味合いで言ってると思う
受け手側によって変わるとは言っても、多くのプレイヤーに、
>「ゲームプレイを通じて、自分のなかに深く刻まれる・昇華されるもの。」
を喚起するゲームってどういうものだろう、って議論はありだ。
それなのに、そこで壊レコ十八番の現実のゲームでありもしない、窓がどーのだとか、
壊レコ2号の語るナラティブを感じるとアハ体験だの、
そういう話は全く無意味だと言ってる。
>>220 >>1の説明では、ベストナラティブ賞のThe Last of usが説明できないだろ。
使われ方がズレてるから、ナラティブの使い方・意味でこのスレも堂々巡りしてるんだよ。
別にThe Last of usを
>>1の説明に当てはめたり
>>1に含める必要は無いんじゃないかと思うけど
The Last of usは映画として世界観・出来はよかったけど、ゲームをプレイしてみてストーリーが印象に残るような強い内容かと言えば正直疑問だけど
世界観と設定から見たストーリーがいいって事
Revolutionってドラマと世界が似てる
海外では「ナラティブ」という概念があるんですよ、って書き出しで紹介しておいて、
(いくら受賞したのが、
>>1のカンファレンスの後とはいえ)最もナラティブな作品ですよ、と評価されたゲームが、
>>1の説明と相容れないなら、説明・紹介の仕方に問題があるだろ。
スプリットは浅い握りの小さく落ちるボールだよ、と力説してるのと一緒。
そんな使い分けは存在しないのに。
脚本とかストーリーって言ってた事が丸ごと物語とかナラティブって言葉になったのに
今までストーリーと呼んでた物を指すのにナラティブ使うなっていう方が無理
>>1の趣旨に合ってないゲームが自分もナラティブだって名乗りだしただけで別にゲームで物語を伝える手段において秀逸と言う訳ではない
227 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/18(金) 19:45:02.75 ID:zuV75BzBO
ナラナラ
>>226 つまり、実際は今までストーリーと呼んでいたものも含めてナラティブは使われてるって話だろ。
だから、
>>1はズレてるって話なんだが。
私見だけど、
>>1はDQ派がFFを批判する時の論調をナラティブという言葉にかこつけて展開してるに過ぎないと思ってるから、
>>1はドラクエ・FFを例に出してるし、特段、目新しい論調でもないと思ってる。
同時に日本に昔からあるゲームの考え方を、ナラティブに当てはめて引きずらながら説明してるから、
海外での実際の使われ方とズレが生じてるとも思う。
ラスアスも、プレイヤーが生きる現実の問題について
プレイヤーに解釈を委ねる話だった気がする
残酷な世界への抵抗を、菌への抗体を持ったエリーに象徴させてて
そのエリーを守ったり、癒されたりするって体裁のゲームになってる
プレイヤーがそこに投影した思いに応じて、
プレイの心境も、ラストシーンの意味も変わってくる
あのラストは、プレイヤーへの問いなんだろう
ハリウッド映画的な、わかりやすいメデタシメデタシ感ないから
消化不良とか言われたりもするけど、
わざとそうしたんだと思う
ゲームとしては、そうした方がおさまり良くなってる気がする
単純にドラマとしても楽しめる内容だったしな
そういうわかりやすさがないために、「物語の弱いゲーム」の烙印を押されるゲームも多いからな
FF12とか結構いい話なのに「シナリオはクソ」が合い言葉みたいなってるし
ライトなものとマニアックなもの、相反する要素を、絶妙なバランスで同居させてるのが
個人的に思うラスアスの最大の長所だった
物語の楽しみ方だけじゃなく、
殺伐として男らしい世界と、センチメンタルで癒される世界
トリガーハッピーなゲームプレイと、抑圧的で慎重さを要求するゲームプレイ
対戦のカジュアルなプレイ感と、ジリジリと戦う手応えあるプレイ感
重い物語も、ハードなシーンはさっさとリラックスしたシーンに飛ばす事で軽く見せてる
市場に媚びることも、ニッチに陥ることもない、バランス感覚のいいゲームだった
>>228 それじゃ、言い換えた意味はないし、元のストーリーのままで十分なる
何故言い換えたのかが重要何じゃないかと
