どうして怖いゲームを作ろうとして怖いゲームを作れないのか???
自由に書き込んでOK
どうして怖いゲームを作ろうとして怖いゲームを作れないのか???を語るスレです
たけしくんの言語力訓練スレ
・作者は怖いと思ってもプレイヤーが陳腐に感じて萎える
・ゲーム性などが糞で怖さ感じるよりもつまんなくて引く
とか?
どいつもこいつもビックリトラップの域を出ないから
和風ホラー()殺人鬼()ゾンビ()
カイガイ病が原因
漫画化が自分の描いた漫画を期待しながら次のページを捲って読めないのと一緒だから?
最新のグラフィック技術で作られた半透明の幽霊とか見てて物悲しくなってくんだよ
記号化してみたら?
その幽霊を
それとも、古いCGの方が面白いのかな〜
白いかごだか布切れだかみたいなの ←これが幽霊です、触れたら死にますって言えば怖いと思う
初期の頃の3DCGに出てきそうな
>>1 ユウ トラ アイ
レイ ップ テム
-------------------------------------
14 :
ゲーム好き名無しさん:2014/02/13(木) 02:11:09.38 ID:e1oMBFyZO
怖くなかったのは…
バイオ6体験版
ゾンビですぎ(笑)
ゾンビが火炎瓶とか投げてくる(笑)
ゾンビじゃない敵と戦争。
体術強すぎ…
すべてが真っ黒なライティング。
ナナシノゲエム
ゲームの中でバグったゲームをやらされるんだが、それがわざとらしくて覚める。
逆にホラーじゃないのに怖かったのはかまいたちの夜
15 :
ゲーム好き名無しさん:2014/02/13(木) 02:12:38.19 ID:e1oMBFyZO
ラストオブアスもゾンビより人や世界のが怖かったかな
隠れて移動するのは緊張したが
天然の怖いゲームってファミコンのキテレツ大百科とか?
バイオは全部怖くないだろ
一つ思いついたのは日常感がないから
普通の日本家屋を舞台にしてプレーヤーが普通に生活しててもゲーム思い出して怖がれる内容にしたら良いと思う
零かSIRENだな
バイオなんかいい例ですよね
何で怖いゲームを作ろうとしてるのに、全然そうならないのか
>>19 もう一歩踏み込んで廃墟とか廃屋じゃない一般家庭の家のホラーがやりたい
>>18 舞台が特別すぎるんだと思う
設定も特別
山奥だったり、研究所だったり
普段自分たちが生活している生活環境そのままで何か起こればいいんだろうけど
普段どおり学校に登校して下校するはずだった人がただ帰るだけが大変な事になりました
「同じ場所なのに昼の顔と夜の顔が全然違う」感じを再現できたらいいのだけど
昼間はみんな友達同士で冗談を言って悪ふざけをしていたその友達の家が、夜は二度と目にするのもいやなトラウマの場所になるように
昼間みんなといた時は、玄関の出口から簡単に出れたのに、今は閉じ込められて家の中には何かいる
そんな世界観の再現が無い気がします
廃墟なのもそこに来るまでの主人公の日常をきちんとゲームに出来ればいいんだけど
いきなり廃墟から始まるから、普段の日常に戻りたいと思う気持ちが芽生えない
普段と違う場所と言う設定でも、はじめからその場所でその場所に適した行動を取っててそれが自然で当然になってしまう
廃墟に来るいきさつをプレイヤーが持ってない
そんな感じ
印象ががらりと変る原因は
「敵地に来たぞーこれから色々出るぞー」と思ってるのと
「まだ、出てないのに出るぞ出るぞ」と脅し続けてるのとの違いみたいな感じかな?
お化け屋敷に入って出るかどうかで怖がる奴はいない、出るに決まってんだから
ゲームも同じ。出るに決まってるし幽霊に決まってるし関わったら死ぬに決まってる
それで呪いだの祟りだの過去の事件だの言われても付き合い切れねーのよはっきり言って
出るのが分かってるから、出るかどうかで怖がるんだよ
現実世界に生きる常識的な大人だったら出ると信じていないから夜に柳を見てもなんとも感じない
夜に何かがゆれていても物理的な何かだと思うだけで怖がったりしない
出ると信じているから出るかもしれないのが怖いんだよ
出る事に真実味が付いているから
出るのは決まってるけど、出てこない
出るのは決まっているけど、どこで出て来るかの部分は分からない
どう出て来るのかも分からない
敵たちが常にAIしてるのが悪いんだと思う
機械的な何というか、未知さが無い
AIで巡回してるルート(が存在するんだな)って最初から分かってる
何かもっとプレイヤーの裏をかこうとして欲しい
プレイヤーが逃げた先で待ってるみたいなのは初歩だけど、単に待ってるってよりプレイヤーがそこなら安全だと推理して向かったらそこにいる・・・
「やっぱりいるだろうか?もう絶体絶命だ」と思っていってみると静まり返ってそこにはいない・・・(祈ってるといない)
見たいに裏をかいて
じゃ、どういう時、プレイヤーはそこは安全だと推理するか?
どういう時、絶体絶命で助からないと感じるか?
だと思う
不自然な扉が半開きの収納スペース・・・扉の下から何か見えてる・・・
こういう心理描写
それじゃ・・・開いてみる?そうしたら中から何か怖い物が出てきたりする場合と話を進めるの必要な物が見つかる場合と(勿論ランダムでそうなってる訳はない)
だったら次からも、そういう怪しい場所を神経をすり減らしながら調べる気になるでしょう
家具の陰になっている怪しい場所を覗いてみると
そこに置かれてる怪しい物体も
ただの窓さえも
それと、隠れるゲーム多いけど、同じ「隠れて待つ」でも、見つかってる場合分かりやすい反応するから
見つかった(=プレイヤーが見えてる)時の反応が見つかってると外から見て分かってしまって
見つかってない(と心で思っている)時の緊張感が無い
見つかってる時と見つかってない時のモーションが同じで、それだったら探してるふりをしてる時、向こうに行って!と祈れる
引き返そうとするので、見つかってないようだと安心したら戻ってきてぐさりと
見たいな心理的な部分が無い
ホラーって要素自体がそういう計算をしない子供向けのものな気もする
そういう計算って?
計算が何の事を指しているのか分からないけれど
恐怖って言うのは計算されていないと出す事は出来ないと思う
人間の裏をかかなきゃいけないから計算は必ず必要だと思います
別の場所で何かをすると、普段出ない場所で怖い物が出たり
普段逃走するのに使うルートが突然使えないようになる
いると信じ込んだ時いない
いないと信じ込んだ時いる
そこに存在するはずのものがそこには無い
そこに無いはずのものがそこに存在する
全て計算しないと無理だと思う
そういう計算をしないで、ただ敵となる凶暴そうな生き物を出してるだけだから恐怖を作れないと思いますよ
それとも計算って何の事なのかな?
35 :
ゲーム好き名無しさん:2014/02/23(日) 03:00:28.24 ID:Ot6SRrKiO
決まったルートを巡回してるとダメか。確かに驚きはないよな。
アイアムアヒーローみたいに生前の行動をなぞってたりしたら、まだ面白いかも。
SIRENを進化させたような
ハードが進化して、ゲーム画面が綺麗に鮮明になればなるほど怖くなくなっている気がする
昔の見えづらい画面のほうが恐怖心煽られた
それに鮮明になるとグロに走っちゃうからね。グロはすぐ耐性つくしホラーではない
一人称画面で、よーく見ると隙間から目がこっち見てるとか、天井見たら女が張り付いてるとか、そういう和ホラーを再現したら怖そうなんだけどな
気づかない人は気づかないまま、でも気づいたらゾクッ!みたいな
つい最近CSかなんかで大昔の世にも奇妙な物語を見たんですが
猫だか蝶だか出て来るOPのCG
このCG映像ぐらいがちょうど違和感と言うか不安感が大きいね
現実と架空の世界の狭間見たいな違和感?
今いる現実世界を再現されたら困るし、かといってそれらしい世界観が欲しい
>>36 でも和ホラーはあくまでもそれで止まっちゃうんだよな。
ビックリした〜ぐらいしかゲームでは表現できない気がする。
だったらスプラッタ要素のあるほうが勢いとかもあって怖くなるからねぇ。
>>14が真理じゃね?
ホラーとゲームは相性がもともと悪い。
なぜならゲームは敵を“倒して”進むもんだからね。
(昔こそ敵は倒せませんので回避して進んでねゲーもあったけど)
怖い怪物でも倒せるとなれば怖さ半減だろう。
だから、ホラーでゲームを作るなら敵は倒せない仕様にするべきかと。
かまいたちの夜はBGMも秀逸だったな
>>36 見てしまったらゲームオーバーにしたらどうなんだろう
>>40 “倒して”進むってより“撃てる”ってだけで、怖いから撃つ
ってなってたと思う
バイオのゾンビはどこに行ってもいる
だから、“怖いから撃って倒して”もどこにいってもいるから倒してすっきりした事にならない
だから一概に倒す事が出来なければ怖い訳では無いと思う
>>42 おもしろいなww見ただけで怖いのにそれでゲームオーバーとか心臓止まるわ
ぬるいリトライだったら、ゲームオーバー集めプレイも捗りそうだ
見ただけでゲームオーバーだとクソ難易度になりそうだから、見て触られたらアウト(移動速度めっちゃ早い、もしくは可視範囲が狭いから見た時点で実質アウト)とか
3秒以上視界に入っていたら認識したとしてゲームオーバー
ぐらいは?
それとも見て3秒ぐらいすると天井から降りてきて殺される(よけられない)
見てから3秒経過する前に視界をそらして、“見なかった事”にしてそのまま別の場所に逃げてトイレとかの個室に閉じこもってふるえてると助かる・・・とか
でもそうすれば確実に助かる訳でもない
トイレの個室にこもって、ふと上(または下)を見上げるとその女が覗いてる・・・
それを認識するとゲームオーバー
とか
風呂入ってる時に後ろを振り返り、気のせいか…と思い
視点を前に戻したら眼前に血まみれの何かと対峙してゲームオーバーとか
風呂入ってる時に鏡を見ると何かが後ろを通り過ぎたような気がする・・・
後ろを振り返ると何もいない
そのまま視点を前に戻したら
見たいにしたら面白そう
我慢して後ろを振り向かなければ助かる・・・
何も気がつかずにのんきにそのままいると殺されてゲームオーバー
気がついたけど必死に後ろを振り向かないようにしてる事が大事
普通にPSででてた「ダークメサイア」だな。
>>36 作り物ってわかってる和ホラーなんてギャグだしその先が作れない
祟り死とか表現しようがない
逆にそこまで和ホラーにしようと思わなくても、和ホラーの要素を取り入れるくらいでいいんじゃないか?
基本は普通のホラーだけど、ところどころ
>>36が書いてたみたいなエッセンスがあったり
隙間から目がこっちを見ている、というただのギミック
>>50 どこが似てるの?
>>51 物はやりよう
祟り死とか表現しようと思えば出来るでしょ
むしろその場にいる人から見えないで処理するからコンピュータのゲームに一番向いてそうな気がする
自分の死の宣告が見えないんだから見えてる部分だけで必死に何とかするんじゃない?
>>52 隙間から目がこっちを見ている
だけだと、押し不足だから
「隙間から目がこっちを見ている」のを発見したその後に何かが出て来るかもしれなった方がいいと思うけど
何かが出てきそうな気になる
予兆みたいな効果
何かがいそうな場所と、何もいない平和な場所と違うって
>>53 モンスターが倒せない前提で自キャラは逃げ回るしかない、ってところ。
ダクメサだと捕まったらアウト(仲間がいればそいつが身代りに)だが、
それを画面内に映してる=視界に入るだけでもアウト、
その代わり視界外から襲われることはないようにしよう
ってことかなあ、と思った。
>>54 面白そうだけどイメージは違う感じ
イメージしてたのをたとえるとこんな感じ
壁のしみや木の木目を突然調べる事が出来て
調べるとそれが人の顔に変ったりしてゲームオーバーになる
ホラー映画って昔から変わらないよな
同じことを繰り返してるだけ
没入感もあるしまだゲームのが先がある
このスレってずっと同じ人が延々妄想してるよなww
ジャンルがある程度成熟しきっちゃうと
ある意味お約束を楽しむって方向にシフトしちゃうことは多い
ゲームで言えばイルブリードなんかそれなんだろうけど
逆にゲームで真剣にそれをやってかつクオリティも高いということが斬新ではあった
「horror」を「horror」たらしめない最大の要因の一つは誰も死なないところじゃないかな?
「horror」と言えば普通は、最初は主人公と同行していた人物たちが次々と無残な姿で見つかる事が多いと思う
でも今出てる「horror」と名乗る作品はたいてい、"主人公一人または複数人vs敵"の構図で主人公は主人公たちに挑んで来る敵を一方的に倒しながら進む事に
その途中で味方が息絶えても感動のシーンを演出して次
主人公に出し抜かれたりやられる為の敵たちが次々登場します
これって主人公の活躍話(=成功談)じゃないかと思います
本来の「horror」の形状では、主人公とその他メンバーが「horror」な事態に陥ったら
主人公の目の前から消えたメンバーが次々無残な死体で主人公に見つかる
たいていは、一見そういう事実が見えない平和そうな見た目でしんみり静まり返っている、主人公はそこを不安を抱きながら探索してる
でも、ふと、普段目をやらない場所に目をやると無残な死体が・・・
上から何か落ちてきている、それを調べてみると血だ、血が滴り落ちている上を見ると、行方不明になっていたメンバーが天井に磔に・・・
恐れていた事がここで現実に
それから次々、知ってる人の惨殺体が見つかる、トイレの個室の中に、本棚の裏に、冷蔵庫に
いつか自分もその中の一人になる不安を抱えながら、絶望的な中どうしたら良いのかを考える
そういうのが「horror」じゃないかな?
