語学的観点による訳語としての「神」

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5名無し
わたしはクリスチャンです。
個人的には聖書の「神」は、「神」という語で表すのは不適当と考えて
います。神道の「神」が多神教のそれであり、聖書のそれは一つだけと
いうとらまえ方なので、実際話していて同じ語をあてはめることによる
不都合も多々あります。
それでかなり前にあるキリスト教系のBBSで問題提起したのですが、
(そのBBSの過去ログがないのが残念だが)
「人の存在を超越したもの」だから「神」でいいのではないか、という
方もおれば、わたしのように「やはりふさわしい名称を」という人もい
ました。
明治時代に宣教が再開したときに、時の聖書翻訳者(宣教師)が日本人
のいう「神」を当てはめたことによるものではあります。当時の事情だ
と新たな語を作ることで却って宣教がしにくくなると考えてのこととき
いたことがあります。また、さきのBBSで「神」でいいのではないか、
という方の主張も、却ってクリスチャンでない人に混乱を与えるのでは
ないか、という理由からです。
ちなみに韓国語では「Hananim」といいますが、これは韓国人の天帝信
仰におけるHaneunim(お天道様:haneul(天)+nim(様))とhana
(ひとつ)の合成語で「天にまします唯一のお方」という意味です。
「神」ということばはキリスト教では「神学」くらいにしか使わないよ
うです。
中国語では「上帝」だそうです。これも天帝信仰によるものから来てい
るのでしょうか?なお文章中では「示尓」(これでひとつの文字)という
字を作って使用している例もあります。(発音は「イ尓女子」の「イ尓」
と同じ)
インドネシア語では「アラー」だそうです。確かに聖書の「神」と同じ
方なのですが・・・。
いささか宗教臭くなってしまいましたが・・・。