濯符「東方シリーズ総合スレッド 5190/5190」
■”管理食”は自己家畜化を促進する
ところで、”顔や頭や手足”などを丸ごと全体摂取したり野生的肉食をするのは恋愛行為や自由な体位のセックスに対応し、
飽く迄もノーマルなのです。
恋愛の醍醐味がここに有るのと同様、本来の「食」の醍醐味も全体摂取と野生的食材にこそ在るのです。
ともするとこの全体摂取や野生的肉食が所謂「ゲテモノ食い」(※7)と勘違いされ忌避される傾向に有るのは、
現代管理社会の歪みと言わざるを得ません。
つまり私は現代日本人が志向する”管理食”は、
人工的な管理社会の中で人間が飼い馴らされ「自己家畜化」しテレビ情報などで類型的にモルモット化して行く過程での”家畜の餌”に等しいと考えて居ます(△4)。
さて”慣れ”とは家畜に於いては馴化という言葉が用いられますが、
以上の様に「肉食」に於ける肉種や特定部位の好みや忌避は、
その民族なり人種なりの生存競争に於ける環境適応の結果であり極めて習慣的なローカリズム且つ自己中心的である、
ということがお解り戴けたと思います。
つまりセックスに於いて人に依り好みの体位や”遣り方”と忌避するそれとが在る、ことに対応して居ます。
だからこそ逆に、「食」の指向性から人間の深層心理を読み取ることが出来、
お互いに食事をし”違い”を認め合うことは相互理解の第一歩として有効なのです。
そこで愈々「肉食」には「肉食の哲学」が必要だという本題に入りましょう。
尚、哲学が苦手の人には脱家畜化のショック療法も用意して居ますよ、ムッフッフ!