構図も逆転してる
団体で来て次々やられる役だったのが主人公の同行者ないし主人公の味方だったはずが
団体で来て次々やられる側が次々来る敵たちになってる
登場する敵(的)は常に「自分は恐ろしい存在だぞ」といきがって強がってるけれど、実質一方的に主人公たちいたぶられるだけ
どんな性能の敵がどう襲って来るか、それをどうさばききるか
そんな部分ばかり追求してるから今出てるゲームの大半
この敵はこんなに強い、攻撃力が強い、耐久力が強い、動きが早い
死なないから逃げるしかない、どう逃げるか
全部どうさばききるか
だから
敵たちは襲っては来ているものの、やられてるのは全部敵たち自身だから
そして主人公には傷一つつけられない
本当は主人公側が傷つけられるものだから
自分たち一行はどこかに入った
そうしたら外に出られない
そうしたら、一緒に来た仲間と逸れ一人に
一人で行動していると、一緒に来た仲間の惨殺体が一人また一人
そういうのや、何かにつけられている
警備員に助けを求めると、その警備員は死体だったとか目の前で惨殺されたとか
クロックタワー2は秀逸。でも3をカプコンが出して駄作に堕ちた。
一見そういう事実が見えない平和そうな見た目でしんみり静まり返っているって部分の表現も逆転してるよね
本当は、何も出ないで静かで、そういう中に恐ろしいものが出る
静かな場面がメインで、その中に恐ろしいものが出るっていうのが本当の怖い話のはずなのに
それが逆転して、常に(メインで)敵が出てきて、敵が出ている方がメインになってる
だから常に倒し続けたり回避し続けたりする
静かで何も今はいないけど、いかにも出てきそうって感覚が怖いのに
出て来るのは当たり前で、出てきた敵とどう戦うかって部分を作ろうとする
常に戦っていようとする
常に戦っていて生き残れるならむしろ恐れる必要ない
戦ったら生き残れないから出てきたら怖いんだよ
自分の力で安定して対処できるならそこまで怖がる必要ない
でも、自分の力で安定して対処する前提でゲーム作ろうとする
戦ってる場面をゲームのメインにおこうとするから
倒す事が出来ないから、逃げるしかない?
逃げる事が出来てるよね
自分の力だけで自立して自分を助ける事が出来てる
自分の足で
怖いゲームは意外性を創造できる人にしか作れない
なぜなら予測できてしまっては怖くなくなるから だから今の想像力の無い作り手には
無理 製作現場で波風立てず人と同じようにやっていこうとしてる人間には作れない
サラリーマンは物差しから外れた発想は排除しますからね
そして受け手も一回怖い経験すると予測の選択肢にそれが入ってしまって怖くなくなる
だから作るのが難しい バイオも怖がらせるよりアクションや格好良さに比重を置いてった
だってそっちの方が簡単だから
そんなあまりにもステレオタイプな偏見に凝り固まった人に意外性云々とか語られたくないよな
今の現役世代が才能が無いと言うか全然だめなのは確かだよね
全然分かってない感じはする
>>65 >そして受け手も一回怖い経験すると予測の選択肢にそれが入ってしまって
予測の選択肢にそれを入れる事で恐怖を維持するように作れます
一回怖い経験をすると、もう一度それが来るかも知れないその選択を嫌がる様になる
例えば見つけた箱を開けて怖い思いをすれば次回から箱を見つけても開けるのが怖い
それと一度「怖い」と感じる世界観を構築できれば、もうその後どこで何が起こるか知ってもその怖いイメージは残り続けます
そこを怖いと思った場合「前に見て怖いと思ったその印象」で見るから同じシーンを二周目とかで一度見た場面でも最初の事の感覚で怖い物だと感じる(またはここは怖かったと感じる)
むしろその印象でしかもう見れないので
一回怖い経験すると恐怖を感じないと言うのはたぶん恐怖をきちんと作れていないんだと思います
その場の脅し程度でとどまってしまって克服されて
だから、二度目でも二周目でもそれはもう見たってなる(同じ様なシーン二度目と同じ場面二周目とではまた違った印象を受ける、同じ様なシーン二度目では恐怖で二周目では怖かった回想)
本当に恐怖を与えられていたら、二度目からはそれがもう一度来るかも知れないと思っただけで恐怖するし
ずっと残り続ける・・・
ゲームを終えた後もトラウマとして残り続ける・・・
プレイヤーの立場も関係すると思います
プレイヤー>敵 の場合は敵が挑戦者、敵たちがどう脅かすか?を考える、プレイヤーから見たら一度見たものは克服、それはもう見た
敵>プレイヤー の場合は敵に主人公が支配されている状態、一度見たら二度目は条件反射で恐れる
後は意外性を効果的に使うといいと思います
一度経験した事をもう一度経験するのがいやなその状態で、ではその目の前の箱はいじって大丈夫?
この部屋は入って大丈夫?
一度入る事で怖い思いをした部屋・・・入るのは怖い→でも出てこない
前に大丈夫だった事→今回も大丈夫?
疑心暗鬼を作れる
その他にも色々プレイヤーの裏をかいた作りこみは必要だと思います
恐怖を与える以外の場面でも
予測されるのはそういうシステムで作るから
何々の場合何々が起こる
とシステムに組み込まれていて、そのシステムを使って攻略しろと言う作りになっているから
まずこういう時にこういう事が起こる、プレイヤーはそれを覚えてからスタートする
足音が聞こえたら敵が来る・・・だったらこの場合、足音を聞き分けて敵をよけろ、と言うシステムを作る
本来は足音がするっていうのと、敵が来るっていうのは直接的にはつながりが無い
足音がする(いるかいないか分からない)→ずっとそこで進めずにいる、待ち続ける(実はいない)
確かなものが無いから敵の幻が見える
そうしていると予想もしない場所からも出てきて、そっちも警戒する羽目に
今のシステムでは、敵の足音が聞こえたら敵がいるというのは「敵に足音=必ず敵がそこにいる」=必ず対処できる=必ず対処しなさい=所定の手順で対処しなさい
動物に芸を教えてるのと同じで、手をたたいたらこういう事をしなさい
全体像を把握する力が足りてないんだと思います
全体像を把握する力が無いから、必要とされる物がその一点に対する感覚だけで済む見た目だけの格好良さに比重を置いてってるんだと思います
それと作り手の側だけで作れるストーリーを延々と作る
全体で見ると支離滅裂
本当は離れてみたら全体像が見えてそれがきちんと繋がらなきゃいけない
プレイする相手がどこでどう感じるか、どこでどうすればどう感じるか
それとこの場面でプレイヤーだったらどうしようとするか?そのどうしようとするかをした場合どうするか
そういう部分は大切だと思います
全体の整合性、矛盾は無いかとか
この部屋には窓が存在するのに、正面から敵を突破するしかないとか、矛盾してる
窓から出ようとすると不幸な目に遭う、だから別の道を見つけよう
窓が無いと言うのもだめ、最初から一歩道を作ってるだけだから
偽者の選択肢で誘って、だから自分が陥れられる物がいっぱい
だから結局全体を見る目が必要かと
ここでは何が起こっていてここでは何が起きていてここでは何が起こってそれを全てつなげる力
そしてプレイヤーはどう考えて、それに対してどうする、それともつなげる
そういうのがばらばらになってる
そもそもゲームでびっくりしたことはあっても怖がったことがない
今の現役世代ってオカルト作るの異様に下手だと思う
オカルト物自体皆無だけど
魔術とかいうと、必ず理屈とか原理をつけたがる
制約付きのゲーム試したいね
・絶対に後ろを振り返ってはいけない
とか
・絶対に光に当ててはいけない
とか
・絶対に見てはいけない
とか
制約を破ると悲惨な事になる
エンディングの使い方、分岐の使い方を
例えば、エンディングではっきりとは物を申さず不安を残すやり方
解決した後、まだ何か起こりそうな描写で閉じる
エンディングの分岐でも、完全な後腐れないエンディング以外は、必ず何かしらまだ終っていないような描写をすれば
どこまでやってもなかなか悪夢を引き離すが出来ないという印象を残すができるので
しつこさ
映画でもだけど、先にネタバレしてから「それ」が出るっていうのはやめた方が良いと思う
この敵の素性はこうで、その敵がこれから襲い掛かる
何も分からない状態でいつ襲い掛かられるかも分からない
だからいつも警戒
そして最後にその敵の謎を解いてエンディング
謎を解いたらもうエンディングだと思う
78 :
ゲーム好き名無しさん:2014/04/09(水) 21:40:57.77 ID:EWsW0nAH0
>>74 >オカルト物
本当やらなくなったな。たまにTVでやってもつまらんyoutubeの素人作品のびっくり映像流すだけ
90年代は漫画も多かったしアニメもやってたんだけどなぁ
クロユリ団地はすげークソだったしギャグにしか見えなかったw
79 :
ゲーム好き名無しさん:2014/04/09(水) 23:40:47.45 ID:Kk6CPZ6/0
↑貴方は確かに悪い人ではありません。
根はいい人だと思います。
ただ、ちょっと脳がおかしいんですよね貴方
病院で頭診てもらったら完治するでしょう。
先ほど、BBSサイトおよび都会・田舎サイトの利用者にも
おんなじような忠告を致しました
そこのサイトの利用者も貴方達と同類なんです
80 :
ゲーム好き名無しさん:2014/04/09(水) 23:41:40.22 ID:Kk6CPZ6/0
別に悪い人ではないんですが
ちょっと脳がおかしいというかイカれてらっしゃるんですよね?
かなり心配です
彼女らには是非まともになってもらいたい
貴方達も例外ではありません。
>>74 非科学的なのはわかってるんだから、それを踏まえてオカルトゲーム作って欲しいな
「科学」的な説明で強引な落ちつけたりすると余計にテンション下がる。
82 :
ゲーム好き名無しさん:2014/04/10(木) 03:21:23.31 ID:8dXBNk0s0
いわくつきのゲームとか無いんですか?
83 :
ゲーム好き名無しさん:2014/04/10(木) 03:24:29.55 ID:8dXBNk0s0
いわくつきのゲームとか無いんですか?
サイレントヒル4みたいな家がちょっとずつ侵食されていくかんじとかどう?
普通に住んでたんだけど、急に…みたいな
仄暗い水の底からのような雰囲気でさ
エンディングも感動ものとか鬱自殺エンドじゃなくて、なんだったんだ?みたいなあとに後ろにまだお化けがいて…エンドとか
85 :
ゲーム好き名無しさん:2014/04/10(木) 11:50:50.35 ID:8F/ApYzO0
バイオは科学なのかオカルトなのか
始めはよくわからないところが恐くて良かった。
一応、クロックタワー2も単なる異常者なのか、悪魔の子なのか
世間と他のキャラで対立しているところは面白かった。
でもゲームとしてはいまひとつというか。
>>74 魔法が原理なしだとなんでもありすぎて膨らませようがないからな
映画版で全くポンコツ化しないドラえもんみたいなもんよ
前のエリアに戻ってアイテム回収してる時とかって凄く怖くない?
たまに再配置されてる敵がスタッフが用意したものではなく自然発生したように思えて不気味に感じる
プレイ動画見たがサイコブレイクはけっこうキテる。三上はツボを心得てるね。
久々に恐怖感てものを感じたわ。
>>86 このジャンルだと逆に原理なしじゃないと、から繰りを教えてるようなものだから水と油では
「この部屋に入ったらいすが浮いて飛んできました〜」とかに原理説明されたらとたんに不思議さも消えてしまう・・・
でも、何故か今の作品全般は原理説明してからいすが飛んで来るんだよ
何も理解できてないけど、怖い思いしました、でその時点では十分だと思う
>>81 最終的に解決する時に科学的にでも霊的にでもオカルト的にでもそれらしい理屈を後付でもなんでも教える分には良いんだけど
先に原理を言って、その通りに物事を起こそうとするから全然未知じゃないし、未知の謎を解き明かすと言う楽しみ(怖さ)も無い
何も分からない状態から始まって、それを解き明かして解決してエンドって王道パターンが何故か現代は作れない
理屈が分からないから怖い思いをしてるんだから、理屈が分かったらそこでどうすれば良いか分かって開放感を感じて解決だと思う
何も分からないで一方的なところから謎を解いて深層にたどり着いて真相が分かればどうすれば良いのかも分かってそれを実行して解決して開放感
理解できないほうが怖いのは想像力に依存するから不安定なんだよね
Alien: Isolationがこのスレの住人には期待の案件なのかね
>>88 サイコブレイクいいよね!グッとくる
ただグロいだけのゲームだとちょっとなーって思う
サイレントヒルの映画の1と2みたいな違い
93 :
ゲーム好き名無しさん:2014/04/14(月) 01:24:11.64 ID:3bRcFekl0
太陽だけが魔物に勝てると言う設定で
太陽だけが魔物に勝てると言う事を知ったら、紫外線使うのは安直だと思う
紫外線と言う物理で勝てるなら苦労しないし
本物の太陽が使えない時ね
太陽を示すものとか太陽を暗示するものがその魔物に勝てる条件にして欲しい
太陽をかたどった図形や絵柄でも少し対抗できるけど、それがヒント、本当のとどめになるものは太陽の形そのままはしてない
太陽を意味する何か
出来れば選択肢として紫外線を選ぶと失敗してバッドエンドになるようにしたら良いと思う
きちんと探索して調べないと情報は得られない
安直に紫外線にたどり着いてしまうとだめ
一行で書くと
オカルトにはオカルトで対抗して欲しい
だな
理屈で説明できないからオカルトなんだもんな
長く遊ばせるための尺稼ぎに理屈を持ち出すのは仕方が無いところがあるのかもしれないけど
それは主従関係でいうところの「従」であることを忘れないで欲しいよな
でも大抵どっかの宗教だったり村の儀式だったりだからつまらないと思っちゃう
そりゃ気味は悪いけど結局本当に怖いのは人間だったエンドに陥りやすい気がする
>>94>>95 オカルトにはオカルトで対抗して欲しいんだけどそれだけじゃない気がする
解決手段は何も分からない所から自分で発見する事が大切だと思う
失敗(バッドエンド?)を重ねながら
直感で思いつけるような事が解決手段だったら「この解決はこれね」って予定調和だから
だからどうしたら良いのかを自分で見つけなければいけない
条件を満たさないと最後までシナリオを進められずバッドエンド
ここではつぼが必要なのに、この時点でつぼを持ってなければバットエンド確定とか
どうしてもここでバッドエンドになってしまう・・・それはこの時点でつぼを取っておかなかったからとか
何度も同じバッドエンドになるならヒントがどこかでもらえる
