真・女神転生に登場する悪魔を妄想しよう 九体目

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513無尽光 阿弥陀如来
無尽光 阿弥陀如来

極楽浄土の教主。
「無量光」「無量寿」とも呼ばれ無限の光を放ち時空を超えたという意味。
この仏に従うことを誓い「南無阿弥陀仏」と唱えればどんな悪人でもいかなる罪も消えすぐに極楽行きになるというありがたいお方。
阿弥陀如来への信・不信は問わず、極楽に連れて行ってくれる。
阿弥陀如来の本願力は絶対であるがゆえに、それが信じない者にまで及ぶ。
阿弥陀如来はわれわれの想像もつかないほど、大きな力を持った存在であり、
われわれが何もしなくても、その大きな力で極楽浄土に往生させて下さるのだ。
阿弥陀如来の絶対的な力によって、われわれが極楽浄土に往生できることはすでに“決まっている”のだ。
「阿弥陀様」ちゅうんは、お釈迦さまとは別のブッダ(仏)で、自分だけさとりをひらいてそれでよし、ちゅうお釈迦さまと違うて、
この阿弥陀さまはさとりをひらけない人も、さとった人と同じように苦しみを取り除いてあげましょう、と言うてまんねん。
ずいぶん親切な仏さまですね。阿弥陀さまって。
そうですね。本来の仏教は、「欲望を捨て去ることで苦しみも捨て去る」のが目的でしたよね。
ところがこの阿弥陀さまは、「欲望を捨て去らない人でも、苦しみを取り除いてあげますよ」と言っているんです。
われわれから見たらこんな楽な事はないですよね。で、「苦しみが取り除かれた場所」が、「極楽浄土」なんです。
「浄土」とは「キレイな場所」という意味ですね。
とにかく阿弥陀さまにお願いすれば、この極楽浄土に行ける、ちゅうんで、あれこれ考えるのがめんどっちい人たちに大受けしたんや。
「いい人が極楽浄土に行けるんだから、悪人だって行ける、間違いない(善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや)」と言ってます。
「南無阿弥陀仏」を言っても言わなくてもどっちでもよくて、とにかく心の中でひたすら阿弥陀さまにお願いするだけだし、
時宗にいたってはお願いも何もしなくて、阿弥陀さまが極楽浄土に連れて行ってくれることを、ひたすら踊って喜ぶだけなんです。
今もここから西方に十万億カ国にも上る他の仏達の国々を隔てた所にいて 、他のどの仏よりも強力な光で一切の衆生を照らしている。
阿弥陀如来を見ると、阿弥陀如来の身長は、仏身の高さが、「六十万億那由他恒河沙由旬」もあるそうです。
しかも、後光の広がりは、三千大千世界の百億個に匹敵するといいます。
阿弥陀如来は、無数、無限の大きさになるのです。
この仏の力は無限で食事も必要としない(極楽の住人全員も)。
仏の発する光が自分の身体を照らしますと、今までのいろいろな罪が消えて無くなってしまいます。
しばらくしますと、その光が近づいていき、仰ぎますと阿弥陀様です。
表情は円満なお姿で、晴れている空に緑色の頭の頂が現れて、眉間からは白い光が出て輝いています。
お供の管弦歌舞の菩薩は、雲の間に袖をひるがえしておられ、荘厳にするための旗や供花は風にたなびいています。
眼に満ちているのは、苦しみを救い安楽を与えようとする色です。喜びのため落ちる涙はとどまりません。
聞こえるのはすばらしい教えです。この喜びはとても言葉では言い表せません。
昔は、仏の恵みをわずかに伝え聞きをした程度でしたが、今は阿弥陀様が浄土へ導かれることを誰でも知るようになりました。
阿弥陀様の浄土がどんなところかと詳しく言うと、心地よく迷いの世界に戻ることがない所で、
寿命も無量に長いので楽しみが尽きることはありません。
阿弥陀様は特に優れておられ、完全無欠な容姿が備わり、福徳や智慧によって身を飾っておられます。
又、自由自在の能力があるので心のままに行動することができます。
阿弥陀様は、雲の上のてっぺんから下は限りない底までも、苦しみの海にもがいている人たち全部に、仏の恵みを誰にでも平等に施しておられます。
参考:八功徳池  八種の優れた特質を備えた水のある池。八種とは、甘く・冷たく・やわらかく・軽く・澄みきり・臭みが無く・飲むとき喉を損なわず・飲み終わって腹を痛めない水をさし、極楽浄土の水。
七重宝樹  極楽浄土にある七宝からなる樹。七宝とは、黄金・紫金・白銀・メノウ・さんご・白玉・真珠を言い、これらの七宝が根・茎・枝・条・葉・華・実の七つを構成し、七重の並木となって極楽を荘厳にしている。
三十二相  仏に備わる32の優れた特徴。完全無欠容姿。
六通     人知を超えた六種の自由自在の能力。神足通・天眼通・天耳通・他心通・宿命通・漏尽通
三明     仏が持つ三つの超能力。過去を見通すこと・未来の衆生の死と生の相を見通すこと・仏教の真実によって煩悩を断滅すること。