【言語としてのエスペラント】- 2 (除 「運動」)

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935名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 02:30:17
建設中ならestas〜、まだ着手してないならesots〜
これは譲れない。
936名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 02:40:30
誰かが受動はesti 〜itaと規定すればいいけど。
937名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 02:55:55
>>932
>>933
あなたがエスペラントの言語的感覚がないのは、ヨーロッパ言語の感覚がないからなんだよ。
日本語しか知らないのにエスペラントのことを語るととんちんかんだ。
あなた以外の人はあなたの文章を読んでヨーロッパ的感覚がないと、だめだなって思ったはずだ。
938名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 03:13:32
La domego estas konstruita tie.
La domego estas konstruata tie.
の区別さえ私はできないが
まず教えて
939名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 03:13:33
>>934
文法は http://bertilow.com/pmeg/enhavo.html が詳しいのでお勧め。
ここの「Participoj kiel A-vortoj(形容詞としての分詞)」ではこう説明されている。
http://bertilow.com/pmeg/gramatiko/participoj/a-vortoj.html

AT: la ago ankoraŭ ne finiĝis その動作はまだ終わっていない。
IT: la ago jam finiĝis その動作はすでに終わっている。
OT: la ago ankoraŭ ne komenciĝis その動作はまだ始まっていない。

OS montras tempon post la nuno. ONT kaj OT montras staton antaŭ
la komenco de la ago, ofte kun nuanco, ke oni intencas fari la agon,
ke oni planas ĝin, aŭ ke ĝi baldaŭ okazos:
OSは今より後の時間を示す。 ONT と OTはその動作の始まりの前の状態を示し、
しばしば「その動作をするつもりである」、「その動作を計画している」、あるいは
「その動作がまもなく起こる」というニュアンスを伴う。
940名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 03:58:29
受動態のest-と後ろの-taの時制の関係はどう説明されるの
それが大事
941名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 12:54:17
>>934
実際は、完了形が「終わった瞬間」にしか使えないわけじゃないから、
未然(将然)形も「始まる瞬間」だけじゃないけどね。でも、動作は
まだ行われてない状態を意味する。非完了じゃなくて未開始だよ。

この「未開始、途中、既終了」という区分は、他の自然言語から考えると
少し異質だという感覚は分かる。人工的というか理系的な分類というか…。
だからこそ、他のヨーロッパ言語での区分に捕らわれたら駄目だと思う。

>>935
残念。「来年の今ごろは建設中」ならestosだし、「去年はまだ着手されて
なかった」ならestis。

>>937
だから、具体的に書いてよ。じゃあ、>>933 はどこが間違ってるの?
で、私が日本語しか知らないなんていつ言った?
942名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 14:30:31
>>941
「現在」、建設中ならestas、「現在」、未着手ならestosというふうに
時を表示してなかったなら「現在」だというのが文脈で前提だという感覚がないみたいだね。
もしもあなたがあげあしとりじゃなく、ほんとに、「建設中」はestasという表現で
いや、「去年建設中」だったらはestisだと、まじに思う感覚であるなら、
日本語の感覚すらない。
943名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 14:40:58
まず建設未着手ならestos。
で未来に建築完了されるので(普通は途中で崩さない)konstruita。
つまり、
La domego estos konstruita tie.
で、決まり。
でしょ?なやむ必要はない。
944名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 15:30:03
受動態は
現在を起点に
過去estis
現在estas
未来estos
そして完了した(する)ならita
状態が継続ならata
945934:2006/03/20(月) 22:03:34
>>931
誘導先の説明もすべて読んだけど、あなたみたいに単純に納得できないんだよ。
ontとotという形態は現代語にも古典語にもないんだな。
この形はos未来の分詞形として機械的に作られたが、概念が曖昧なわけだ。
現代語数ヶ国語を話せ、古典語もちゃんと学んだ人間からすると非常に奇異に感じる。
難しい話は飛ばして、誘導先の例文を例にとって話す。

Libro, kiun oni poste legos, estas legota libro.
legota手紙は、後で読む手紙のこと。では、otは「これから〜される」という意味。
Sur la tablo kuŝis aro de legotaj leteroj. も「これから読まれる手紙」。