バッドエンドは単に殺されて終りにするより一応解決したかのようにするようなエンドが良いと思う
つぼを取らなかったけど、何か悪魔を退治できて、無事平和な我が家に帰ってきました
お風呂でシャwーを浴びていると突然殺される(と言うムービー)とか
一見平和な日常に戻りました、でも背後に悪魔の姿が・・・(と言うムービー)とか
条件を満たしているとその先に未だ見ていないシナリオが続いてる
>>96 人が黒幕って言うのはやめて欲しい
人が本当の敵で化け物とかは、黒幕がけしかけてるだけ
宗教や儀式でも化け物が完全に人の手から離れた存在だったら良いと思う
軽はずみに学生が友達同士で集まって悪魔を呼び出す真似事をして遊んだら本当に悪魔が出てきて
みんな慌てて逃げ出す
どうしたら全員無事に助かる条件を満たす事が出来るか?とか
条件に失敗すると無残な姿で見つかる
じゃあお前らの思う1番怖いゲームてなんだよ
>>94 「流行り神」ってあったじゃん?異常な事件を刑事が調べていく内容なんだけど
あれ一応、科学的に突き詰めていくルート・オカルトから検証するルートの二つあるんだけど、
科学的に行くと「動機が解明されない・矛盾が残ったままになる」って中途半端に終わるんだわ
二つの側面から調査できるのは面白いんだけど、どうせならもっと科学ルートも何とかしてほしかった
エンディングをもっと凝った方が良いと思う
無事助かった・・・・・・様に見えたけどまだだった
見たいなしつこさが欲しい
ノーマルバッドエンディングが複数で
平和な日常、犬と遊んでいると・・・でも影に潜んでる、とか
自動車を運転してると・・・後ろの席から出て来る、とか
夜自宅寝室にいると・・・窓の外にいる、とか
そこにすら至らない殺されるエンディングも多数
何度普通にやってもそういうエンディングになるなら、すっきり解決するエンディングに進めた時の感動は計り知れない
何かすると、行った事の無いチャプターに進めたり、何かすると入った事の無い場所に進めたりして、そういう未知のところに入れると感動する
そこに進められた事がすっきり解決に繋がる条件
>>101 クロックタワーのプレイ日記書かなくてもいいですよ
なんだかんだで一番怖かったのは零
びっくり系ホラーと得体の知れない気持ち悪さがうまい具合だった
ただやっぱり特別な場所で巻き込まれたかんじだったから一人暮らしの自分のアパートで…みたいな(昔携帯であったゲームに自分の家に幽霊がくるやつがあった、そんかんじ)ゲームがいいな
零の怖さっていまいち理解できない
どんな部分が怖いのだろうか・・・
自分の家に来るよりも、自分が向かった何時も利用してる先の方が良いような気もする
自分の家って言うのはどっちかと言うと帰る場所、ゴールの感じ
学校とか、病院とか、職場とか、友達の家とかそういう場所に向かったら、簡単に帰れるはずが帰える見込みが全然無い
それも普段と違う入り方をした結果だったら良いと思う
いつも昼間に学校に登下校しているけれど、夜入ったらもう出られない
怖いかどうかは、「自分が殺される」「自分は逃げられない」「自分は抜け出して助かる事が出来ない」と言う事を真実味、現実感を持って与えられるかどうかだと思う
何度やっても殺されるエンディングにたどり着いてしまうっていうのはそういう意味でいいと思う
ただ殺す(される)っていうのはやり直したら済む話なので違うと思う
頭を使って思い悩むようなのが怖いと思う
何をやっても無理、どうしたら?の部分
〜〜〜抜け出す事が出来ないと言う焦り
自分で考えて抜け出さなきゃいけない、誰に助けてもらえないのに抜け出す事が出来ない
ホラゲとか今更何をしたって珍しい怪物と戦うゲームにしかならんわ
ゲーム自体は怖くないけど寝る前に思い出すと怖い
それは珍しい怪物を作る向きにしか考えられないからだよ
本当は、ただのコイン一枚ですら恐怖に出来る
もともとこのジャンルはそういう分野だったはず
笑いの的だったピエロは恐怖の対象に
小さな子供、か弱い女性も恐怖の対象に
お人形だって
今の人たちは根本的に何か勘違いしてるんだよ
コイン一枚だってドレスだって恐怖になる
逆に考えてるから
身近な物だったり、地味な物や、意外な物こそ本当に怖さを出す物だと思う
悪魔は一度召喚すると、なかなか送り返す事もできず居座り続ける厄介な存在
そういうのを題材にしたゲームって最近無いよね
何でだろう
定番なのに
主人公(たち)は、何かの成り行き(いたずら、興味本位に、何かの理由で)で、悪魔を召喚する
→ 悪魔は主人公(たち)の制御下から出てしまい
→ 悪魔は主人公の仲間や知り合いを殺し出す
→ 主人公たちは悪魔を制御できない、送り返す事もできない
→ 主人公はそこから逃げ出す
→ 出口を見つけその場から逃げ出して、命からがら一時は助かる
→ 日常生活に戻る
→ 不安を感じながらも安心した日々を送ろうとしている
→ と、悪魔が日常生活に入り込んで来る
→ 逃げると助けを求めた先の強い人間が殺される(助けてもらおうとした相手が殺される絶望演出)
→ 昼間は普通に話していた関係者が次々殺される
→ 何とか逃げ出して一時は生還
→ → そこでどうしたら良いのかを調べ出す
→ 手がかりを得ようと調べようとする
→ 調べに行った先でまた悪魔が来る → そこでまた色々な人が殺される
→ 何とか生還
→ もしも手がかりを発見していたら、その悪魔を送り返す術を実行するために行動する
→ もちろんその場所に悪魔も出て来て最終決戦
→ 決着
→ ゲームの一番最初から通算してそれまでにして来た事が一つでも間違っていた場合 → バッドエンド
(悪魔の出て来る前の普段の時から通算して 最初のなんでもない普段時にした何気ない行動が大きな関係を持つ事も多い)
こんなのが王道だと思う
悪魔は夜しか出てこれないので昼は日常に戻る
ゲーム開始直後、シナリオに逆らって頑固に召喚しない選択するように進んでると、ゲームをはじめてから一度も何も起こらずそのままエンディング
なんてのもお決まり
その何も起こらないままエンディングっていうのが怖さを増やすんだよね
蓋を開けずに閉じられるところが怖いもの見たさと
怖いものが詰め込まれた本の表紙を閉じる(怖いものが詰まる)って感覚
悪魔は塩を跨げない
そういうのはいかにゲームに落としこめるか、にかかってるんじゃないのかな。
たとえば
>→ ゲームの一番最初から通算してそれまでにして来た事が一つでも間違っていた場合 → バッドエンド
> (悪魔の出て来る前の普段の時から通算して 最初のなんでもない普段時にした何気ない行動が大きな関係を持つ事も多い)
既製のAVGにあるんだが
双子の名前を間違える
→その後(早送りしないと1〜2時間後)目的地への手ががりが書かれているクロスワードが解けない
→主人公ノイローゼになり自殺
(間違えないと他愛ない会話からヒントが得られクロスワードは解ける)
なんてのは普通納得いかないだろう
失敗を楽しめるようなゲームにしないとね
失敗を楽しむ=恐怖を楽しむ だから
失敗を楽しめるように作らないと、このジャンルはただの不快ゲームになる
感覚が全てだよね
これやったら(選んだら)バッドエンドになるだろうな、って思うようなバッドエンドと
何をやってもバッドエンドになる、ではバッドエンドにならない為には?を探す場合と
それと、何が足りなのか分かる場合
この場面で何が足りないの分かってるから過去に戻って足りないものを探し出す
一番最初の選択や何かの行動によってエンディングが変る例でも
そういう場合の変化は不快にならないものが良いよね
バッドエンドはだめだよね
エンディングSが見れないって程度の変化とか
じゃ、Sをとる為にはどうすれば良いのか?ぐらいの気持ちで2週目挑戦できる
バッドエンドになるパターンもバッドエンド自体楽しめるのもがいい
自分が殺されるのを楽しめないと
どういうシナリオでどういうバッドエンドだったら楽しめるのか???
ヒントは必要だよね
ヒントは出すタイミグとかどこで出すか大事だよね
何をするとヒントをもらえるのか
何度でもやり直す事が出来るようなシステムにした方が良いと思う
バッドエンドになっても楽しめる条件はバッドエンドになる事をきちんと予測できる事だと思う
自分はこの選択をするけど、悪い事が置きそうで怖いな〜 予想通りバッドエンドになる
何度やっても必ずこのエンドになる、どこが悪いんだろう?
見たいな
>どこが悪いんだろう?
全然予測出来てないじゃん・・・
どこが悪いんだろう?って予測してるじゃん
え?
OutlastのPS4版が日本語対応したらしいぞ
バッドエンディングまでの道のりが短い時だよね
どこで間違ってるんだろう?探しを楽しめるの
バッドエンドになるって分かっやってるから改めてバッドエンドになっても驚かない
何時間もプレイした後どこが間違いなのか分からないバッドエンドはNG
バッドエンドにするならシナリオの途中で分岐してバッドエンドにすれば探し出す間違え探しは簡単だと思う
それとちゃんとしたエピローグ+スタッフロール付きのエンディング(きちんとした結末として語られるエンディング)のだったら
そういう気遣い入らないよね
ゲームオーバー的な失敗の意味合いだったら突然ゲームオーバーになれば何だって思うけど
そういうエンディングに到達したって言うんだったらむしろ面白い(怖い)と思う
ゲームオーバー 失敗、やり直し
バッドエンド 一つの結末
バッドエンドでこういう結末なんだって言えば楽しめるけど
ゲームオーバーでやり直しって言ったら不愉快
それらしい悲惨なエンディングをきちんとその後含めて締め括ったら
それはそれで面白いと思う
失敗エンドだからと言って手を抜かないで
むしろ失敗エンドだからこそきちんと力を入れて作らないといけないと思う
いっぱいバッドエンドを作りこめばそれだけで面白い
この場合どうなったんだって
「死ぬ度に長々とめんどくせーよ、さっさとやり直させろ」
>>108 それだとゲームでやる意味ないだろ
小説か映画でいいわな
身近なものこそゲームとして楽しいと思います
怪物物なんて小説や映画でももう需要少ないような
何度捨てても戻って来るコインとか、何回脱いでも鏡を見ると着てるドレスとか
ゲームにしたら面白いんじゃないかな
つい眠ると夢に現れるピエロとか夢から覚める出口を探すゲーム
どうやったらコインを捨てられるか
期日までにコインを手放す事が出来なければ自分が死んでゲームオーバー
捨てようとする家庭で友達とかに犠牲者が出る
その犠牲者も行動しだいでは出ない
4:44に一度4階に来るともう1階に降りられない
で、何かの理由で4:44に4階に来なきゃいけない状況に陥って
階段をどんなに降りても下の階にたどり着かない、では、どうしたら降りられる?とか
身近なところの落とし穴こそ恐怖なんじゃないかと
そういうところにこそゲームとしての面白さ見出す事できるんじゃないかと思う
「俺様は最強だー!うぉー!」「バン(銃声)」にはもう飽き飽き
鏡の裏の世界に閉じ込められて出れないとか
鏡の中にだけ映る事が現実世界でも起こるとか
もう何でも思いつきます
身近な世界
お前が怖い
>>122 それはどんどん進めってゲームの場合で
バッドエンドや自分の殺される結末を楽しむようにシナリオを構成すべきだと思う
自分が殺される事を楽しめないとこのジャンルはつまらないと思うけど
このジャンルのゲームって「自分がその状況に陥ったら?」
どうするか?どんな結末を迎えるか?
を楽しむゲームだと思う
この状況に陥った時自分は何をしてしまうか?とか
誤った事や、正しい事を取れるかどうか・・・
誤った事をした結果どんな結末をたどったか、正しい事をした結果どんな結末になったか
を楽しむ
ここで何をすべきだったのか?とか何をしたからいけなかったのか?とか何をしなかったからいけなかったのか?とか
それなのに、「自分がどうするか?」「そうしたらどんな結末になったか」って部分が無いからいけないんじゃないかな?
全部ストーリーと結末は固定されていて自分が何をするのか?は自分で決められないし何をしても結局必ず同じ結果になる
自分が今してる事は正しいのかどうか?それをどきどきしながらプレイするのがこのジャンルだと思う
だから、自分がこんな悲惨な結末になったのを素直に楽しまないと
楽しむような構成にしないと
それは送り手がそうである人だけを相手にしていい言い訳にはならない
クロックタワー1,2辺りがそういうゲームなんだろうけど
問題提起さえ作れば面白い(怖い)ゲームになるんじゃないかな?
問題提起されてなかなか解決できない問題を解決しようとして出来ない過程が面白いのでは
呪いのコイン拾っちゃった、1週間以内に誰かに渡さないと、見たいな問題提起と問題解決
家の周りを変な生き物に囲まれたどうにかしたい、とか
だから、どうにかならない結末とか、どうにかなったけどすごい代償を支払ったとか、みんな助かったとか
キッチンにいった時、ナイフと食器用洗剤を持ってきたかとか、ナイフだけを持ってきたか?とか
どのタイミングでキッチンに入ったか?とか、イベントの前までにキッチンに入っていればナイフと洗剤をとりにいけるけど
イベント後に入るとナイフを取った時に変な生き物が出てきてプレイヤーは食べられるとか
一度ナイフを取ってキッチンを出ると、もう一度キッチンに入りなおしても洗剤を取る事はできないとか
洗剤を持っていないと途中でバッドエンドになるとか
そういう問題を解決する姿勢を楽しむものじゃないかと
問題提起された問題を「こうでもないこうでもない」と解けそうも無い問題を解かなきゃいけないそういう状態が怖いんじゃないかと
どうしても解けず、どうしても失敗する
幼い頃ちょっと道をそれたら迷子になって、帰ろうと元の道を探すけど、探そうとして動き回れば探そうとして動き回る程、泥沼にはまってどんどん見知らぬ場所に来てしまう
そういうもがき続ける程怖い思いをする
そんな感じでは
悩んで悩んでやっと答えを見つける
怖い思い
まあ今の時代そういうゲームは攻略みてベストEDみて終了って人が多いだろうな
仮に攻略みても怖さは十分伝えられると思う
迷い込んだら出れない迷路を地図を見ながら進んでもそこはそういう場所なのは同じな訳で
攻略みながらバッドエンドを試してみるっていうのも良いと思う
怖がりや時間の無い人には
むしろ怖い所を攻略握りながら進むのも恐怖の楽しみ方の一つかと
怖いところを避ける為に安全地図もって怖いお化け屋敷を見るのと、素で怖がりたいから予備知識なしで体験するの違いだと思うけど
どっちも怖い
案外そういう深い?ゲームでたらみんな腰をすえてプレイする気もする
夜8時くらいに知らない住宅街で迷子になった恐怖っていうこと?