234 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/18(金) 21:12:26.98 ID:zuV75BzBO
新しい言葉を覚えると使ってみたくなる中二的なアレだろ
>>216>>217>>219>>221>>222>>225 >ナラティブって包括的なニュアンスで物語や
>>1の言葉も含められるから、
>それら全てを指してナラティブと言ってる。
>だから、差別化したはずなのに、それらも含めてナラティブと表現してるから、
>海外ではナラティブ論議は廃れてる。
ゲームはすべからくナラティブだとすれば議論する意味がなくなり廃れるとわかっていて
何故わざわざそうする事を選ぶ必要があるんだよ
議論する価値のあるナラティブ、
壮大で濃密で強烈な体験をしたと感じさせる魅力的な方のナラティブを議論すべきだろ
それに
>>1に説明されているナラティブでは本当に「The Last of us」は説明できないのか?
>>1の説明は>わずか数時間のプレイを通して、非常に壮大な旅をしたような感覚を得ることができる。
>濃密な体験 >プレイの思い出が、強烈な体験として記憶されている。 から
ナラティブだと評されている だぞ
もし「The Last of us」の物語の設定や筋書きが
アメリカ人にとって馴染み深くイメージしやすいモノであるのなら、
日本人ではナラティブに感じられない物語でも
アメリカ人にとっては豊かで詳細なイメージに支えられ
壮大で濃密で印象深いプレイ体験ができるかもしれないだろ
例に挙げられたゲームとは作りが違うゲームがベストナラティブ賞を受賞したら、
「説明がつけられない」じゃなくて
どこがどんなユーザーにナラティブを感じさせたのかを考えるべきだ
元々どんなゲームも全ての人間をターゲットにして製作したりしない
必ず「これこれこういうユーザー向け」とある程度ターゲットを絞って製作する
だから、「こういうユーザー向けならこういう所をこうすればナラティブを感じさせやすい」
というのはノウハウになりうるから議論する価値がある
また、ユーザーという人間に
ゲームのどの要素がプレイのどのタイミングでどんな影響を与えるのかを
人間工学や認知心理学・脳科学……
その他様々な人間の性質を研究する学問の研究成果を参考にして予測するのも、
製品開発での一般的で基本的なアプローチの一つだぞ
例えおまえがその価値を理解できなくたって、
人間研究している所が予算を獲得できるのは様々な製品開発で研究成果が役に立ってるからだ
ナラティブを感じている時の状態が、AHA体験の時の様に脳のほぼ全体が活性化して
多くの分野の情報を一つの物語にまとめ上げている という仮定も、
脳科学の研究成果「ヒラメキが起きた時の脳の状態」と「記憶の性質」に
ナラティブの体験談のいくつかと共通項が見られるからした予測であり、
こう仮定する事で、
ナラティブを感じさせるには脳全体の活性を上げる為にゲーム内のどの事柄も
必ず多様な情報(音・映像・文字情報・システムとレベリングで作り出す擬似感触(抵抗感))を
しっかり連動する様に組み合わせて表現し、
それを把握する為に脳のなるべく多くの部位が働く様に仕向けるとか、
全力を出さなければいけないと本能に判断させる為に
危機感を煽る様なシステムとレベリング・演出を用意するとか、
脳は新規のものに対しては積極的に情報収集する為に活性化するので
目新しい何かを登場させて脳を活性化させた直後に物語の重要な場面が来るようにするとか、
考えられる事はあるのだから、>全く無意味だ とはいえない
あえて、一本道をリニアと訳してるこのサイトを恣意的に選んでるけど、
http://m.game.watch.impress.co.jp/docs/news/20140324_640864.html 一本道のことを、Linear Narrativeって使ってる時点で、
ナラティブのニュアンスが
>>1と海外では違うことの証明だろ。
大体、壊レコは、ナラティブとは、
プレイヤーとゲームのキャラの動機を一致させながら、ゲームを通して物語を語る技術という岩崎のナラティブ観を支持してて、
Narrative Legosはただのシミュレーションであり、それでは物語は伝えられない、と否定してたんじゃないのか?
