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ゲーム好き名無しさん:
TOPは「テイルファンタジア」として、日本テレネット(ウルフ・チーム)が製作しました。
初期の容量は8M。これは、スーパーファミコンのROMカセットの生産原価が高いからです。
日本テレネットは、自社の広報部門の弱さやネームバリューの低さを認識していた事もあって
TOPを他社に持ち込んで販売してもらう戦略を立てたようです。
そこで、いくつかのメジャーメーカーに打診した際に、濃厚となったのがエニックス。
外注に対する条件の良さ、開発に際しての適度な距離。エニックスは最良の相手と思えます。
ところが、目先の金に目がくらみ、TOPはナムコから発売される事になってしまいました。
ここで、ナムコは「もうウチの作品ですから」と、ゲームシステムやシナリオにどんどん介入し
原作者である五反田や則本は非常に不満を持ちました。
英文として不自然だと、ナムコが勝手にタイトルに”OF”を入れたことに対しても、五反田は
最後まで逆らい、エンディングではTale Pantasiaと表記しました。
皮肉なことにと言うべきか、ナムコの資金力のおかげというべきか、ROM容量が8→16→32と
どんどんふえてゆき、最後には48Mソフト歌うROMとなったのはご存知の通り。
しかし、TOPのメインスタッフはTOPを完成させることなく、日本テレネットを去りました。
ナムコが内容改悪になるような自分勝手な要求を出しすぎる事と、ナムコのスタッフが、自分では
テストプレイ程度しかしていない人間が、雑誌記事で「今回苦労した点は・・・」などと話して
いるのに立腹したためです。特にナムコの豊田はとんだお調子者で、ラジオや雑誌などとことん出たがる恥知らずです。
TOPチームで唯一残ったプログラマー植木は、なんとかTOPをまとめ上げ、TOPは発売に至りました。
飛び出した五反田&初芝&則本&稲垣により、新会社が設立されました。トライエースの誕生です。
五反田は、まず、元地上げ屋のチンピラ 浅沼を傀儡社長に据えました。
経済的に面倒な部分や庶務などを任せ、自分は開発に専念するためです。
新たなパートナーとして選択されたメーカーは、やはりというか、エニックスでした。
ナムコの様に手柄を独り占めすることもなく、開発者をきちんとメディアに露出する。責任も伴う。
五反田はメディアに出まくり、「ボクの作品 某TOP」と語りました。
そして完成したのが、スターオーシャン(以降SO)です。
しかし、会社の初期資金を捻出しなければならない事情もあって、練りこみ不足の点が多々有りました。
何より、TOPの盗作ではないか?との疑問がゲームファンから出たことが、スタッフを立腹させたのです。
五反田はさらに、「ボクの作品TOP」を強調しました。
時代はSFCからPSに移り、SO2が発売されました。
この頃には、トライエース信者とも言うべき中高生を味方につけていたし、
何より、雑誌をまるまる抱き込んでいました。ザ・プレイステーションがそれです。
すごいスタッフ!すごいゲーム!といった提灯記事を載せさせましたた。
そのおかげで、SO2はヒットしました。
植木も合流。「ヴァルキリープロファイル」(以降VP)のメインプログラマーとなりました。
SO2がヒットした時点で、五反田は傀儡社長浅沼を追い出しました。
愛人に社費を遣っていた浅沼を「お前はもう用済みだ」と切ったのです。
しかし、SO2のヒットは思わぬ弊害を呼びました。
「トライエースは景気がいいらしい。メジャーメーカーになったらしい」という事で
昔の知り合い連中が尻尾を振って群がってきました。
これは、トライエースの開発力の低下につながりました。
特に、クソゲー「テイルズオブデスティニー」つまり、偽物テイルズを作ったダメプログラマー
平地が入った事は汚点です。平地はVPの戦闘停止バグの元凶ともいえる男です。
今回の、ヴァルキリーバグファイルとも言える事態で、トライエースはどうなるのでしょう。
依然、信者は多いものの、業界やゲームファンの中には「てんさいゴタンダ」と蔑む者も多く
(「てんさい」が、平仮名なのは、自称天才 もしくは天才と逆の意味)
スターオーシャン3はPS2発売ということですが、またすさまじいバグッぷりを見せてくれるのでしょうか?
「てんさいゴタンダ」は、またしても雑誌記事で自画自賛マスターベーション発言をするのか注目に値します。
傲慢で自信過剰な彼の事だから、きっと期待にこたえてくれるでしょう。
まあ、一介の高卒ゲームマニアがここまで成り上がったんだから、もういいんじゃない?
ながい
なんつーか、一時期のTOPスレから掻き集めてコピペした印象だーね!
つまらない長文は読む気がしません
今更なコピペ