宇宙的恐怖ってそういう意味なのかな
迷子になったら昼間でも怖いと思うよ
どこに行っても同じような町並みではーはーはー
過呼吸になる
たとえが子供みたいで可愛いなw
ま、一応まだ子供だけどね
根本的に怖さを再現できない理由は再現元が存在してないからだと思う
怖いゲーム=作ってる人の自分の恐怖心理を再現したゲーム
だと思う
自分の感じている恐怖
教会に閉じこもっていて0時になると開かない扉が開いて、そこから怖いものが出て来る
とか
そういうものが先で考えるとどうやったらそれを再現できるか?を考えるものだけど
自分の中に恐怖が存在しない人たちが、理屈だけで作ろうとしてるから
物理的な強さだったり、数値的なものだったり、そういう部分を作っていて
怖いと思ってる気持ちを持ってる人が作った作品は怖い
そういう人が作ると今までなんとも思ってなかったものに恐怖心を抱けるようになる
虫を恐怖に出来れば、虫が怖いと感じるようになるし、白い布を恐怖に出来れば白い布をいちいち確認するようになる
「逃げるしかない存在」っていうけど本当はその恐怖の由来って
どうにもならない(一見解決策の無い)問題にさらされてる時だと思う
だから最近出てる逃げるしかないゲームってそこを再現できてないから全然怖いとは思えない
最低でも心の芯から来る恐怖じゃないよね
追尾して来る敵を回避続けるだけでいつか助かるなら
何をやっても助からないっていうのはデフォルトだと思う
答えを否定する
例えば、どんな事をしても絶対勝てないし死なない悪魔だったら解決策無いよね
じゃ、何をすればその解決策の無い難問を解けるか?って部分だと思う
逆にすごい強い、主人公たちでは絶対に歯も立たないただ殺されるしかない存在
そういうのを敵にしてどうしたら解決するか?
例えば、自分ではどうにもならない存在だけど、別の自分にどうにもならない存在に倒してもらう事を見つけるとか
最初に自分たちを苦しめた悪魔をもう一度呼び出して、その悪魔に倒してもらうとか
「どうにもならない物から、どうにかなる手段を見つけ出す」と言うのこそこのジャンルの筋だと思う
本当はどうにもならないけど、少しだけ抜け道は隠れていて、その抜け道を使う事でかろうじて解決できる
見てもらう結末は必要だと思う
その事態によってどんな末路になるか?
真実味
主人公と一緒に来た仲間たちに実演してもらったり、実際に主人公がそうなったり
仲間が血まみれで骨が見えてて食いちぎられた状態で見つかったりすると真実味を与えられる
プレイヤーがすべき事をやり逃したり、選択を誤ったら主人公自身がそういう状態になったり、そういう状態になるだろう事を仄めかしたり
そういう演出が今のゲームって無いよね
登場人物の健常時の姿→変り果てた姿
主人公の殺される結末
一緒にいた仲間たちや無関係な途中で出会った人が悲惨な目にあう演出は絶対必要後だと思う
それも自分(プレイヤー)がどんどん残されて孤独になるかのような感覚を与えられるように演出しないと効果ないと思う
名誉の戦死見たいなのはもちろんだめだし、ただ殺されるだけっていうのもだめ
どう殺されるかって重要だと思う
ただ殺されるだけだと不安にするだけのものを持ってないから
イケイケ中に殺されるっていうのもだめだし、何の脈略も無いのに殺されるのもだめ
感動演出もだめ
こういうのはいい
プレイヤーが孤独を感じていて、誰かに会いに行った→そうしたら殺されていた
プレイヤーが助けを求めた→その人は殺された(殺される)
行方不明になった仲間→無関係な時間帯に何かを調べていると死体で見つかる
座ってるように見える→覗いてみると殺されている
怖がらせようとしても怖がってもらえない原因が増えてるんだよ
パズドラとかDMMのカード集めブラゲとかが流行ってるのを鑑みるに、
難しいこと考えるのは嫌だ、ゲームごときで苦労したくない、適当に銃ぶっ放してたい、
と、そう思ってる人が若い年代で多いのかもしれない
時間が取れない人と取られたくない人も増えたんだろう
その風潮が嫌で骨のあるゲームを求めてる人は怖がらずに喜ぶだろう
難易度とか歯が立たないとかそういうのじゃ怖がってもらえない時代なんだと思いまちた
おそらくホラーゲームじゃないゲームで恐怖演出したら最初は怖がられる
で、ツイッターだのまとめだのリアルでの場合によっちゃあ会話だので広まる
で、怖がられなくなる
それは違う・・・
先にこれは怖いゲームだと言う宣言をした方が怖がられる
自分が怖いと思っていてその向かう先に何か起こるかも知れないと思ってる場合はドキドキしながらその先を開けようか開けまいか悩む
そんな事思ってない時に何か理不尽な事やったら怒り出す人もいる
お化け屋敷に人が入る時を想像すれば分かる
お化け屋敷の先に進む時この先ここで脅されるのかな?こっちかな?と言う期待はそのまま恐怖になってる
でも、何も知らない人を突然脅したら怒り出す
いかにも怖い事が起こります、と宣言した方が人は怖がる
OPでいかにも怖そうな印象を出して、プレイを始めると、「これから何か起こるよ、何か起こるよ、何か起こるよ・・・」と言ってい続ける
するとそれだけで怖がる
人は・・・
それで、それに信憑性を添えないといけない
だから実際に怖い事を起こす
体感してもらう
ここを進んだらなんか起こるよ、そこを曲がったら何か起こるよ
そして曲がったら何か起こる or 今回は大丈夫だった
そういうのが怖さを作れる
洋画でもお風呂のカーテンを開ける時、すごい音を出して不安感を煽る
「怖いのはここですよ」「何か起こるかもしれないシーンはここですよ」と宣言してる
絆創膏を剥がすのを嫌がる人に、剥がす話をしないでいきなり剥がすと直ぐ済んだりする
これから絆創膏を剥がすと言うと、それが完了するまでの間は恐怖する
何か来ると分かっている時の方が人は怖がる
いやな事が近づいて来てる、まだ来てない、でも来ている
だから身構える
そういう怖い思いをした経験が長ければ長い程、その作品は怖い作品、名作になる
恐怖とは恐怖心という心を想像してもらう事
だから、いかにして、人の心を操るか?が基本かと
プレイヤーが何が起こるか考えなきゃだめって事なのできちんとプレイヤーに宣言しないと
宣言されていれば、自分で選べる、進むかどうか
ここをいじれば何か起こるかも、きっと何か悪い事が起こる
そう思っているのに、自分でいじるかいじらないかを選択しなきゃいけない
>>152 > 恐怖とは恐怖心という心を想像してもらう事
なる程
でも未知にする部分も必要だと思う
その襲い掛かる困難がプレイヤーの掌握できる範囲の事だと対処すればいいってだけになるから
だから未知にする部分と教える部分が逆転してるんだよね
本当は恐ろしい、自分ではどうしようもない対処できない事がこれから起こる、徐々にそれが迫ってきてる気がする
だったら良いけど
いきなり不意をついて襲って来るけど、対処しないといけない
だったら逆
敵が来たらどんな状態でも対処しろっていうのはだめだけど
これから恐ろしい絶対に乗り越えられない対処なんて出来ないものが近づいてきてるよ
今も近づいてきてるよ・・・と言い続けるのはいい
完全に追いついた時だけプレイヤーに末路を与えてやればいいだけで、無理に近づいて来る必要も無い
何かに追い回される時、意外な事にふらふら足やびっこ引いて歩いて来るなかなか近づいて来ない存在の方が、普通に歩いて来る存在より怖い
走って来る敵は問題外ぐらい
だから白々しい程スローリーの方がいい感じ
態とスローに追いかけてるんじゃないかって思う方がいい
その代りそんなにスローで逃げられるんだからつかまったらどうなるか分かってるのか・・・
未知の部分っていうのは存在に対して未知数だよね
この敵は弱点は背中で正面は無敵だけだ、とか、この敵は完全に自分の攻撃に対して無敵だから逃げるしかない、とか、は明るみに出てるけど
で、脅すのはと言うと突然出てきたりするっていうのは恐怖は少ないけど
兎に角、その存在が近づいて来る、銃も効かなかった、どう対処したら良いか分からない
で、横に置かれてる花瓶を投げつけたら逃げられた、また出て来るかもしれないっていうなら、怖い
兎に角、その存在はそこにいる、銃で撃って全部やっつけた、けど次の部屋に入ったりまたここに戻ってきたらいるかもしれない
っていうのだったら怖い
>>148 人はどの時代も同じだと思う
もし難しい問題はいやだと考えるならそれは作ってる側の問題
学校の勉強を楽しむ事も出来るし苦痛に感じる事も出来るけど
興味を持っていれば自分から解きたがる
探究心
提示する謎や問題や難易度はただつまらないものだけどっていうならそんな問題誰も解きたいとは感じない
興味を引いて、謎を解きたい、深層にたどり着きたい、と感じるようにするのがまず第一歩で
そうしたら、その後は突き放しても、攻略サイト読んででも深層にたどり着きたいと思う
人は
要するに作ってる側が下手糞何だよ
あんた謎解きに拘り過ぎだ
今の現代人が本当にゲームごときで苦労が嫌、難しい事考えるのは嫌、適当に銃ぶっ放したいだけかどうかの話してると思う
作ってる側がそれしか作れないだけだと思うけど
実際は苦労したいし苦労こそ面白いと感じてる
宣伝力と値段といかに据え置きゲームの前に座る気を起こすかという問題もあるな
まあ怖くてやる気が起きないのは嬉しいが
160 :
ゲーム好き名無しさん:2014/06/08(日) 08:47:12.07 ID:i5c4tNEC0
敵キャラに見せ場もあげたいが俺は一方的に追いつめられるの嫌なんでちゃんと戦って倒せるのがいい
謎解きだけの脱出ゲーは勘弁
敵を倒すのは必要だと思うけど、戦ってると自分から助かろうとしてないのに勝手に話は進んで助かるっていうのはだめかと
謎を解かないと永遠に閉じ込められ続ける+閉じ込められたところには恐ろしい化け物もいる
だったら開放されるまで化け物を倒さないといけないから、謎を解かないといけないのと、化け物を倒さないといけないのは同じ目的の為になる
王道パターン
ここでずっと言われてる「謎を解く」っていうのが意味わからないんだが
助かる為の謎 問題の事
敵を倒す事が謎だったら謎解きは敵を倒す事
恐怖=困った事態に陥っちゃった→どうしたらいい?=謎解き
足りないのは大音響だろ
ホラーなんて突然の大音響がびびらせの大半だ
ゲームにももっと大音響を入れれば怖くなる
それはビックリさせてるだけでホラーでも恐怖でもない
発送が五流の雑魚
コンサートの大音量はビックリしないけど
ホラーゲーの大音量はビックリする
何故だろうな
>>166 ホラーのは急に来るから
例えばリンクを踏んで甲高い爆音とともにブラクラ画像が出てきたとしても、
予めそうと分かってて踏んだならあんまり怖くないはず
要するに基本静かなホラーだからこそ、突然の大音量にビックリするわけじゃん
その瞬間ではただビックリするだけだけど、「また来るんじゃないか」とプレイヤーを疑心暗鬼にして
怖がらせる演出として成立するじゃん
そういう雰囲気のゲームやった事あるけど演出が下手なせいなのかな、
「あーまたかようぜぇ」としか正直思えなかった
回数が多いせいかな
過去流行ったホラー映画を一通り見てみろ
リングでも呪怨でもみんな怖い部分は突然大音響だ
ゲームにおいてもバイオ1ばかり持ち上げられるのはガッシャン演出が上手かったからに他ならない
人間の狂気がなんたらとか、静謐な雰囲気がふんたらとか全部余計。グロテスクも最低限でよい
一流は考え抜いた結果、かえって安直な手を取る
変なプライド抱えた糞雑魚は凝ったことしようとして爆死する
それで怖いならいいんだが
音がしてビックリの効果を最大限に引き出すための演出としてもその凝ったことは必要だろ
>>167 164の突然の大音響と167の急に来るっていうのは同じ事だと思うけど
仮にコンサート静かな楽曲で急に大音量を流しても
驚きはするけど「怖い思いをした」と感じるような恐怖感は得られないと思う
怖いと予備知識を持って見た映画なんかでも人は怖いと感じるけど、最初から怖い何かが起こるって分かってる訳だよね
最初から何か怖い事が起こると期待してる時に恐怖を感じる
突然の脅かしは、ただの驚きだけど
恐怖は、何か起こる事を恐れる何か起こる直前まで感じてる気持ちで、それまでの何も起きてない時に感じてる気持ちだから
基本静かって部分は重要だと思う
何も起こらない時間
何も起きず肩透かしを受けたり、ずっとじらされる
音はそのじらす時に使っても良いと思う
騒がしい音を流して何もなしで肩透かし
で何か出てきた時は、その同じ音を使ってもいいけど
少し変化をかけて、何か出たばかりの時は無音で、出たと認識した後から音(音楽)がしだす
見たいにするといいかと
でも何も無い時の脅しのBGMがただのうそにならないように最初からBGMがはいっての登場パターンも入れると良いかと
基本人間はいつ出て来るかと思ってる時こそ怖い
だから何も起きてない静かな静寂な時間を基本にするのは大事だと思う
>>166 違いは、暗示にかかってるかどうかだと思う
何で怖いかと言うと何か来るって思ってるから
何か来ると思ってる時「それ!」と言えば何か来たと思って周囲を見回す
その反応と同じで、これから来るものが恐ろしいものだと信じてる程、脅しに敏感になる
音は「それ!」と言うのと同じで「出た」の意味
これから来るものが恐ろしいものだと信じてる程怖いので、その存在を出来るだけ隠して想像だけを膨らして置いた方がいいのではないかと思うけど
誰かが銃を構えているという前情報がなければ銃声は大きな音か花火の音にしか聞こえないし
銃で誰かが狙ってると言ううその情報を真に受けてれば、花火の音に焦って隠れる
全て思い込みから始まってる
でもそれだけで何もしないとそのうち何もないってばれるので、実際にプレイヤーの仲間たちやプレイヤーを殺してやって真実味を与える事は必要
そして思い込みは現実になる
こんな感じじゃない?