では、Pasero kaptita estas pli bona ol aglo kaptota.
は何語のことわざかわからないが、スラヴ語にも同様の表現があり、意味は、
「捕まえた雀は、まだ捕まえられていない鷲よりよい」
この場合、「これから(必ず)捕まえられる」という概念はない。

(A)「これから〜される」と(B)「まだ〜されていない」は意味範疇が一致しない。
La domego estas konstruotaは、
(A)の解釈だと、「建設工事はやがて始まる」。
(B)の解釈だと、さらに2種の解釈が成り立つ。
(B1)「まだ建設工事は始められていない」
(B2)「建設工事は始まっているものの、まだ終了していない」

まあ、現代語と古典語の知識と論理的思考力がないと、この書き込みの意味はわからない。
946名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 22:23:48
ということで
次回から666のブログになりました。
947名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 22:43:03
>>666
エスペラントの文法が必ずヨーロッパ言語のどれかであるという
先入観が崩れつつあるわけだな。
そして必ずヨーロッパ言語のどれかでなければいけないという先入観も
崩れるわけだ。新しい概念を取り入れたらだめだという先入観も崩れる。
たぶんプライドがゆるさないから、そのまえに止めるだろうけど。そもそも未知なものを学ぼうとする
心がない。残念だね。
948934:2006/03/20(月) 23:29:10
>>947
未知なものを学ぼうとする気概があるなら、中国語やアラビア語やヘブライ語(満足できなかったら
スワヒリ語)などを学ぶべきだ。極意に達したなら、考え方の問題にいきつく。
一般人(エクスプレス対象者)のための会話の場になってきたようなので、バイバイ!
949名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 00:53:50
>>942
> 「現在」、建設中ならestas、「現在」、未着手ならestosというふうに

そこが間違ってるから言ったんですよ。

エスペラントでは、まず過去、現在、未来のうち、いつの時点を注目している
かでestis, estas, estosが区別される。「現在建設中」でも「現在未着手」でも
「現在」がどういう状態かを言ってるんだから、どちらもestasなわけ。

そして、未着手、建設中、建設済みで -ota, -ata, -ita が区別される。だから、

estas 〜ata (現在建設中)
estas 〜ota (現在未着手)
estos 〜ata (未来に建設中)
estos 〜ita (未来に建設済み)

などと9通りのパターンが出来る訳。「現在未着手で来年に完成」なら、

La domego estas konstruota kaj en la venonta jaro estos konstruita.
950名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 01:54:11
>>945
だから、何度も言うように「他の言語がどうなっているか」に捕われちゃ
駄目ですって。エスペラントはヨーロッパ言語の一部じゃないんだから。

で、この後半を読んで、konstrui という動詞を例にしてたから分かりにく
かったのだと分かりました。この動詞は「建設する」という意味ですが、
具体的に「建設する」とはどういう動作かと考えると、「建設工事をする」
という意味と「建設物を完成させる」という意味が考えられて、実はこの
動詞自体が(分詞にしなくても)進行と完了の二重のニュアンスを持って
いるんですね。だからややこしかったのです。別の動詞を例にしたらもっと
分かりやすくなると思います。
951名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 03:37:23
>>934
って言ってまた知識ひけらかせに来るんだろ。
952名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 07:30:50
おれも来るのやめるよ。エスペラントをあんま知ってないやつばっかが、
ぐだぐだとんちんかんなことばっかいってみのりが全くないからね。
953名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 07:57:50
>>949
じゃあ
estas -otaという表現例を見つけて貼っていただきたい。
954名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 10:25:45
「エスペラントの基礎」の「練習問題集」の25課に次のような文例があります。

Lau~ la projekto de la ing^enieroj tiu c^i fervojo estas konstruota en la dau~ro de du jaroj;
sed mi pensas, ke g^i estos konstruata pli ol tri jarojn.
955名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 11:14:14
あるじゃん。これ、ザメンホフ自身が書いてるやつだからね。
MR.666はどう思うかな。
エスペラントはだめだ!
なぜならその表現は私の知ってる全ヨーロッパ言語にはないからだ。
って言うかな爆笑
956名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 12:25:20
>>954の文は理論的に誤りといえる。fervojo estos konstruita en la dau~ro、
g^i estos konstruitaとするべき。著者がアスペクト概念がわかっていないのだろう。

