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日本語が上手ですね。
こんな過疎スレで必死の工作ですかw
カムパゲリラたち(いま四川に組み込まれてるチベット東部地方出身)は、
まずそれぞれの故郷で抗中蜂起し(1655-56)、一敗地にまみれてから
西蔵に退却、そこで統一の抗中ゲリラ「チュシガンドゥク」を結成、
CIAと連絡して資金や武器の援助をうけるようになったのはそのあと。
外国に攻撃をうけたり占領された人々が、頼れる援助はなんでも頼ろうとするのは当然のことであって、なんら非難すべきことではない。中国だって、抗日戦争のときは「帝国主義」諸国からの支援を受けてたでしょ?
>CIA呼び込んでおいて、北京に一方的にやられた、なんて欺瞞もいいとこ。
きみのほうが欺瞞もいいとこw
17条協定でチベットのうちの「西蔵」部分だけ統治していたガンデンポタン(ダライラマを長として擁する政府)は、カムパゲリラからの武器・食料援助を拒否して、17条協定の枠組みをまもろうと必死だったが、けっきょくインドに脱出するハメになった。
チベット動乱に無知な人のためにハッキリと指摘しておくが、1950年のチャムド戦役でチャムド防衛戦を戦ったあとは、中国軍の侵攻(1950-51)やチベット動乱における中国軍の軍事活動(1955-60頃)に対し、一貫して不抵抗を貫いている。
ダライラマ十四世の親政開始は、チャムド陥落をうけて摂政が辞任したあとだから、彼が元首となって以降、チベット政府軍は中国軍に一切抵抗してない。
ガンデンポタンが「北京に一方的にやられた」のはまぎれもない事実である。(つづきは工作員くんのスレをみてからw)