長文やめてちゃんと安価つけてよ
何度でもやりなせるゲームでは与えられる恐怖にも限度がある
ゲームはホラーに向いていない媒体
ゾンビUはその辺頑張ってたな
死ぬと別キャラを操作することになるっていう
>>176 むしろ何度でもやり直すジャンルだと思うけど
怖い話とか恐怖体験談とかは、同じ話を何度も見て楽しむものだと思う
「ここを調べたら、怖かったんだよね」とか、もう一度見てみたさ
怖いもの見たさってこういう事じゃないかと
やるたびに変る見たいなのにするとむしろ失敗する
>>177 結局、同じ敵同じ罠と対峙するのだからあまり意味がない
>>178 そんなん初めて聞いたわw
まあ、ゲームのリトライ問題はそれとは別なんだけど
根本的に作り方がおかしいんだと思う
怖いゲーム=恐怖を避けられるゲーム
怖さを克服してしまうゲーム=(無理にでも)恐怖を乗り越えて進むゲーム
ここにいったら怖い目に遭いますよ
→ 怖い目に遭ったら避ける → 助かる
→ 避けられない 助からない
だと怖いけど
ここにいったら怖い目に遭いますよ
→ 必ず対処して乗り越える → 助かるしかない
だと直ぐ慣れる
例えば、カメラを持った人が精神病院を進むゲームで
前から敵が襲って来る、必ずやり過ごさないといけない
見たいなゲームだと直ぐ対処に慣れる
でも、ここ覗いたらそのまま助からないプレイヤーの選択は間違いでした、ここ覗いたら先に進める
見たいに克服しないゲームだとそこを覗いたらだめだって分かってる
誤った選択肢の先は行き止まり、一度も誤らずに進んだ場合のみ先に進めますよ
今の作ってる人たちって小さい頃本当に怖い話とか一度でも読んだのか疑問だけど
みんな一本道で前から出て来る敵を対処して乗り越えて次に進むものばかり
乗り越え方に、逃げて隠れるか?銃で撃つか?走ってよけるか?違うだけで
一本道どおり進んでいけば失敗してゲームオーバーになる以外絶対自分は死なないんだと分かってるんだから怖いはずが無いと言う
前に進む→何か出て来る→対処する→次→何か出て来る→対処する→次→何か出て来る→対処する→次
ここをいじってみる→何か起こる→ゲームオーバー
ここをいじってみる→安全だった→次→
ここをいじってみる→何か起こる→ゲームオーバー
ここをいじってみる→安全だった→次→
ここをいじってみる→何か起こる→ゲームオーバー
ここをいじってみる→安全だった→次→
何か起こった後平然と生きてる方がおかしい
何か起こったら死ぬから何も起こらない事を願うゲームだったと思う
それが何故か何か起こったら対処するまでやり直すゲームになってて
>>182 GmRtlsxw0と同一人物と仮定するけど、それをどうでもいいならおまえの個人的な感想こそどうでもいい、と言ってしまえる
そもそもゲームのリトライは別問題
怪談が終わる前に巻き戻って繰り返されるのだから
>hTdbaviM0
言わんとすることはわからないでもないが、もうちょっと簡潔にまとめてほしいね
>>183 一番だめなのは苦労して勝つ事だと思う
作る側は、やってる人に出来るだけ恐怖を与えようと、強い敵や難関を突きつけて
一つ一つを突破する事を難易度上げようとする
でも、実際は一度でも命の危機に瀕して苦労して、それ乗り越えたら、もう生還した英雄ですから
一度英雄になったら次から同じような事が起きてもなんとも感じない
でも小手先だけで生き残って、まだもっと何か恐ろしい事が起こると思っていればずっと怖い
そらそら、恐怖が迫ってきてるよ〜と言い続けるだけでプレイヤーを追い詰められるから
追い詰めたらそれ以上傷を与える必要は無いと思う
プレイヤなんかいつでも殺す事は出来るんだよ
とそぶりを与えていれば、別にプレイヤーを必死に殺す必要性は無いと思う
そして実際いつでも簡単に殺す事が出来る
必死で主人公を狙って来て追い詰めるけど何時も主人公は一歩上でっていうなら
むしろ、敵のそこが知れてる
力量は主人公とぎりぎり程度の差しかない訳で
しかもその説によると、主人公よりぎりぎりで弱いと言う
主人公は絶対に勝てない存在でなきゃいけないと思う
敵から見て主人公は全然本気を出すに値しない存在で、その気になればいつでも息の根を止められる
でもそうしない
何故ならば、プレイヤーの苦しんだり怖がったりするのを見るのが楽しいから
だから代りに、プレイヤーの知り合いや同僚を殺してつるしておいてやる
君の進む先々に・・・
そのシーツ盛り上がってて気になるだろ?
君の同僚の惨殺死体だ
そのコートハンガー気になるだろ?覗いてみな?
ここの警備員をつるしておいたぜ
誰かに助けを呼ぶかい?電話するかい?そいつを次の犠牲者にしてやるぜ
と無言でそれをやってのける
どっかで読んだ事の記憶書き写し再現
でも怖がるのをやめたら興味も無いので殺してやる
何をしようとしても敵が一枚上手で先回りされて何をしても助からないどうしようもないかのような状態で
一つだけ抜け出す道筋が隠されてて、それを見つけ出して逃げる
助かる道を探そうとうかつに調べると、昼間自分と話していた人の惨殺体が見つかる
見つかるだけだと何だから、見つけると何か出て来る
今回は生かしてやろうかな〜どうしようかな〜
完全に運命を握られてる
今作ってる人一向に全力で襲ってきてぎりぎりで助かるのを恐怖だと思ってるようだけど
プレイヤーより弱いのがプレイヤーに出し抜かれる為に出てきてるだけだから
お前が怖い
>>183 ID:flSp4ow30は俺だが ID:GmRtlsxw0は別の人だよ
あとID:って付けるか安価にするかにしてよ
最近安価したがらない人増えたなー
ひとつ考えられる手は人質を取ることだな
ゲームではプレイヤー本体に実質的な危害が加えられなくとも一定の恐怖を担保しうる
サイレントヒル1は闇の勢力に誘拐されて凌辱される娘という構図を上手く描いていた
便利な設定だと思うが他にあまり例を見ない
やっぱりちゃんと実際に危害を加えないとだめだと思う
プレイヤー以外にもプレイヤーにも
まず実際に殺される為の登場人物を出さないといけないと思う
それとプレイヤーもきちんと殺される事
今出てるゲームはたいてい脅しだけで何の被害も出ないからいけないんだと思う
警備室に助けを求める → 警備室には誰もいない → 警備室を色々調べてみる → コートハンガー調べる → 警備員がつるされている
厨房探索 → 大きななべに、血のようなものが付いている → 調べる → 同僚の生首が入ってるのが見つかる
電話を発見 → 電話をかけて助けを求める → 友達のチャーリーに → チャーリー死亡確定 →→→ 別の場面 → チャーリーの惨殺死体発見
電話しない → チャーリー生存(この時点では)
見たいなのが至る所にちりばめられている
おまけ
電話を発見できない → 電話はいずれこの先の特定のシナリオで必要になる → バッドエンド確定
見たいな感じで、電話は一概に見つけちゃいけない訳でもない
初期に手に入って何に使うか分からない
改行いっぱいするやつやめてくれ
あんた2chに慣れてなさすぎ
というか合わせる気ないな
プレイヤーの実際殺されるパターも作らないとね
初級
探索中開けてはいけない窓を開けてしまう → 窓から変なのが出てきて殺される
覗いてはいけない井戸を覗いてしまう → 手が出てきて引きずり込まれる
中級
何かから逃げていて、やってはいけない対処手段をする
ベッドの下に隠れる → ベッドの上から串刺しにされる
上級
必要なものを持っていない
この先は闇が広がってる部屋 → この時点で懐中電灯を持っていないと位置口は行き止まりでそこの先には入れない → そこに入れないと深層にたどり着けずバッドエンド確定 → このままシナリオを進めると最終的にエンディングで殺される
(懐中電灯持ってると未知の場所に入れる)
見たいにバッドエンドで殺される
前から来るトラップに全て受けてたつ → 全て乗り越えたら次に進めるっていうのはだめ
何かにはまったらその先は無い → ゲームオーバー そういうのにはまらなかった人だけ先に進める、見たいに作らないとだめだと思う
>>193 いいんだ
見辛いだけで言ってる事は参考になるし
で、やってはいけない事も場合によっては先に進むのに必要になったりすると、やってる側から見て「これはやっていいのかいけないのか」慎重になって来ていいと思う
この井戸は何もしないで覗いたら → 引きずり込まれた
特定の条件化でこの井戸を覗いたら(調べたら) → バッドエンド回避のキーになる何かを手に入れられる
とか、その井戸が殺される井戸だと思っていれば、条件を満たしていなければ殺されると分かってる所に手を伸ばさなきゃいけない事になるから
何をすると確実に安全で、何は確実にいけないとか、そういう確実な部分を出来るだけ排除して
こまごまとした例をいくつも並べ立てているせいで余計わかりづらくなっている
例はひとつに絞った上で自論を簡潔にまとめよ
あと同じことを何度も書かない
簡潔にすると誤解される内容の気がする
グラフィックが良くなったとしても例えばPS4のFFとかMGS4みたいなグラで
モンスターが出てきても暗がりに放置されても大して怖くないような気がした
気がしたのかーへー
そういう作画のホラーゲーが無いんだから「気がした」としか言えないんだけど
何突っかかって来てんの?
ゲームがホラーに向いてない理由はリトライの他にもまだあって、
注意させるのが難しいという問題がある
ゲームってのは注意力をどこに振り分けるかをプレイヤーが決めていくのが醍醐味だ
それが自由度でもある
言い換えれば、「怖い物を用意したのに余所見している」という可能性を潰しきれない
あまり注意を誘導しすぎるのは作為的でよくないし意図がバレる
バイオの固定カメラはホラー演出という観点からは理想的なシステムだった
操作性最悪だが
それはRPGやなんかでも逃れられない宿命だよ
そういう意味で大きな音で無理やり注意を向けさせるのは卑怯だけど効果的
ゲームに向いてるジャンルだと思うけど
ゲームではプレイヤーの興味を持ったところにプレイヤー自ら触れる事は出来る
気になった箇所を自分から調べて見れるっていうのは一方的にプラスになってると思うけど
映画等でやってる、突然BGM止めたり変化を強調するような、ここは怪しいと言う演出を必要としないで
プレイヤーの自分の怪しいと思ったところを調べる事出来る
映画等だったらバスルームから水の流れる音に態々ここを主人公は怪しいと思ったんだって演出とそこに対して不安を掻き立てる演出を必要とするけど
ゲームだったら、プレイヤーはただ自分の気になった箇所を恐る恐る調べるだけでそれと同等以上の効果になる
プレイヤーは自ら何か起こるかもしれないバスルームに入って、バスタブを覗いて調べてみる・・・・・どうなる?
何起こるか分からない分からない屋内、施設、空間を恐る恐る調べなければいけない
無言で何か置いておけば勝手に怖がって調べるかどうか考えるから
もちろん実際に調べて怖い事は起きる可能性の裏づけに支えられている
怖さなんて幾らでも上げられると思うけど
今出てるこのジャンルのゲームはただ演出が極端に下手なだけだと思う
>>202 ゲームでは隠した方がいいですよ
プレイヤーに対して「ここを見なさい」「見てもらいたいここに注意を払いなさい」と言うより
プレイヤー自ら隠されているそれを見つけ出すように、隠して置いた方がゲームとして面白いと思います
どちらかと言うと演出は後手で、プレイヤーがそれを見つけた時、調べた時等、プレイヤーの行動に対して何か起きる時、音でも立てた方がいいと思います
ゲームはプレイヤーの行動がまず先
隠すっていっても、本当に見つけ難いように隠すのと、プレイヤーの目の前に整然と並んでる中の一つと言うだけというのと
色々ですけど
だから連レスするな。簡潔にまとめろ
プレイヤーが任意で調べるという時点で怖さは半減する
なぜなら覚悟が決まってるから
恐怖というのは不意打ちを決めないとどうにもならない
多くのプレイヤーがこの形式のゲームに慣れたというのもある
知らないなら無作為な調査から出てきたものに驚くだろうが、そのうちパターンが割れてしまう
バイオ2以降が怖くないのはこれも理由のひとつだろうだ
いや、探すっていうのはそれだけ意識が視覚に集中するから
露骨に不気味な空間の中で探しものをさせられたりしても怖いし
自分から嫌な空間に突っ込んでいく、肝試し的な怖さもある
あと
>>205はもうなるべく連レスやめてくれ
>>206 それは逆ではないかと
何か起こると言う予備知識をもってないとプレイヤーは何も分からないから怖がれない
それを恐怖を発するものだと分かってるのは製作者だけで
「覚悟出来ない」とはこれから何か起こる、または起こりそうと言う事を知ってる上での「その起こる事に対して覚悟出来てない」
「知らない」のとは違う
知らなければ何か起こっても驚いただけで終了する
覚悟するとは、その出来事に対して、もう起きても良いと準備を整えている状態
覚悟できないとは、その出来事に対して準備は出来ていない状態
知らなければ「まだ覚悟を出来ない」事も出来ない
基本恐怖は、これから起こる負の何かに対して感じるもので、何もまだ起きてない平常時に感じる
何か起きた時に感じるのは驚きではないかと
その時、恐怖も感じるなら、何か起きてから危害を及ぼされるまでの未来に対して
自分を傷つける未来の足音に対して
怖いと感じる時プレイヤーは必ず、何か起こると前もって思っていて自分から行動してる
だから、むやみに安全な場所で立ち止まってる今の状態を変えようとしない
曲がり角を曲がったり、扉を開いたり、何かを調べたり
何か状況の変化を作ると何か起こる可能性を案じてなかなか動けない
ゲームの主人公から見て何が起こるか分ってないのだったら、覚悟出来てないし、または覚悟できないように作る
具体的に何が起こるか知っていてそれに対する対策を整えて望むなら覚悟できてしまうけど
でも、未知の世界へ一歩踏み出す時には何か起こったらどうしようと感じるのは、何か悪い事が起きるかもしれないと案じていて実際にそういう目に遭遇するからで
自分の思いと無関係な所で怖い事だと称する事が起こっててもそんなに恐怖を感じないと思う
注意を払っているところに不意打ちとはどういう事をいっているのかそれで恐怖を感じる場面の例を挙げてもらえると助かるけど
>>207 露骨に不気味な空間より、不気味でない方が実は怖いと思う
人形とか、ピエロとか、子供とか、本当はもともとは人から受け入れられやすいものとして作られた物だけどそういう物こそ恐怖の題材になりやすかったりする
整った世界や整然とした世界は、それと真逆の事が起こる暗示になる
本当はどろどろしているのに、表面は整っていてきれいに見える
でも、どこかに決定的に違和感を感じる
きれいに整然とした一見すると何も無い普通のオフィス、だけど人は誰もいない、とか
または散らかったいつものオフィス、とか
存在して当たり前の物がその空間からは抜け落ちていて、存在するはずの無い物がそこには存在する、とか
怖いのは不気味な空間を探索するからと言うよりも、「何か起こりそうだから」「今やってる事の先に実際に何か起こる(と信じてる)から」だと思う
だから空間だけをどんなにどろどろした見た目に作っても、何も起こらないとプレイヤーの思ってる状態の不気味などろどろした空間は探索しても恐怖は特に感じない
だから何か起こると信じ込むにたるだけの状況を作り出さないといけない
何かこれからひどい事が起こると言う警告、調べてはいけない場所を調べれば悪い事が起こる、選択を誤れば悪い事が起こる
そして実際仲間たちが実際に殺される(自分の未来の姿)、自分もそこでとった行動によって実際に殺される未来が存在する
警告とは例えば、登場人物のみんなが「こんなひどい惨劇が起こった」と事件の始まる前に口々に言う、とか、これからひどい目に遭う事を彷彿とするような態度や仕草ミスリード
何か起こるとは、ここを触れば幽霊が出て来る、ここを開ければ死体が出て来る、ここを調べればプレイヤーが死ぬ事になる、とか
出来るだけ1レスにまとめます
ごめんなさい、もう1レス補足
露骨に不気味な空間が悪いっていってる訳じゃないです
>>208 ごちゃごちゃとわかりづらい
もはや主旨もわからん
以降はおまえにはレスしない
基本恐怖とは止まっている何も無い場面で感じるこれから起こるだろう事に何も出来ない時の気持ちの事で、何か起こっている時に感じるのは驚きとか痛み
かと
恐怖は、危険に対して安全を確保する為に「逃げたい」「逃げなきゃ」と感じるため生理反応で、備えの為のこれから起こる未来の事に対しての気持ちだから
未来に対して未だ何も起きてない時に感じる気持ちで
要するに、何も無い平常時に感じる気持ち
だから不意打ちで恐怖を感じるというのは物理的に無いと思う
物理的の使い方へんだぞ
それと恐怖は平常時だと思ってたのが平常時とはなにか違うって気付いて感じるものだ
平常時というか、まだ何も起きていない時の事、これから起こる何か起こる前の段階の時
お化け屋敷は、お化けが出現した時の怖さだけでなく
出現する前の怖さも重要だ
技術の進歩で余計な物を映したがるって側面も持ってると思う
きれいな映像を映りたい余り全体像を映してしまう
人だったら人だけ、台詞だったら台詞だけ、人の顔と台詞だけを強調したら、その外の部分は見てる側からすれば目隠し状態なのと同じで
特定の情報だけ小出しにされてる
伝えたい部分の内容のみ伝えられる
>>201 バイオの固定カメラのいいところは、自分の身の回りを含めた全体像を見えると言う事だと思う
自分の周囲を客観的に見れる
でもこれって、実はキャラ本人の視点に一番近いよね
人は、周囲を見る為にいちいち視点を動かしたり体の向きを180度変えたりしない
それに、ふと後ろに人のいる気配を感じるっていう事も
全体像第3者視点で移しているようで、一番その場にいるキャラの視点や感覚に近い
だから、何か起こってもそれを肌で感じる感覚をきちんと伝えられる
本物の人間は自分の正面に見える物しか分からない訳じゃないんだよねって事
でもゲーム内のキャラは正面しか見えなければ、正面しか見えないと言う
人は視界の外の時計をチラッと見るだけでも横目で見るだけでも認識できる
でも、ゲーム画面は時計を画面内に収めなければ認識できない
コントローラをPDAに見立ててるWiiUで解決済み
ぶっちゃけ環境情報をモニタ以外の要素で伝えるのはDCで既にやってるんだがな
解決してないと思うけど
実際のところ人は自分の後ろに存在するものに対してもきちんと認識してる(または思い込みでそこに存在すると思い込んでる)
画面に映し出された部屋の全体像にプレイヤーがチラッと目をやる事で、その画面内の何かを認識するのと
現実空間の部屋で人のチラッと見たい場所を見ると言うのは同じ事で
何かを見る為に、「見る」と言う作業を別途に行う事を必要とするのとはまた違う
「この位置に視界を持ってきて」何てやっていたらまどろっこしい
首をこっち向きに動かして、視線をこっちにやって、なんて日常生活では考えない
「見たい場所を見る為の動作」と言うものを必要としないで「見たければそのまま見れる」
要するに人は、現実空間の中で物を見るのに気になった物を「視界を調節して"見ようとする"」と言う段階を踏まずにそのまま直接「気になった場所を見る」と言う事を出来る
同じ事をゲーム内でやるなら、ゲーム画面で人がそのまま全体像の映った画面から直接「気になった場所を見る」ようにするしかないし
それが一番現実世界で物を認識する感覚に近い
お前は端的にゲームってメディアが出来ないことを持ち出そうとしているだけ
画面に映っていない右側が見たかったら「この位置に視界を持ってきて」なんて考えてるのか?