主張を変えたんか?
俺は本当に実現できるなら、Narrative Legosに基づくゲームをやってみたいな。
もともと、PC-98のルナティックドーンIIにハマったクチだし。
Linear Narrativeって言葉を使ってさらにNarrativeに統一された物から分けようとしている
Narrativeが全てのストーリーになっても別にそれで終結した訳じゃないという
都合の良い解釈してるけど、ナラティブを紹介したときに、
FF的なストーリーを押しつける一本道なものは何となくナラティブじゃない、って感じで解釈して紹介してしまってるから、
混乱がないように、大方のサイトで、リニアと訳してるだけだよ。
この人の紹介記事でリニアナラティブと訳してるのはGamewatchだけで、他のファミ通だとかは、ほとんどリニアと訳してるね。
Linearと言っていてもNarrativeについていってるんだからNarrativeと意味合いは同じかと
それをNarrativeでないとすればChild of LightもNarrativeでない事になる
Narrative Legosは作ってみれば分かると思うけど
結局一本道に帰結すると思う
何を目指しているのか?を考えると
例えば今見ている現実の世界を何度も見たいと興味をひきつけられるか?
無限に変化するけど
でも、何度も見たいとは感じない
それを考えると分かると思う
何故一本道とされてるゲームにリプレイ性が無いのか?と言うとストーリーとシステムが乖離しているからで
乖離していると言う事は同じシステムを何度も反復しているだけで
ストーリーはそれと無関係に進む
システムだけを抽出したらとても単純で小さな事
プレイヤーの体感するのはその小さな事に過ぎないから
プレイヤーの存在と物語の大局には無関係だから、何度も何度もその小さな事だけを長期間エンディングまで反復する
それにリプレイ性が無いのは当然で
自分のどこに係った、何をした時のストーリー、自分が自分の意思でやったから展開するストーリーだったら物語と一体化しているからプレイヤーの自分自身の物語になる
面白い小説は何度も読み返してみたいと感じる
ゲームでももう一度このシーンを見たいと感じればもう一度読み返す
そういう状態を作れなければ何度も読み返すなんて起こらない
バリエーションが無限大になる=何度も楽しめる
ではない
Narrative Legosはその乖離した物語の問題から抜け出そうとして出てきた案の一つかと
ストーリードリブンのNarrative Legosって発想自体は新しくないな。
Lunatic Dawn IIやLunatic Dawn 開かれた前途でも、クエストが連なって展開してったし。
また、ジャンルは違えど、SimcityのGlassboxも当初の構想では、
それぞれの要素が絡み合うことで、予想しえない結果を生む、生きたシミュレーションになる、と言っていた。
現実にできたものは程遠い出来だったが。
先が予測できないほうが、プレイヤーにとっては新鮮なプレイができるんだけど、
イベントドリブンな作りをすると、ひとつひとつの要素が希薄にならざるをえない。
それでもプレイヤーが補完できればいいんだろうけど、ルナドンみたいなゲームは人を選ぶだろうね。
言ってみれば、勇者になりきるごっこ遊びだから。
ただ、ハマる人ならば、あれ以上のナラティブなものはないだろう。
なにせプレイヤーが勝手に物語をつくるわけだから。
一方で、一本道がナラティブではない、と言えば、それもまた違う。
FFやゼノギアスといったSQUARE RPGをもとめるプレイヤーは、ゲーム体験を通じて物語を知りたいと思っている。
ゲームのキャラとプレイヤーの動機が一致していない、そもそもFF6なんて誰が主人公なんだよ?