たしかに「建設する」という動詞が悪い。「売るなら」なら単純だが、それでも
「その本はこれから売られる」と「その本はまだ売られていない」という
2つの意味内容が予測されうる。どちらかは文脈から判断するしかないが、
2つの意味が必ず一致するとは限らない。しかし、2つが一致する場合が多いのも確か。
「まだ読まれていない(→読んでいない)手紙が机の上にたくさんある」では、
「その手紙はこれから読まれる」ことが前提となっている。では、話者(女)が
恋人(男)と別れた後、今まで彼からもらった手紙の処分に関する文脈で、
Tute da literoj de li estas bruligotaj.
という文は「燃やすことを予定しているが、まだ燃やされていない」という意味を
表わし、実際に燃やすかどうかは不確定である。つまり、未開始とはいえない。
日本語に訳すなら、「彼からもらったたくさんの手紙を燃やそうと思っている」となる。
>>945で書いたAとBの意味の選択を行う必要がある。ここはエスペラントの
迂言的用法の盲点である。
957名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 12:26:37
エスペラントはヨーロッパ言語の一部である、というさらに一つの例。
多くのヨーロッパ語で「物がどこそこにある」という文の動詞は、
「立っている/横たわっている」(stari/kuŝi)で表現される(「置く」他動詞化も同じ)。
物に応じてどちらの自動詞をとるかは慣用で決まっているが、
ドイツ語・ロシア語・チェコ語・ポーランド語で微妙に異なる。
ヨーロッパ語話者は「必ず」母語の慣用に従うだろう。
日本語にはこの対立がないから、日本人はなんでも
物 estas sur la tablo のように表現するのが無難。
この例からもわかるように、日本人はエスペラントで精緻な表現を使うのは無理。
一般日本人は、幼稚な英語で表現できる事柄を、エスペラントで表現できるのみ。
教養のあるヨーロッパ人なら、緻密な表現で非常に深い内容を伝達できる。
ここが、エスペラントの優れた点であり、それゆえ広まった。
エスペラントは「国際補助語」でなく「ヨーロッパ現代語の補助語」である。 
何かしらのヨーロッパ語を完全にものにしてない日本人にエスペラントの深い理解は無理だ。
958名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 13:04:00
恐れ入った。すごい。
すごいねえ。参った。
作者の間違いだっていいきっちゃうんだから。
959名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 13:21:53
>>956
それを言ったら、
Mi bruligos la leterojn morgau^.
だって予定であって確定じゃない。未来とはそう言うもんだろ。
960名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 13:30:48
>>666
いや確かに盲点だね。おれもestos itaだと思う。
作者が書いちゃったからねえ。しかもエスの根本的文章の「フンダメント」に。
今まで問題になってないのか?はれものにさわるのでふせてきたのか?
あなたが文法書をいずれ書いて下さい。そしてその時指摘してください。
なお「フンダメント」は冠詞に関しても使われ方がまちまちで一定していないらしい。
まあそれはヨーロッパ言語内の違いかもしれないが。
「フンダメント」今度よんでみるよ。
961名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 14:02:18
>>945
>では、Pasero kaptita estas pli bona ol aglo kaptota.
>は何語のことわざかわからないが、スラヴ語にも同様の表現があり、意味は、
>「捕まえた雀は、まだ捕まえられていない鷲よりよい」
>この場合、「これから(必ず)捕まえられる」という概念はない。
捕まえる予定なんじゃない?
>(A)「これから〜される」と(B)「まだ〜されていない」は意味範疇が一致しない。
>La domego estas konstruotaは、
>(A)の解釈だと、「建設工事はやがて始まる」。
>(B)の解釈だと、さらに2種の解釈が成り立つ。
>(B1)「まだ建設工事は始められていない」
しかしやがて始まるので(A)と結局同じ。
>(B2)「建設工事は始まっているものの、まだ終了していない」
それはestas ata