現実世界で首を右に回すように何も考えずにスティック右に倒してるんじゃねーの?
(ゲームは現実じゃないから)ゲームと現実との間に発生するギャップがあるからダメだなんてのはおかしいだろ
そのギャップとどう付き合うかとかいかに上手く利用するか考えられないならなんつーか、アレだな
つかこういっちゃ何だが「今年心理学を履修した大学一年生」臭がすごいぞ
現実世界の人は例えば部屋の隅にりんごが落ちていれば、部屋に入って直ぐにりんごを認識できますよね?
りんごを認識するのに「首や目の位置をりんごの向きに向けないといけない」なんていちいち考えない
部屋の中を一枚得のように見てその中のものを認識できる
それは一画面で全ての部屋を見れるカメラの視点と同じで・・・
ゲームの主観視点は現実の人間の視点と比べるとても視野は狭いから
ゲームの主観視点で部屋に入ってから部屋の隅のりんごを認識するにはカメラを色々動かさないといけない
何しろ自分の前しか見れないから
要するに何かを見るのに首を回したりしないで、一目で見れるって事
それに恐怖演出との合性もいい
後ろから何かが迫って来る時、後ろがきちんと見えてないと何も感じないから
>現実世界の人は例えば部屋の隅にりんごが落ちていれば、部屋に入って直ぐにりんごを認識できますよね?
ゲームで部屋に入ってすぐりんごがあることを分かってほしいなら
「分かってもらえる位置に置く」
それがゲームデザイン。やっぱり片手落ちだな
何もしないのに分かってもらえる位置に置いたら恐怖にならない
画面の隅っこにもともと見える位置に置かれてるのに、本当は目の前にずっと置かれているのに、でも気がつかない
でも気が付かなければひどい結末が待ってる
それが恐怖系のゲームのゲームデザインかと
恐怖を与えたいなら隠すのは基本じゃないかと
瞬間の直感で見つけて欲しいのに、分かってもらえる位置に置かなきゃ認識できない方がゲーム的に問題ではないかと
自分で探し出さなきゃいけない、けど自分でカメラを回して探すと言う行為を必要としない
自分で探すのに直接自分の目だけで探し出す事が出来る
何かから逃げている時ぱっと瞬時に部屋全体を見てどうすれば良いか探し出す
そういうてきぱきした行動は主観位置にカメラつけてたらとても無理
生身の人間でそんな視野狭かったら病気
見つけづらいものを自分の感覚で見つけられるからいいんだって
この視点が一番キャラ=自分になってる
この視点が一番っていうのはいいすぎかな?
全体像を客観的に写した視点こそ一番キャラ=自分に近い
お前日本語読めるけど中身が分からないとかそういうんじゃないだろうな?
お前の言ってる「できない」は提供者によるフォローがきかないものなのか、って訊いてるんだよ
>>221 工学部だが
プロファイリングごっこやめようよ
「何をやってもやりたい事(目的、生還)を達成できない」
自分で頭を使って(?)考えないとだめだと思う
一本道で進んでいればそのうちエンディングになるのは自分で何も考えないから
自分は最終的にこうなりたいけど、でも何度やってもこうならない
どこにいってもいる何から逃げたいけど、完全にそいつから逃げ切る事が出来ない
そいつに病院かなんかに閉じ込められて、必死に抜け道を探し出して外に逃げられた → けど、エンディング後もそいつの気配が消えない
何かすると別のシナリオに進めてそいつを溶鉱炉かなんかに落としてみた → けどエンディングの後まだいる気がする
何度やっても変えられない未来、自分でどうしたら良いか考える
隠されてる深層を探し出して
色んなスレで長文書き込んで全部反論されて逃げてる壊レコナラティブ君の今の心境かな?
本当は単純で小さな同じ場所や同じ出来事に閉じ込めておけば良いんだけど
どこに行っても変り映えのしない空間、同じ場所をぐるぐる回ってるだけで何も変化しない
その中に助かる鍵は隠されてる
助かる道は本当は簡単な事
それをどう隠すか?
いつも同じ場所から抜け出す事が出来ない
どこに行っても、見慣れた見尽した空間
その中で別の空間を見つけ出すには?
例えるなら知恵の輪
どこをいじっても同じところにしか動けないし、同じ結果にしかならない
でも、ちょっとした、本当は簡単な事、それを見つけ出す事が出来れば、次の段階に進める
そういうのが恐怖系ゲームの基本構造かと
何をやっても抜け出す事の出来ない、どこに行っても同じ、代り映えの無い景色
だから同じ場所から出られない、何をやっても同じ結果しか起きない
そこからどう変るか?何をしたら変るか?を探し出すゲーム
それがこのジャンルのゲームの基本構造かと
これを試してみた→何も変化無かった 鍵を見つけた→いける場所が広がった
ここを試してみた→やっぱり殺された この選択をした→ここで殺される事を回避できた
これをしてみた→やっぱり同じバッドエンドになった
ここをいじってみた→いつもと違う部屋に、違う場所に、見た事の無い場所に侵入できた、何か変るかも
それを骨格に、敵とかを配置してみるととたんに恐怖は出てこのジャンルになる
恐怖感0のゲームばかりなのはその事を分かってない人が作ってるから
前方から敵が迫ってきたり、それを強敵にする、どう潜り抜けるか?見たいにしてるから
構造が基本的にずれてる
プレイヤーのやった事に対して良い悪いをつける
新しい部屋を発見した → 中は真っ暗い → 見える位置に調べると蛍光灯のスイッチを発見
→ つけると・・・何かいて襲い掛かられる(つけるまでは何も無い) → そのままゲームオーバー? or 逃げ出して助かるも、そこで手に入るはずの何か大切なものが手に入らずバッドエンド確定
→ つけないと それを回避できる
→ 特定の条件を整えてからつける → 何もいない → 部屋を探索すると何か発見 → 次のシナリオに進める
では、そんな仕掛けばかりの空間を安心して探索できますか?
プレイヤーのやった行動に対して結末をどうするかって言うのは基本だと思う
プレイヤーのやった事に対して、結末として、成否、正誤をつける
自分の判断で試した事と(それに対する結果と)、ゲーム側の指示でやった事とでは全然違う
自分でした判断だからその行動は正しいか間違ってるかも分からない
グロい敵を出せば怖がると思ってる
即死増やせば怖がると思ってる
暗くすれば怖がると思ってる
グロいのを出せば怖がるんじゃね精神は今の業界に確実にある
映画でもゲームでも小説でも
それがチープなホラーを量産してる
正直サスペンスの方がホラーの参考になるものは多い
強い敵を出したら怖がると思ってる
敵に抵抗できなければ怖いと思ってる
その強い敵を対処すると言う矛盾
サバイバル○ラーの定義
バイオの三上と言う人の言ってる定義は間違ってると思う
○ラーの定義、恐怖を受けるゲーム
どこに恐怖を受けるか?を考えて恐怖を与える
サバイバル○ラーの定義は恐怖を受けるその空間で生き残る事
○ラーの世界での生存活動の事
○ラー空間で生き残るために試行錯誤するゲーム
どうしたら生き残れるか?を考えるゲーム
どうやっても死ぬ中でどうやったら死を回避出来るか?を考える事を楽しむゲームの総称
サバイバルには生存という意味しかないので、倒すと言う意味で使うのはおかしい
爽快感と言うのもおかしい
具体的に言えば、密室に殺人鬼と一緒に閉じ込められた、一度も戦う事もしないで出会いもしないで恐怖を体感しながら外に逃げるようなのもサバイバル○ラー
生き残れないと言うのがデフォルトでそれから生き残れるように未来を変える楽しみ
絶対生き残れないと感じないような、進んでさえいたらいい状況で、頭を使って未来を変えようと考えず進んでいるだけなのはサバイバル○ラーでは無いと思う
次々襲い来る強敵を回避し続けてさえいれば、勝手に話は進んで生還する事になるような作りのゲームはサバイバル○ラーでは無い
脅かすだけと言うのもだめ
生き残る為の生存の為の経路を無から見つけ出すのを楽しむのがサバイバル○ラー
サバゲー+ホラーじゃないのか
ところでこのスレはフリーホラーゲームスレなの?