とかそういうくだらないレベルの話じゃなくて、
ゲームを通して、FFの世界観を楽しんでるし、そこに自分なりに感じ入る何かがあれば、その人にとってのナラティブになる。
ナラティブが受け手側に依存する以上、
一本道だから、とかメルセデスメソッドだから、ってものではない。
「ナラティブ」は物語だから、「読み物」としての価値こそ必要かと
「読める」「物」
それは違うな。
その解釈でいけば、ドラクエ1やローグライクは読み物としての価値はない。
プレイを通して、ああやったこうやったって体験がプレイヤーの中で物語になるから、ナラティブになる。
まあ一方で、ゲームプレイそのものは面白いと思っていても、
ドラクエ1やローグライクをキーアイテムや、役立つアイテムを探して先に進む競技的なものとしてしか捉えてなければ、
ナラティブではないんだよ。
当然、読み物としての価値があって、プレイヤーがそこに感じ入れば、ナラティブとなる。
ナラティブって切り口は難しい。
完全なイコールではないけど、面白いゲームという意味に近くなるから。
面白いけどナラティブじゃないってゲームは存在するけど、
逆に、ナラティブだけどつまらないゲームってのは存在しえない。
つまらないと感じた時点で、そのプレイヤーのなかに感じ入るものはないからね。
それを踏まえたうえで、ナラティブかどうかって差別するのが難しい。
テトリスやぷよぷよみたいなのは、ナラティブじゃない。
ファミスタやパワプロといったスポーツゲームも違うだろう。
ただ、パワプロのサクセスはどうか?人によってはナラティブになりうる。
やきゅつくやOOTPのような、監督/GMゲームで、選手に感情移入したり、こいつにタイトル取らせたい、
っていうのもナラティブといえるだろう。
Gran Turismoもアーケードモードで車を走らせてる分にはナラティブではないが、
GTモードでライセンスをとり、腕をあげながら、新しい車を買ってチューンナップをして、っていう過程も、ナラティブになりうる。
受け手側に物語があれば良いわけだから、ナラティブっていうのはかなり間口が広い。
突き詰めると、面白いゲームとニアリーイコールなるんだよ。
それゆえナラティブって切り口で語るのは無意味かなと思うわけだけども。
>>245 そのゲーム体験を通じて物語を知るというのがプレイ体験と物語と一体になって無いから
と言うのを問題として出てきた概念ではないかと
プレイ体験と物語が一致する必要はない。
スクウェアRPGはキャラが勝手に動く、自分ならこうするのに、っていう不一致・違和感が物語への没頭を妨げるといわれるが、
そう感じる人はスクウェアRPGをやらない。
スクウェアRPGが好きな人は物語の進行に対して頭を真っ白にして楽しんでるだから、スクウェアRPGの見せ方は方法のひとつとしてあり。
大体、それを言い出したら、DQ3で、親父が殺されたってプロローグで言われても、
所詮、他人事だし、街も平和なのに、なんで魔王を倒しにいかなきゃならんの?ってツッコミもできる。
>それは違うな。
間違ってない
何か勘違いしている様に見える
とりあえずDQ1の方こそは典型的な読み物で読み物としての価値を持ってる
どちらかと言うとFFの方こそ読み物から外れている
FFはまだ物語りオンリーなのでそれだけ流したら読み物として感じるけれど
ではThe Last of usは読み物か?と聞かれたら全然ストーリーを覚えていない程読んでないのでは?
