シベリア郵便局・491通目【レス代行】から
>>180 それは「言葉」の単語においてだからこそいえる事です
言葉で、単語で、秩序、自由か、助ける、見捨てると書けばそれ自体に意味合いを持ってきますから、それに伴いその単語からそれについての結論等を関連付ける事が出来ます
でも物語の中に存在する場合は違います
仮に、プレイヤーが正解不正解だと思っていても、ゲームをプレイする中、プレイヤーがした行動の結果、その結論はプレイヤーが勝手に想像でもして下さい
と言って何ごとも無いかのように話が続いた場合
それは本当に正解ですか?
と言う事です
自分で正解だと思ってした事を、「ご勝手に」だったらプレイヤーはじゃ最初からやる意味無いですね
プレイヤーのした事が正解か不正解か結論付けとしての答えを聞きたがっているのです
ゲームはプレイヤーのした選択に結果を返すものです
結果を返すと言う事は正解不正解と言うものが存在すると言う事です
もしも犯罪をするゲームで人を殺すという選択を行った場合逮捕されて、その一連の流れに自分で結論でもつけて下さいと、釈放され何もなかったように続きが始まります
または、例に挙がったように、人を助けるか助けないか、助けたければ助ければ良いし助けるのがいやなら助けない、自分で勝手にやって下さい、それが良いか悪いかは自分で結論付けて自己満足して下さい
それじゃ物語を体感したとはいえないのではないですか?
動機、行った行動、起こった結果に意味が無いから、内面で自己完結してただけで物語になってない、そして自己満足です
>>183 そうですね、そんな感じだと思います