962名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 14:51:23
>>959
その通り。>>666は深い淵に落ち込んだな。
963名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 15:05:46
>>956
「その本はまだ売られていない」は
La libro ankorau^ ne estas vendita.
964名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 02:38:32
>>957
日本語でも「電柱が立っている」「家具が座っている」とか言うし、それを
そのままエスペラントで言っても通じるよ。

それに、ヨーロッパ言語内でも揺れがあって、各ヨーロッパ人が母語の慣用に
従って表現するというのなら、エスペラントでは人によって違う表現がされるって
ことでしょ? ならば、日本人がどちらの表現を使っても間違いではないって
話になりますよね? ヨーロッパ人でさえ揺れてるんだから。

ドイツ語やフランス語といった特定のヨーロッパ言語を学習する際には、逆の
表現をすると「ネイティブはそうは言わない」と言われるかもしれないけど、
エスペラントだと広く許容されるって話じゃないかな。

まあ、いろんなエスペラント文を読んでいたら、自分の知ってる言語にない
おもしろい表現は色々出てきますよ。そういうのも含めてエスペラントでしょう。
965名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 05:31:43
エスペラントは人工のピジン言語でいいんじゃない?
通じればいいんだ。
966名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 12:42:04
>>964>>965
「家具が座っている」とは日本語で言わないのではないか?
「立っている・横たわっている」が一致しないのはごく少数。
人間の捉え方にさほどの差はないからね。
鉛筆・本・絨毯などが「横たわっている」、机・瓶・冷蔵庫などが「立っている」。
難しいのが、横になった本とかソファとか。

エスペラントは総論的には文法が確立されているが、各論的な個々の用法はピジン的部分もあるね。
基本文法で現代語にないのは、taso da kafoと、ont・ot分詞と、
ロマンス語で要求話法の接続法がくる所で命令法が使われることぐらい。
あと難しいと思ったのが、el/deの使い分け。「〜のうちの一つ」とか材料成文で
elを使うでしょう。これはスラヴ語の(i)zが隠されている。ここは、
ロマンス語de、英語of、ドイツ語生格とvon(英語of)になるところ。
en(中で、中へ)⇔el(中から、ラテン語のex>eに由来)は対応しているので、
elは移動・出身などの用法に限定すべきだったと思う。自分なら上の用法は
deで統一しただろう。ザメンホフの母語といえるものは、ポーランド語とロシア語
だったでしょう。他の言語は後天的に習ったわけで、
「今日は寒い」のような無人称的文での-e副詞形、疑問助詞c^など
どうしても母語の考え方の癖が構文法に現れてしまうんだよね。
ザメンホフは語彙をフランス語ラテン語、一部ドイツ語から採集しているが、
思考法の点でスラヴ的な要素がかなりある。馬脚をあらわす、ということだ。
やはり人間というのは、母の抱擁愛撫を通して既存の言語を習得していくわけで、
そうやって習得した母語が規制する思考法から一生涯、解放されない。
論理が飛躍するが、エスペラントでは人間の感情の細かな部分は究極的には表現できない。
967名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 14:58:52
>>「家具が座っている」
いつもへんてこなことを言ってるけど
なに人?
968名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 16:41:50
謎の東洋人
969名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 19:10:43
別に擁護するわけではないが、「家具が座っている」と日本語では言うよ。
家具の置き方で安定が悪いと、「家具の座りが悪い」とかもいう。
「安定した置き方にする」、「安定して置けるようにする」という意味で「座りを良くする」は良く使う。
まあ、「家具が座っている」は、良く使う日本語ではないと思うけど、別に間違いではない。
「家具がある」との意味の違いは、「家具が座っている」というのは、家具がその場所にあって移動しないことを強調する意味がある。
「家具がある」だと、すぐ簡単に動かせる場合でも使えるが、「家具が座っている」だと簡単には動かしづらいというニュアンスが入る。

970名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 20:37:05
「家具の座りが悪い」なら日本の一部で使われているかもしれない。
でも、自分なら「グラグラしている」とかで表現するだろう。
「家具が座っている」は、もう日本語でない。
「家具が置いてある」だと思う。
971名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 23:17:03
>>966
de/el の違いは、例えば「少年たちの指導者」という場合、
la gvidanto de la knaboj
la gvidanto el la knaboj
の2つを考えると、前者は少年たちに大人の指導者が付いているイメージが
するけど、後者は少年たちの中にリーダーがいる感じになる。これはあまり
いい例じゃないけど、このニュアンスの違いが出せるというメリットがある
んじゃないだろうか。da/de の違いと同様、より厳密に意味を表せる。

で、最後の1行はまさに論理の飛躍。究極的に言えば、人間の感情の細かな
部分はどんな言葉でも表現出来ない…でしょ?