>>250 FFを典型的な例として挙げて使うけど実際はFF以外のゲームの問題だと思う
確かにFFを嫌いな人はFFはプレイしないだろうけど、別のゲームはプレイする
例えばDQ3で親父が殺されたってプロローグでいってもその後は全てプレイヤーの自由で
見て触ってどうするか決めるのは全てプレイヤーの感覚に左右される
最後の魔王を倒す事と言うのは物語の結末で
そのための間の時間をプレイヤーのプレイで埋めてる
FFタイプの場合はプレイヤーには判断の余地は与えられず一直線上に進んでいると勝手にストーリーは進む
物語の結末も最初は分からない
最終的な結末、どういう状態にすれば良いのか分からないから自分で話を運びようも無い
だから終始ストーリーに振り回される
どう展開するのか
ただストーリーの指図をたどってるだけで
一つの表現としてはいいかもしれない
でも殆ど全ての表現は実際はこれ
The Last of usも当然これ
DQ式では結末は最初から知らされていて、そこに至る過程を埋める
FF式では結末は分からず、その場その場で言い渡される指示を実行する感じ
どうすれば良いかどういう状態にもっていけば良いのか?プレイヤー自身が分かっていればプレイヤーの自発的行動になる
プレイヤーの自発行動でそれを物語に出来るから理解しやすい
どうすれば良いのか分からないけどその場その場の指示に従っている場合全体像は分からないから人によっては何をやっているのか分からない
人によっては何で今自分がここにいるのかさえ分からない、指示通り進んできたら最初と全然違う地形に着いたけど、何で自分はここにいて何を今してるのかさえ分からない
でも目先のやれと言う指示だけは知っているのでそれを続ける
そんな状態も珍しい事じゃない
何故なら自分の意思で来た訳じゃないから
そこに自分ならこうするのにと言う不一致出て来る
そういう違いは出る
ではそういう何も分かっていない状態でストーリーをプレイヤーに伝えられたのか?と言う疑問
ストーリーを伝えるに当って
>>75ストーリーはちっとも覚えていないでは困る訳で
>>248 ナラティブっていうのは単に物語をさすから物語がつまらなければつまらない
どうしたらその物語を色濃い状態で濃密に伝えるか?についての議論なので
前提の物語自体がつまらなければどうしようもない
面白い物語や設定や世界観をどうしたら伝えられるか?
どうしたらその面白い世界で濃密に物語を吸収できるか
つまらない物語でも、自分の体験になるから面白くなる
ゲームでのストーリーの伝え方ってと言う原点に立ち返って
ゲームでの伝え方
FFは主人公とプレイヤーの不一致を自覚して、それを逆手にとって活かしてると思う
FF7のドンデン返しもそうだし
8は、プレイヤーが主人公だけじゃなくいろんな登場人物の視点でプレイするスタイルを
精神を様々な人間に着脱する「ジャンクション」に象徴させて、それをモチーフに物語作ってる
10も、主人公とプレイヤーが一致してないからこそ、主人公とプレイヤーとの別れが感動的に描けてる
あの主人公とプレイヤーの近しさは映画じゃ真似できないし
どれも「ストーリー」って言葉の名の下に、映画で代用可能なゲームの代表として扱われてきた
FFは例として使うのにうってつけだから
どれも暗に現実の問題を描いてる点、解釈の幅がある点も共通してる
サガフロ2とかも、歴史の意味をプレイヤーが解釈して物語を自分で作ってくって内容だし
ベイグラントストーリーも踏み込んだ物語表現やってるし
スクウェアRPGって結構いろいろ模索してた
「読み物」と言うのは、自分でページを捲れる
ゲームでの物語の読み方というのは、触れられるものを自分で触れて触ってこれは何か?を一つ一つ確かめて
それを自分なりに整理して、その調べた事を統合してその意味を自分なりに理解する
調べれば調べる程、読み進める事になる
これは何ですか?
砂漠を歩いていてふと何か見つけた、調べてみる
ではこれは?
