敵キャラが実は良い人だったっていう展開は寒い

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114大丈夫!名無しさんの攻略法だよ。
俺がFC版の『W』をプレイしたときに納得がいかなかったのはラストシーンである。
仲間を帰るべき場所へと送り届けたのち自らの故郷に帰った勇者が村の真ん中に立つと
いきなり殺されたはずのシンシアが現れて勇者と抱き合うというあのシーンだ。
この『DQW』という物語をものすごく簡単にまとめてしまうと、
「愛するものを失った主人公が愛するものを失って復讐しようとするラスボスに復讐する」という話である。
こうして見てみるとはっきりわかるが、つまり勇者とピサロは似たもの同士なわけだ。「対になるキャラクター」と言い換えてもいい。
似たような動機でぶつかり合ったもの同士、打ち倒された方は失意のままに滅び去り、打ち倒した方は幸せに向かって歩いていく。
こんな不平等が許されていいのだろうか?主人公、勇者という特権はかくも超越的なものなのか?
なんてことを俺は思ってしまうのである。

他のラスボスのように無目的に世界を滅ぼそうとしていたわけではない。
また、ロザリーの拉致さえも部下「エビルプリースト」による謀反の一環。
ピサロ個人には悪役としての素養がそれほどなかったように思う。
しかし、実際のところ「魔族だから人間を滅ぼす」というのは理屈としておかしく、そして「勇者だから魔王を倒す」というのも理屈としておかしい。
その点、4の勇者は「村を滅ぼしたピサロへの復讐」という理念があり、これに関してはピサロとも理念が合致する。
つまり、勇者・魔王ともに復讐劇に転じてしまった感情的な物語=4なのである。
その点において4のストーリーにはリアリティがある。
特に悪役に関してのリアリティは絶賛の域である。
無目的に悪を行使する「魔王」「破壊神」タイプの出現以降、勧善懲悪がRPGの王道と化してしまっているため、こういう人間味溢れるタイプのラスボスというのは滅多に出現しなくなった。