そうだよ、怖ければ何でもOK
悪い例
作中プレイヤーの間違った選択と言うものは存在しない
どんな選択をしても失敗以外で死ぬ事は絶対無い
突き当たる困難は必ず乗り越えて進まなきゃいけない
何をするとどうなるか?(何をするとゲームオーバーになるか?)は最初から分かっている
例)・「空き缶を落とすと音がする」 「プレイヤーは誤って物音を立てる → すると敵が来る」 と分かっている、その状態で誤って物音を立てる(最初からどうなるかも知ってる)
・この先、強敵が待ち構えている この敵はこんなに強い、残酷で恐ろしい この敵を倒さない限り先には進めない でもこの敵を倒したら次に進めるのは保障済み
いい例
プレイヤーは間違った判断をした場合その先の結末は、ゲームオーバーやバッドエンドに続いている
間違った選択は最悪死ぬ事を意味する
判断が間違っているか正しいかどうかは、予めは分からない、プレイヤーの判断や探索によってのみその答えを見つける事が出来る
例)・探索中、特定の場所を調べる → 敵が出て来る
・扉が三つ並んでいる 赤 青 黄色 赤以外に入るとゲームオーバー 青はだめだと言う情報と、黄色はだめだと言う情報はどこかに隠されている その両方の情報を得ておかないと赤にはいってもゲームオーバー、その状態で選ばされる
その状態でここまで来てしまったらどれか今選ばなければいけない
どれだけの情報を得ている段階で、どの扉に入ったかで、また結末は全部違う
・この道を進んだらそこには悪魔がいて、殺されてバッドエンドになるしかない、一度入る選択をしたら引き返す事は出来ない、それを主人公キャラはその情報をつかまなければ知るよしも無い
でも情報を得ていてそこに入らなければ、次の道に進める
プレイヤーは自分のした判断の先に何が起こるか分からない不確定性を得るべきだと思う
未知に対する恐怖
どういう時、どう対応すれば良いのか(よかったのか)、全て分かった上でそこからスタートしても、プレイヤーはゲームオーバーになるのはプレイヤーの落ち度、失敗でしかない
扉の向こう側で何かが扉をガチャガチャしてる・・・
どう対応すべきかその時点ではネタばれしなければ分からない
どう対応しても、悪い結末になりそうな中、悪い結末になるのを避け、どう対応すべきかを探し出そうとする
その時、自分の前に来ている物事に対して、どういう対応をとるかがどういう結果をもたらすか?どういう変化をもたらすか分からない、未知の発展性、プレイヤーから見て千変万化する可能性を秘めて見える
その発展性の中に自分にとって悪い結末を含んでいる
それが恐怖
ぶっちゃけて言うとホラーゲームで怖がりたい人って実は少ないんじゃないかと思ってる
この銅像は動き出す物だ
と言えばその銅像は動いているのは当然の事だけど
銅像は動かないものだと言った時、銅像が動き出しそうなのは当然ではない
>>242 毎回恐怖を謳い文句にしたゲーム出るたびに全然怖いと思った事無いと言う文句は出る
買い手たちからの需要は高いけど、作り手からの需要は少ない印象
作り手によって作られた内容見る限り恐怖を追い求めている気はしない
買い手たちからの要望で色々な要素を入れるけどたいていは滑っている
何故すべるかと言うと作り手自身は「再現したい恐怖」と言うものを持ってないからで
自分自身の中にはイメージは無いのだから人から聞いた要望を形にして見たってそれらしいものけれど中身の無いものにしかならないのは当然で
作り手自身は恐怖について興味も関心も持ってないけど、買い手たちからは要望は強いと言う不恰好な形態
作り手:自分の作品で恐怖を再現したいと欲求は無い
買い手:怖いゲームを楽しみたいけど、出るゲームは期待通りのものではないため不評
それを見てみると、怖がりたい人は少ないと評価される
つか現実の恐怖と娯楽としての恐怖は別物だろ
現実の恐怖:実利に関係した不安、実際に何か受ける被害に関する拒絶
娯楽の恐怖:安全は確約された上での、現実の恐怖の疑似体験、仮想現実内での安全の確約された上での被害
作り手側も受け手側もしている最大の勘違いは、娯楽の恐怖を現実の恐怖作りこもうとして表現しようとするところ
分かりやすい例だと、プレイヤーのデータを消したりする事で戻る道を消したりする事で恐怖を与えられると思っている
典型的な例だと、プレイヤーを実際に追い詰めようとして例えば敵が強かったり物理的に逃げ切れないようにして現実的に困るようにする
物理的に追い詰める事=恐怖、だと作る側もやる側も考えている
でも実際は、物理的には追い詰めずに仮想的に追い詰められた気持ちを感じるのこそ娯楽の恐怖で
そうしないとどん底まで追い詰められる事も出来ないと
現実の恐怖を娯楽として求めてないなんて皆分かってるんだよ
だからゾンビとか出てくんだろ
仮想の恐怖なのに現実の恐怖を与えようといているのが今の恐怖の考え方
ゾンビとか出て来るのはいいとして
そのゾンビでどうやって恐怖を与えるか
ゾンビは強力でどこまでも執拗で強い
そのゾンビの恐怖表現と言うのはゲームと言う仮想空間の中だけど、与え方はゲーム外の苦労と言う形式で与えようとしている
ぎりぎりまで追い詰めて来る様なゾンビ、何をやっても倒す事の出来ないゾンビ
これはゲーム内から見た「倒す事の出来ない」にはなってない
ゲームの外のプレイヤーとしてみた場合の「倒す事の出来ない」「苦労する」
実際に大変な事を作っても苦労するだけで、それで恐怖を与える事は出来ない
だから恐怖はこれじゃ足りないのか?と判断される
だからもっとぎりぎり、もっと、と考える
現実の恐怖:どう現実に即して追い詰めるか:物理的に敵の強さを上げたり、データを壊したり、難しさを上げる
娯楽の恐怖:どう現実の恐怖を疑似体験するか:何をやっても通らない追い詰められる気持ちをどう再現するか
今のゲームでの恐怖追及は上のそれで
どれだけ強い敵、難しい敵をどう攻略するか?になっている
で、それでは「怖い体験(怖い仮想体験)」は出来ないのは分かっている事で
難しい大変な作用になるだけで
この根本的な勘違いを何とかしないと、大変で難しいゲームの追及にしかならない
本来は安全で楽なゲーム、でも怖いゲームで
恐怖は無いけど、大変で難しいゲームになると言う
仮想のゾンビを出して、プレイヤーが何度やっても先に進めない強さを発揮する
それをもって仮想現実での恐怖とする傾向
でもそれは実際にプレイヤーを苦しめているのでそれは仮想現実での安全な場所での恐怖にはなりえない
本来に必要なのは、安全でプレイヤー自体は苦労しない、されど怖い
空間
次々弱点の無いゾンビが襲い来るのをやっとやっとで対処しても、何度もやり直しても
それは現実面での難しさでしかない
それか現実面でのぎりぎり感
仮想と言うのは安全で実際は自分は傷つかない、そんな状態でなければいけない
本当は安全
でも、不安だけがのしかかる
どうしようもない無力感だけじりじり締め付ける
この扉を開けてみるかね?この先何なのか分からない
プレイヤーはその扉を開けない事も好きなタイミングで開ける事も出来る
実質的にプレイヤーは何ら害を受けていない
仮想的な世界で扉を開けたらどうなってしまうのか?を想像する事で勝手に恐怖する
それが恐怖で
ぎりぎりで襲い来る敵を討ち取る、ぎりぎりで逃げ切る、または逃げ切れない
これを物理的にゲーム内でプレイヤーがそういう状態に陥るようにしてもそれは恐怖ではない
> 今のゲームでの恐怖追及は上のそれで
> どれだけ強い敵、難しい敵をどう攻略するか?になっている
間違ってる
まず攻略、制覇はゲームの面白さにおける重要なファクター
別のアプローチがあるならまず抽象的にでなく具体的に挙げるべき
あと
> 娯楽の恐怖:どう現実の恐怖を疑似体験するか:何をやっても通らない追い詰められる気持ちをどう再現するか
「現実の恐怖の疑似体験」を求めてない、って書いたんだが分かんね?
攻略と恐怖は、合いいれない
恐怖を与えられると言うのは天井に蓋をされるのと同じ
それでもって
攻略とはここで言えば蓋を外すのと同じ行為
これらが同じ軸上で同時に存在できないのは少し考えたら分かる事
攻略できるものとは別に、攻略できないものがずっとそこに存在し続ける
だから恐怖を感じられる
攻略できないものは放置して無視し続けなければいけない
無視してそれとは別に存在する「攻略」をする
それこそ恐怖の基本構造かと
むしろ「攻略」するから、攻略と恐怖を同一軸上に持ってこようとするから
現実面の物の見方をする
恐怖を与え続けようとする為には、攻略できないように少しでもしなきゃいけない
攻略される為には、そこを突っ切らなければいけない
「現実の恐怖の体験の仮想空間での再現」そのものになる
攻略と言う表看板で取り払うのに恐怖を与えなければいけないからその恐怖を与える要素をプレイヤーに壊されないよう防御しなければいけない
だから基本的な構造は
・恐怖は直接攻略できない
・攻略できる部分を別に用意する
・攻略する部分を攻略すると、間接的に恐怖を克服または克服に近づけられる
これで恐怖そのものは絶対的な位置を確保しつつプレイヤーの達成する行動も作れる
とは思う
恐怖はプレイヤー自身ではどうにもならない
だからそれを対処する為の間接的な手段に出る
例えば、この建物にはゾンビがいる→この建物から出る手段を考える=対処できないゾンビのいると言う空間からの退避だから
恐怖は攻略できないけど解決に繋がる
それを直接襲って来るゾンビをどう直接的に対処すればいいのか?に摩り替えるから
そこだけで完結してしまうし、それを少しでも緩和する為、直接的なゾンビの攻撃を強化したりして直接的に追い詰めようとする
ここを開ければ→殺される
ていうのは、逆に言えば、ここを開けなければ殺されない
立ち止まっていれば殺されないって事だから
現実ではない絶対安全な空間と言える
でも開けたら→殺される
ならそれを思い悩んで開けるか開けないか悩み続ける訳で
そういうのは擬似的な恐怖世界を再現したいい例だと思う
けれど、真正面から体力や力やスピードの数値を持った敵をどう乗り切るか?
これは実際のプレイヤーの苦労や労力のお話だから
とりあえずここ一月ぐらい振り返ってみて一番怖い、って感じたのは
こんなトコでポエムみたいな文章書くID:4bYZXNfM0の存在なんだけど如何
とりあえずここまで付き合った感想はID:4bYZXNfM0はあまりゲームのこと知らんな、ってことだな
ゲームにおいて「放置して無視し続けられるもの」は恐怖の対象にならんし
「攻略にあたって放置して無視し続けられないもの」は攻略対象
ついでにこの辺になんらかのアプローチをかけたゲーム自体は多分掃いて捨てるほどあるだろうな
たとえば世界樹のFOEなんかも部分的にはそーだな
(で、これにピンポイントで反論したら救いようのないアホだな、とも付け加えておく)
もういいわ、これ以上付き合わないから今後も説得力に欠ける持論を展開してくだちい
例えば、自分の閉じ込められた建物内にゾンビがいる
その条件だけではゾンビと戦う必要もゾンビをよける必要性も無い訳で
それを、こう変えるから恐怖は消える
ゾンビをよけて進まなければいけない、どうよけて進むか
ゾンビを倒して進まなければいけない、どうやってゾンビを倒すか
ここに全てをもってきたらとたんに恐怖は消滅する
攻略できるものは、恐怖の対象にはなれない
「建物内にゾンビはいる」だけならばゾンビは建物内に依然として存在し続けるだけで
恐怖を発する事になるけど
この通路を進め、この通路のゾンビを全てよけて進まなければいけない
にするとそれは恐怖の対象から攻略対象に落ちる
「この敵をどうやったらよけられるか?」
「どうやったらこの敵を対処できるか?」
と言う思考は恐怖心ではないから
恐怖心は
基本的には対処できない前提で
「それはいつ出て来るか分からない」
「それに出会ったらどうしよう」
どうしようもない
集中してどうよけようか?と考えてる「してやると言う気持ち」を持ってるうちは自分側に勝ち目を持っている前提で物を考えていて
どうにもならない時の考えは 諦め、逃げ腰、の部類
後は祈るだけ、その扉を開けた時そこにその恐怖の対象はいない事を祈る
今回は大丈夫だ、またはいた・・・
と
戦うは恐怖ではない
恐怖とは逃げ
本来は放置して無視し続けられるものを怖がるのこそ恐怖の対象
極端に言えば、自分は今高い塔の上にいる
下の底では巨人が地面をたたいている
実はゲームにはこの巨人は絡んで来ない
だからどれだけの強さを持っているのかも分からないし設定されていない
でもプレイヤーはこの巨人といつ戦う事になるのか終始気にして勝手に警戒している
それだけでも恐怖になる
でもそれだけだと物足りないので実際に巨人と対面する場面も作る
勿論対面する時は殺される時
明確に自分は何をなすべきか、何をすれば良いのか分かっていればそこに恐怖はもう無い
ので
目の前の問題に対して何もする事は出来ない
漠然とただ不安を感じる
それだけ
どうすれば良いのか分かったらもう恐怖ではない
だから攻略対象になったらもう恐怖物としては終りで解決段階
捕らえられないから恐怖なんで
>絶対勝てない敵から逃げ回って出会ったら必ず死ぬゲーム
デビルサマナー(1995年)の冒頭
>>262 絶対勝てない敵から逃げ回る
と言う文章でも
「絶対勝てない敵から逃げ回って」出会ったら必ず死ぬゲーム
と
絶対勝てない敵から逃げ回って「出会ったら必ず死ぬゲーム」
に分かれる
前者は、逃げ回る部分に主眼を置いてる、どう逃げるか?
後者は、出会ったらゲームオーバーになるって部分に主眼を置いてる
別に逃げる必要は無いけど出会ったらゲームオーバー
真剣に敵の位置を把握して逃げると言う手段をとる事で対抗しようとするのと
出会ったらゲームオーバーだけど真剣に逃げると言う行為をしないか
で違う
出会ったらゲームオーバー、だから、出会うのを避けて下さい
と言うのと
出会ったらゲームオーバー、だけど、だからと言って出会うのを避けると言う行動をこちら側から実行して出会うかどうかをこちらで調節する事は出来ない
出来るのは、祈る事だけ
真剣に必死になって、それを防ぐ手段を実行してるのと
もう何も自分からはする事は無い段階で進む事と
最大の違いは、必死になってその対処行動をとるか、する事はもう無いから景色を眺めながら歩き続けるか
何かやってるうちは、自分側で自分の運命を決められるのだから必死になるでしょう
でも、やる事はもう決まってるのでそこから恐怖する必要性は無い
景色を眺めながら歩き続ける・・・と言うのはもう自分でやれる事はないから、そこでする事はもう焦らず慎重に周囲を気にしながら足を進める
だけ
特定の対処手段をしてさえいればいいのと、何をしてもだめだから五感をフルに使って何が起こるか警戒し続けるだけなのと
だから対処とかそれ自体は簡単にすべきで
倒す事それ自体は簡単だよ、よけたり逃げたりする事それ自体は簡単だよ、だからって君の置かれた状況が何か好転する訳じゃないから
悪いのは
倒すのは難しい、でも倒したらどんどん解決して倦怠感を感じる
やり過ごす、対処する事は出来ないと思ってるから怖いんだから
対処する事を織り込み済みにするととたんにただの対処対象になる
攻略する為の敵は恐怖の対象にはなりえない
攻略できないと思ってるから出会ったら絶望的だと感じる
よけるの難しい敵をここでよける事を織り込み済みでいたら、ただの攻略対称にしかならない
敵とやり合う前提は無いから、だからもしも万一、敵と出会ってしまったら、怖い
よけなきゃいけない敵をよければ光が見えるのは当たり前
(ゲーム的に、攻略的に)よける必要のない敵だからこそもしも出会ってしまったらどうしたら良いのか分かりもしない
という感情が芽生える
よけて進むシステムのゲームで敵をよけながら進むのは単に作業で
よけて進むシステムでないゲームで、でもよけなきゃいけないものがいたらそれは怖いから
システム的にどう対処するか約束された敵と出して、それを予定通り対処しても
どこで恐怖するのか分からない
必ずシステム的に教えられた対処で対処するしかないから、最初から結果は見えているし
失敗しても成功するまでやり直すだけ
結局は主人公は勝ち続けるしかない
やる側にとって恐れる面は一つも無い
攻略できるもの、攻略対象物は恐怖の対象になりえない
自分にとって攻略=解決できないからそれは恐怖を与える対象物となっている
解決対象は恐怖を与える対象に離れない
もし攻略可能に見えるなら、それでいて恐怖を感じるなら、それとは別に恐怖を発し続ける攻略できない対象物は存在している
何で恐怖を人は感じるか?と言うと自分ではどうにもならないからで
いつ何が起きるか分からない、根本的には解決できない問題にさらされる
でも自分で解決できる部分も存在する
その部分で対処し続けるしかない
自分で解決できる部分は非常に簡単にすればより恐怖を感じられる
それを勘違いしているのが今の作品群かと
自分で解決する部分が恐怖を発しているものだとして設計しているから
逆に出来るだけ難易度を上げて、ぎりぎりで勝てるようにする
その代り、それを倒してもそれ以上に自分を支配するものは無いから何のストレスも感じない
難しさだけ
恐怖体験を手ごろサイズに収める事
主人公はどういう問題にたたされているのか?どうしたらいいのか?