それをさして物語を読む
自分では調べられないけど一方的に展開されると言うのは「読み物」では無いと思う
流されているだけで自分で呼んでいる訳ではない
聖剣LoMとかもそうだな
ランドメイクで世界そのものをプレイヤーが作ってくって感じだった
どれも「ストーリー」って言葉じゃ評価不能な物語表現だったと思う
かといってゲームシステムの良さって文脈でも評価しづらい
システムがいいゲームって言うと、競技的な楽しさがあるゲームってニュアンスある気がする
どちらかと言うと単純にストーリーと言う言葉に出来る方がナラティブの意味合いに近い気もすると思う
分かりやすい内容
ゲームはストーリーでもシステムでも語れない領域がものすごく広いのに
言葉がないために、狭く語られてきたような気がする
ナラティブって言葉が根付けば、語れる領域が少し広がるかもな
264 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/20(日) 14:12:35.34 ID:CTlHq8ARO
別に「ストーリー」のままでも語れるだろ
そんなの言葉の上っ面に振り回されてるだけなんじゃねーの
てかドラクエT形式で実際に作ってみた方が良いんじゃない?
(RPGツクール用のドラクエ風グラフィックチップみたことあるよ)
ドラクエTも新しい工夫がいろいろ詰まってたらしいし
ドラクエTくらいに単純な方が本質が分かりやすいでしょ
人生ゲームとかで例えたほうがいいんじゃない?
全員が全員同じマスに止まることはありえず、
それでいて、それぞれのストーリーを形作るように設計されてる
>>237 >一本道のことを、Linear Narrativeって使ってる時点で、
>ナラティブのニュアンスが
>>1と海外では違うことの証明だろ。
だから何故お前はナラティブが本来の使い方をされている所を挙げて
>>1の転用された使い方
>非常に壮大な旅をしたような感覚を得る
>濃密な体験を、海外では“ナラティブ”だと評されている
と一緒くたにしようとするんだよ 本来の使い方をされてる時は本来の意味で使われているし、
転用された使い方をされている時は本来の意味とは違う意味で使われてるって言ってるだろ
Linear Narrative(線形の物語)のナラティブは本来の使い方「名詞(物語)」として使われている
しかし
>>1のナラティブはゲームを評するのに使っている
つまりナラティブを「形容詞」として
しかも本来の形容詞としてのナラティブ(物語体[風]の)とは違う意味
(非常に壮大な旅をしたような感覚を得る・濃密な体験ができる)で使っている
>ナラティブとは、
>プレイヤーとゲームのキャラの動機を一致させながら、ゲームを通して物語を語る技術という岩崎のナラティブ観を支持してて、
>Narrative Legosはただのシミュレーションであり、それでは物語は伝えられない、と否定してたんじゃないのか?
俺のどのレスを指して言ってんだかわからんが、少なくとも今の俺は
ナラティブという感覚は魅力的で、爽快感や達成感の様に
それを供給する方法を追求する価値があると思ってる
ナラティブは感覚なんだから、それを感じさせる方法なんて何通りもあって当たり前
爽快な小説・爽快な映画・爽快なATC・爽快な戦術SLG・爽快なTCG……どれも在り得るように
つか、もしかしてお前は、俺が「プレイの内容と物語の内容を一致させるべき」って言ってんのを
「プレイヤーの動機とキャラの動機を一致させるべき」と言ってると勘違いしてた奴か?
そのレスは壊レコに向けたもので、あなたに向けたものじゃないです。
あなたに言ってるのは、
>>1の限定的な意味でナラティブを使うと、
ナラティブはもっと広い意味で使われてるっていうレスで堂々巡りになるから、
このスレの流れから、包括的な意味でとらえるべきだと言ってるだけです。
結局、ナラティブの意味がどうこうに終始してるだけで
ストーリーテラースレよりも議論が後退してるんだよな
anago.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1376348044/517
>>264 >言葉の上っ面に振り回されてるだけなんじゃねーの
そういう場合多い気がする
風ノ旅ビトもFTLもストーリーが良いって言っても伝わらんし
リンゴの事を「赤くて拳大で丸っこくて芯があって甘酸っぱい果物」、
ってイメージしづらい上に長い文章で言わなきゃならんような煩わしさある
それが、マニアや開発者だけが気にとめる要素みたいな感じに拍車かけてる気もする
その辺の要素を表す言葉ってアレじゃね?
