ドイツと米国がバルカンに関与: 国策の入念な一致? ‹中山康子訳›
(German and US Involvement in the Balkans: A Careful Coincidence of National Policies?)
ttp://chikyuza.net/modules/news2/article.php?storyid=260 1960年代の終わりから1970年に、クロアチアで極右ファシズムが再浮上し、第二次大戦当時と同じ
民族主義のファシストの顔と、民族国家は人種的に純粋であるべきだという要求を示した。
トゥジマン氏は、ファシズム復活の試みに深く関与しており、彼の論文「荒野」(THE WASTELANDS)の
出版に伴い、彼の国家社会主義の精神が表面化したことを認めた。 その中で、彼は、第二次世界
大戦史の主な場面を書き直し、ホロコーストを控え目に言うことを試みた。……(中略)……トゥジマン氏は、
当時の民族主義的・反国家的活動で、3年間刑務所に入った。トゥジマン氏は、刑務所から釈放された
後の数年間、政治的には低い地位にいたが、1980年にチトー大統領が死去すると再び舞台に登場し、
クロアチア人右翼の間に徐々に権力基盤を築き上げ、クロアチア民主同盟(HDZ)を設立した。
1990年5月にクロアチアで行われた複数政党制選挙で、トゥジマン氏の民主同盟(HDZ)がサボル
(Sabor、クロアチア議会)の支配を勝ち取り、トゥジマン氏はクロアチアの大統領になったが、それは
まだユーゴスラヴィア連邦の一部だった。
1990年に信頼できる情報筋は、トゥジマン氏が1988年にドイツ連邦共和国(FRG)を秘密裏に訪問し、
コール首相その他の上級の閣僚に会ったと主張した。……(中略)……ボンでの秘密会合で、ドイツ
政府は、クロアチアのユーゴスラヴィア連邦共和国からの離脱のための政治的、財政的および隠密の
軍事援助を誓約した。
1990年10月4日に、この枢軸が活動している証拠が出た。まだユーゴスラヴィアの一部だったクロアチアに
対して、20億ドルの無利子ローンが(10年と1日後に完全返済可能)、密かに提供されたのだ。このローンは
‘マルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士団’(ORDRA SOUVERAIN ET MILITAIRA DE SAINT-
JEAN DE JERUSALEM、CHEVALIERS-HOSPITALIERS DE MALTE)から提供された。……(中略)……
表向き、同ローンは、民間の工業技術プロジェクトへの資金提供を最優先とし、軍事プロジェクトへの
資金提供に用いられるべきではないという条件が付いていた。だが、信頼できる情報筋は、同ローンが
民間プロジェクト用に取っておかれた他の財源の規制を緩めて開放し、金が兵器工場を装備しかつ
武器を購入に当てられるのを可能にしたと語った。同じ情報筋は、「軍事プロジェクト用に資金提供しない」
条件にもかかわらず、20億ドルのローンのかなりの割合が誤用され兵器に使われたと語った。