★ 外国語(英語除く)板の質問スレッド9 ★

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434何語で名無しますか?
>>429
自分は専門家ではないので、以下丸投げになるが申し訳ない。
岩波書店から『ギリシア語文法』高津春繁 というのが出ている。
初版は半世紀前だから、その後進んだであろう研究は反映されていないけど、
日本では名著の呼び声高い(というかそれを越える本を書いてくれる人がいない)一冊。
以下、その本からまるまる引用。(素人が下手に手を加えるよりはましだと思うので)

§ 261. 時と相(aspect)p. 323

 2. (…)相は,動作や状態を全体的に見た場合には,動作の完了,或いは何らこれに条件を
加えずに動作の,或いは状態のあった(ある,あるであろう)ことを示し,之にあたるのは
aoristus と futurum である。反対に全体のある部分を見た場合には,これは継続,未完,繰
返しとなり,これにあたるのは praesens と imperfectum である。Perfectum というのは
完了した動作や状態の結果の状態であるから,それ自体は継続であると言い得る。従って例
えば ἀποθυῄσκω は《私は死につつある(未だ死んでいない)》, ἀπέθνῃσκον はその過去に於
ける状態,ἀπέθανον は《私は死んだ》(無条件に事実を示す,しかし《死ぬ》ことは完了し
ている), τέθνηκα は《私は死んで仕舞って,目下その状態にある》(I am dead), ἀποθανοῦμαι は《私は死ぬだろう》(無条件に未来)を意味する。この全体を見るか部分かによる相の区別
は種々の陰影を含む意味を発達せしめた。

N. 1.  なお相には動詞そのものが意味上から相を有することがあり,このために相と
   形態上の時称とが合致しないことがあり得る。ドイツ語で suchen《探す》が常に
   継続であるのに, finden《見付ける》が常に完了であるように,例えばギリシア語で
   οἴχομαι《立ち去る》, ἥκω《来た》は形は現在でも,意味上は明らかに完了である。
   (…)