誤用のほうの「世界観」ってやつ
「雰囲気」とかな
「雰囲気ゲー」とかネガティブなニュアンスあったりするけど
他に言い方ねーのかって思う
「ベスト雰囲気賞」
とかあってもすごいどうでもいい気がしてくる
「雰囲気」を壊さないってことも、結構難しいからな。
今、Watch_Dogsをやってるけど、オープンワールド系って、進捗度がわかるのが多いじゃん?
アレって結構、「雰囲気」を壊してると思うんだよな。
せっかく世界を作りこんで、そこで生活してるような感じを演出してるのに、
進捗度が表示されることで、その世界でやれることの上限・天井を示されてるようで。
登場人物から、10個の隠しアイテムがある、と聞かされて上限を知るのと、
メニューを開くと10個の隠しアイテムがあると知らされるのだと、感覚が違うよな。
まあ、やりこみ要素が好きな人間にとっては目安になるから必要なんだろうけどね。
なるほどなるほど
夢の無い言い方で好きくないが現実的な部分(データとか数値とか)から上手く目を逸らす工夫もナラティブに繋がるのか
277 :
ゲーム好き名無しさん:2014/07/21(月) 14:26:56.12 ID:4VHehl1bO
そういうメタをネタにするパターンもあるけどな
>>268 名詞として使われている時と形容詞として使われている時を同一視するのは
包括的なんてレベルじゃないだろ 完全に混乱の元じゃないか
リンクされた記事で出てくるナラティブのほとんどは
名詞として本来の使い方で本来の意味で使われていて
滅多に転用された使い方のナラティブが出てこないのに、
転用された形容詞のナラティブで表される「魅力」に関しての記事に出てくるからって、
本来の意味(物語という意味の名詞)で使われているナラティブを
転用された実質綴りと発音が同じだけの別物のナラティブと同一視するなんて
百害あって一利なしだ
あと、気付いていなかったとは驚きだが
おまいが壊レコっていってる2人のうちの一人は俺だから
AHA体験をした時とナラティブを感じている時の脳の状態は近いと言った方な
砂漠を歩き回るゲームもFTLもストーリーの伝え方は似てる
断片化されたストーリーを断片のまま伝える
それをプレイヤーの頭の中で再構築して物を物語とする
語ってる物語的にはどうしたら何を体験した、何したら何を体験した
>>268 (
>>278の続き)例えば、アメリカの2ちゃんねるみたいなサイトで
レモン市場 (lemon market)の問題について議論するスレ が立ったとする
このレモン市場のレモンはアメリカの俗語で「質の悪い中古車」を意味するが、
果物のレモンと同じ綴りで同じ発音の同じ単語だ
何かのきっかけで転用されて「質の悪い中古車」をも表す様になった訳だ
この レモン市場の問題について議論するスレ で、
果物のレモンの市場における問題を
どちらもレモン(lemon)だからという理由で出してくる奴がいたらソイツはアホだろ
二つは全く別の物なんだから
名詞の「物語」の意味で使われているナラティブと
転用された新しい形容詞の
「非常に壮大な旅をしたような感覚を得る・濃密な体験ができる」の意味で使われているナラティブも
例に挙げたレモンと同じで一緒くたにしちゃいけないんだよ
大体、英語圏では元々「物語」という意味で使っていたナラティブを転用してしまったから
「物語」も「非常に壮大な旅をしたような感覚を得る・濃密な体験ができる」も
どちらもナラティブというしかないが、
日本語圏では「物語」(名詞)のナラティブは”物語”、
「非常に壮大な旅をしたような感覚を得る・濃密な体験ができる」(新しい形容詞)のナラティブは
当てはまる訳語がないから”ナラティブ”と分けて書けるだろ
わざわざ一緒くたにして混乱の元にしなくていい
ゲーム中でナラティブ体験を得る箇所が人によって違うんだから
結局ナラティブ体験なんてものの定義は存在せず
ストーリーと言い換えても差し支えないのでは
定義した瞬間、陳腐化して、雲散霧消する言葉ってのはあるわなぁ。
例えば「家族」とか「友情」とか「愛」とかな。
どれも「個別の体験」であって客観的な言葉にしようとすると
それぞれが知っているものの実態とかけ離れる。
古今東西すべての表現物は、その客観と私観の間をゆれ動いて、
共感を生み出そうとしている。
ゲームは他の表現物と違って、単一のシナリオではなく
「フリーシナリオ」みたいなものができるから、
個別の体験を生み出せること(可能性)がある、ってとこが
新たな評価点とすべきであるってことなんではないか?