それを解決する為の道筋は簡潔にする
けれど、解決する為に要する道のりは難解にする
・プレイヤーは、どういう状況下に置かれていて最終的には何を解けば良いのか?
・どうすれば解決なのか?
それが単純明快でどうすればいいのかを把握している手ごろなサイズ
それに対してそれを「どうしたら解けるのか?」は別で
どうやっても動かない物をどうしたら動かす事が出来るか?
何をやってもだめ感、どこに行ってもいる感
その中に一つだけ、たった一つだけ通れる道が隠されてる
解決までの道筋が分かればいたって簡単
何度も失敗して絶望感を感じながらそれを見つけるまでの過程を楽しむ物
知恵の輪と同じ
何をやってもだめ、何をやっても無駄、に見える感じ
それを含まないのはこのジャンルではないと思う
268 :
ゲーム好き名無しさん:2014/10/29(水) 22:29:20.99 ID:lnG4kTl40
そか
269 :
ゲーム好き名無しさん:2014/10/30(木) 13:09:32.04 ID:FwZNtYhaO
みんな文長すぎ
自分しか読んでないよ
270 :
ゲーム好き名無しさん:2014/10/30(木) 14:10:16.23 ID:vPNGSB2WO
PTやって思ったけどアウェイ感は大事だよね
なにやっても通用しない感じ
どっちかと言うと恐怖の敵の方が場に不似合いの現実世界に来ているって感じだと思います
何をやっても通用しないのは確かだけど
自分のいる世界を侵食する者
主人公は現実世界にいる、要するに自分の世界にいる
恐怖の敵はその現実世界では本当は100%の力を発揮できない
だからかろうじて主人公は逃げ延びられる
恐怖って逆の積み重ねだと思います
恐怖の敵は100%の力を出す事は出来ない
でも主人公は何をやっても通用しない
でもここは主人公の側の世界なので逃げられる
敵側の世界だったら一方的に一ひねりされて終了
でもこっちの世界なので、敵は徐々にしかこっちを狙えない
脅してみたり、警告のような行動をとったり
未だこっちの世界に出掛かっているだけで完全に来ていない
おぞましいものを隠している
安全だけど安全でない
この不安定さこそ不安感
現実世界で全ては主人公の味方、それと主人公より強大すぎる恐怖の敵
それでバランスを取れてる
主人公の腕力?戦闘力?と敵の戦闘力が互角な訳ではないという部分が鍵かな?
主人公の強みと敵の強みは別だからこそ敵は強さを思う存分持てる訳で
主人公と同じ部分で互角だったらそれは出来ない
主人公は現実と言う世界に守られているから生きられる
逃げる為の出口を探すのだって現実の出口だし、建物の構造だって
武器だって周囲のもの全て自分の味方
一方恐怖の敵はどこに行ってもいる
それだけの強さを持っている
ちなみに、主人公より敵が強ければその場で瞬殺されて終了
もし強い敵に主人公が勝てるというなら主人公は同等の力を持っている事になる
強い敵に同じ部分で互角に渡り合えるのは超人
エイリアンアイソレーションってどやったん?
エイリアン自体がメジャーになりすぎてあんま怖くないんかな?
敵(?)が呪術師のゲームとか映画って何故か最近では作られないよね
ていうか魔女って言うと最近は何故か少女になってておばばじゃない
呪術のペンタグラムで描れた円の中に入った人間を閉じ込められる
のろいの人形に針をさすとその痛みを人間に伝える
ゾンビやゴーレムを使って襲ってきたり
見たいに直接は襲ってこない
呪術師はどこか全然離れた場所にいてその呪術師を無事見つける事が目的だったり
弱点を与えた瞬間ムービーか何か流れてきてゲームオーバー
弱点とは呪術師(?)に知られてはいけないもの、与えてはいけないもの
呪いをかけるのに血液が必要なら、何かの原因で血液が呪術師の手に渡った時点で
呪術師が主人公に血液を使って呪術をかけてる演出だかムービーだか流れてきてゲームオーバー
ペンタグラムで描れた呪術円はいたるところに描れてる
天井やカーペットの裏
誤って中に入ったら円の中からは出られない
呪術円に閉じ込められるのは人間のみ
なので物質や動物や呪術の生物や悪魔は素通りできる
外から呪術円を壊したり崩したり消したりすると効果は消え外に出れる
銃で外のペンキを撃って倒すと呪術円にかかって消す事をできたり
外の斧が倒れて呪術円の図形を途切れるように床を切ったりすると呪術円の効果は消える
内側からは何をしても消えない
悪魔から自分を守るのは塩で作った結界
悪魔は塩の線を越える事が出来ない
見たいなオカルトものって無いよね
映画もゲームでも
もちろん悪魔を捕まえられる呪術円も作中に存在して後半それを使って反撃する事も
たいていの人は開発の考えた「恐ろしい事(血みどろ、脅かし、脅威)」をどう表現するか?どう連発するか?を考える
だから恐怖にならない
実際はいつ起こるか?何が起こるのか?
起こらないでいる時間で恐怖する
「恐ろしい事が起こりますよ」と言っておいて、いつおこるか?何がおこるか?どうなるのか?ドキドキするようにしておけば、そこまでは恐怖を作れる
後は、その何か起こった時、何だこんなものか、って失望しないようにするにはどうするか
考える
自分の力では抑えられないものを不安定なものに頼って抑えてるのは怖い
悪魔を書物に書かれたとおりのやり方で閉じ込めるとか
もし万一抑えておけない状態になったら何も出来ない
自分で抑えてると怖いとは感じられない
ゲームで言うと、「こうなったらこうすればいい」全部頭に入ってる
失敗したら殺されればいい
後、ゲームは与えられた条件でどうにかなると思ってるうちは恐怖は無い
与えた武器でそれだけで何とかなる
何とか出来る条件はきちんとそろっている
もし何とかなら無かったらそれはプレイヤーの技術の問題だ
プレイヤーは逃げて対処する
その逃げると言う行動をとってさえいたら間違えは無い
何も不足を心配する事はない
もしゲームオーバーになるようならそれはプレイ技術の問題だ
これ等を怖いゲームにするには
「銃で撃てば殺す事はできる」でも銃弾は必要なだけ確保できる保証は無い
「逃げる事はできる」でも逃げても無事外に逃げられる保証は無い
だめなのは
銃で撃ってさえいれば先に進められてそのうちエンディングを見られる
逃げてさえいれば先に進められてエンディングを見られる
いったとおりにやっていればエスカレーター式に話は進んで何も悩む必要も無いよと言う
銃で撃つ事や敵を対処する事はただの敵を対処する事で、解決は解決で別問題
敵を対処していても解決は出来ないし、どんなに対処の技術が高かったとしても永遠に解決しないなら万に一回だけミスを犯したらそこでおしまい
その万に1回は解決に至らないでそこにいる事を続けていれば続けているだけいずれ近づいて来る
その万に一の足音こそがゲームも映画もこういうジャンルで言う恐怖の訳で
何か起こる予感
http://www.choke-point.com/?p=16121 基本的に考えかたが間違ってる
この開発者と言うか殆どの現在の開発者の共通して思ってる事はこう
どう殺すか?
だから殺す部分を先延ばしにするために直ぐに死なないようにする
部分で見れば間違ってはいないけど
今の開発者の思考回路はこう
モンスターがどれだけ本気でプレイヤーを殺そうとしているか
そら今から殺す
それをどれだけ引き伸ばすか?と考ると一撃を与えられても変な隙が出来てまた逃げる
そうやって死なないように引き伸ばす
本来の基本にはこう
殺されると言うものがどんどん自分に迫っているぞ
そらもう直ぐだぞ
指を折ったぞ
今から行ってやるぞ
今来たぞ
そら殺すぞ
とどんどん迫って来る感を伝える
逃げなかった時、避けなかった時だけぐさり
具体的には
・調べたら血の跡や死体が見つかる
・脅迫される
・姿が暗示される
・現れる
・殺される
等
現在の開発者の恐怖表現で見られる死体たちの表現だけど
現在のゲームではたいてい無造作にオブジェとしての死体がプレイヤーが目視できる様に置かれている
プレイヤーはそれを自分で発見するんだけどプレイヤーの目で見ても別段オブジェ異常のものには見えない
本来の表現はこう
まず、死体そのものはプレイヤーからは見えない覗けない
だから覗き込むと言う行動を改めてとる
具体的には、例えば
・入ってきた時に後ろ向きに座った人がいる
その人の正面は見えないようになっている
話しかけようとする→すると「正面が見えて惨殺されている事が分かる」と言うカットが入る
もっといい例は
・カーテンが閉まっている
でもカーテンから何か垂れている
だから調べてみる→すると「カーテンを開けるとそれは血だ、惨殺したいがつるされているのを発見する」と言うカット
さらにそれらがどんなに特別な事かを示す為に主人公のコメントや嘔吐しそうになる等のモーションで強調する
飾りのオブジェではないと言う事をきちんと訴える
そうやって「どんどん迫っているぞ」「今迫っているぞ」を伝える
殺されるのを恐れるのがこのジャンルなので殺されて安心すると言う状態自体がそもそも作り方を間違えている
現代の人は死体をちりばめておけば、それでその数が多かったりより残酷に描れていれば恐怖を与えられると勘違いしている
だからそこらに残酷なものをお飾りとしてばら撒いている
見る側はお飾り、オブジェ、としてしか見ない
そんな状態で本気でモンスターが襲ってきてそれをどう対処するか?を考え、その一瞬でついてしまう勝負を引き伸ばす
見たいな訳分からない事をやってる
大昔に完成したものなのになんで知らないのか謎
これは何かから逃げるタイプで
逃げないで前進するタイプだった場合は
ここを開いたら何かいるかもしれないぞ
「では開いてみるかい?」「大丈夫?」
ここを曲がったら何かいるかもしれないぞ
「では曲がってみるかい?」「大丈夫?」
その部屋には恐ろしいものがたってるぞ
「では入って見れるかい?」
「近づけるかい?」
「どうにかなると思うかい?」
それも結局は同じ事で
「出るぞ」
「出るぞ」
「出るぞ」
「いるぞ」
「触れたら怖いぞ」
徐々に危ないものに近づいていってるぞ
迫っているぞ
基本的には同じ
それを出るのは当たり前、どうやって乗り切るのか?と言う部分を考えてるからおかしい
その代り乗り切るのは簡単じゃないぞ、それが恐怖だぞ
って感じ
本来は基本的には、恐怖は「恐ろしい事が起こるぞ」と言う暗示で大半を使って、「殺されるかどうか」と言う部分はそれに対して1
そこで逃げられるようにするか、殺されるようにするか、それはケースによる
基本的にこのジャンルはどう殺されるか?じゃ無いのにどう殺されるか?を追求する事が間違ってる
このジャンルはどう殺される事を予期するか
もっといえば、殺される事を予期する為に、殺される前の段階を予期して、さらに前の前の段階を予期した・・・ってきりの無いものを考えるようにするにはどうするか?
きりの無いものを考えようとすると何も考えられない
どんよりしたどう具体的に何をしたらいいのか分からない不安感が付きまとう
鈍いストレスの事
これをさして恐怖心
何をしたらいいのか答えは明確に分かっていてそれが難しい事には感じない
http://www.choke-point.com/?p=16121 カットシーン
結論から言うとカットシーンを使うのは正しいと思う
まず自由に動け自由な視点出物を見られる状態でたまたま目に入ったもの
と言う対象物は、見た景色の一部分でしかない訳で
それがどれだけの意味を持ってどう特別なものかなんて作り手の意図は微塵も伝えられない
何でいけないのかと言うとカットシーンの使い方が極端に悪い事が原因だと思う
バイオ1のゾンビの振り返るシーン、バイオ2のリッカーのシーン、見れば分かると思うけど
今の表現の仕方と違いますよね
主人公の見るべき視点だけを映す(やってる人に見て欲しい部分を見て欲しい形状で映す)
プレイヤーの自由視点で映していたらこうは見れないから
現代的思考回路の特徴として
その人の直感に訴えかけようとする癖
昔の恐怖の与え方表現の仕方は
作り手側の用意したどれだけ怖いのか?をそのまま伝える
例えば、恐ろしい怪物を作り上げそれをそのまま伝える
恐ろしい出来事を起こしてそれを伝える
今の作り方では
プレイヤーが自分から自然にそれを感じる事を重要視する
例えば、データが消えるといったやり方や、物理的に迫って来る物理的ぎりぎりさ
自分で見て自分で勝手に焦る、と言う前提
でも、実際は木の上に幽霊がいてそれを自分で発見しても何とも感じないから
観察する程度
本当はいかにその出来事が特別性を持っているかを強調して、どう伝えるかを考えなければいけない
分かりやすい違いで
昔の表現はこう
死体が転がっている→それを発見するとそれがどんな恐ろしい事かを主人公が言葉で示したりカットシーンで物語ったりする
今の表現はこう
死体が転がっている→自分の目でプレイヤーは目視する、以上
どう感じるのかは全てプレイヤーのその時の受け取り方を尊重
その一方で事実関係の説明の描写は非常に長い
自分はこういう理由でこういう考えを持っているんだ
だからこうしたいんだ
本来逆で
何をどうするかはプレイヤーの決める事
どう感じるべきかは作り手の決める事
死体を見つけ嘔吐して、コメントを残す
でも、それに対してどういう決定をするかはプレイヤーの決める事
さらに決定には結果が下される
良い結果、悪い結果、結末
今的にはこう
無造作に死体が散らばっている
散らばっているだけで何も起こらない(自分で見て下さい、眺めるだけ、自由に、見ない事もできる)
またはムービーで流される(自分で感じて下さい、見るだけ)
味方、敵たち、ライバルとの会話、雑談が長々始まったりする
その会話で事実関係が説明され、次する事が示される
プレイヤーはその通り実行する