ひらたく言えば、印象に残るゲーム、ぐらいの意味だからな。
ナラティブと言えば、そこから多少、範囲が限定されるだろうけど、印象に残るポイントは人それぞれだから、
>>1の説明でナラティブを定義しちゃうと受け手側によってズレるんだよな。
人によって感じ方違うのはナラティブに限った話じゃなく、競技性とかもそうだろ
その上で色々評価してんじゃん
プレイヤーの解釈に任せると言っても、
良いゲームはやっぱり問いのチョイスや問いの出し方や答えの受け取り方が上手いし
マインクラフトのようなプレイヤー依存度の強いものだって、
そういうゲームなりの評価の基準があると思う
単にまだ共通言語が乏しいだけってのもある気がするけどな
インベーダーの頃のゲーム観じゃドラクエの楽しさを共有しにくいのと同じで
双方向性の強みを活かす以上は
双方によって定義されるのが普通って気がするけどな
>>283 どちらかと言えば、誰にとっても共通の印象深い作品や印象深い場面をどう作れるか
多数に人に印象に残るゲーム、そのゲームの印象に残ってる場面
誰に聞いても同じような事を言うゲーム
でもその同じ場面の記憶をそれぞれ体験の仕方は個で
同じ印象に残る同じ場面の受け取り方も個々で違う
同じイベントシーンで同じ印象に残ってもそこに至った経過は違う
それと、記憶に残らないけど、面白かったんじゃない?ってゲーム
>>284 このゲームはナラティブだ、って説明した時の具体性って、
このゲームは印象深い、面白い、と同じレベルの具体性しか表してないからな。
このゲームは競技性が高い、ドラクエよりダンジョンマスターのほうが競技性が高い、
とかなら、ゲームクリアの障害の高さやダンジョンの迷路のつくりの複雑さとか、
客観的な指標・基準で共通認識が持てるけど。
マインクラフトの面白さを説明する場合も、ものづくりの視点からシムズと比較したり、ブロック遊びに例えたりするわけで、
「面白い」を基準に評価するわけではないじゃん?
「ナラティブ」って切り口で共通言語たりえるか
マイクラはハクスラサバイバルゲーの側面も強いからなぁ
>>287 言い換えると
このゲームは物語的だ
このゲームは本だ
このゲームは読み物だ
ナラティブは「物語」って訳は適切じゃないんじゃないか
辞書を引く限りだと、どうも「会話」に反する「語り」って感じだ。
(例文で、too much dialog,not enough narrativeってあった)
一般の使われ方も業界での慣例的な使われ方も関係なく
>>1で定義してるのがこのスレでのナラティブだろ
他のことを語りたいなら他のスレでやればいい
お前らが定義で管巻いてる間に本場はもう方法論まで進んでるわけで
日本で議論するのはもう諦めろ、どうせまとまらん