>>970
自分の語彙にないからって、「日本語でない」はないでしょう。

「岩波国語辞典」より
すわる【座る・坐る】
(1)ひざを折り曲げて、または腰を掛けて、席につく。
(2)物がしっかりとある位置を占める。
 ▽もと「据う(=すえる)」の自動詞。

ということで、どうやら日本語では「人が座る→物が座る」と転じたのでは
なく、「物が据えられる→物が座る」と転じたみたいですね。
972名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 23:24:09
正確にはたぶん「据わる」である。安定している。一つの所に動かない。という意味である。
例えば、その赤ちゃんはまだ首が据わっていない。椅子の据わりが悪い。目が据わっていない。
>>969は擁護ではなく批判となっている。
>>964は「存在している」という意味で「座っている」と言ったわけであり、
安定しているなどの意味を加味していない。誤りである。
また安定しているという意味を加味していたとしても誤りである。
こういうしょうもない話題で遅々と進まないのはやめていただきたい。
>>964の言い回しはいつもおかしいが(本人は気付いてない)、かなりの老人なのか?
僻地の人間なのか?思想的に何かに傾倒しているのか?日本語が非常にうまいアジア人なのか?
973972:2006/03/22(水) 23:34:41
はははは。分かった共産主義者だね。
974名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 03:16:56
>>972
ん? >>969 は私(>>964)を擁護するつもりはないと言ってるんじゃ
ないのか?

だいたい「座ってる」がどういう意味かなんて、元々この話の本論には関係
ない部分です。本論は、

  エスペラントは、ネイティブのお手本がないため、色んな表現を広く
  許容する言語にならざるを得ない。このため、ヨーロッパ言語にない
  表現をしても間違いであるとは言えないし、他のヨーロッパ言語を
  知らなくても、エスペラントを極めることができる。

という主張ですよ。それをちょっと「座ってる」の話を引き合いに出したら、
本論の方ではなく、「座ってる」の方ばっかりが話題になった、というのが
現在の状況。「しょうもない話題で延々」というのは、私が言いたかった事
です。元の主張の話に戻しましょう。
975名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 03:55:21
極めるをどうとらえるか分からないけど、ほかのヨーロッパ言語を知らなくても、大丈夫。
ピジン+アルファだから。
知っていたら、逆に邪魔になって、さんざん知識をひけらかした挙句、
混乱する人もいることだし。
きちんとしたアバウトさっていうのかな(矛盾したいいかただけど)。
語彙の深い意味を追求して結局深い意味は表現できないといいきる始末。
「どんな言語も大海に浮かぶ小さな島ほどのことしか伝えられない」(金田一なんとか談)。
976名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 14:13:00
関西エスペラント連盟みねよしたか氏ね
977名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 21:15:06
「しょせんピジン+αです」っていう謙遜な態度を貫いていればエスペラント運動もそれほど叩かれないわけなんだが・・・
スレ違いスマソ
978名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 23:16:48
>>975
「きちんとしたアバウトさ」というのは、良いと思う。

「通じれば良い言語」と言えば、一見いい加減でブロークンなものを考える
かもしれないが、裏を返せば、それだけ豊富な表現が可能な言語とも言える
わけで、決して劣等感を感じるべき物ではない。「素晴らしい、いい加減さ」
だよ。

で、そろそろ次スレの時期じゃなかろうか。
979名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 06:53:45
劣等感はしっかりもっておいたほうがいい。
1週間程度でエスペラント原典(初版)を読んでしまったが、現代語だと不可能だ。
大の大人はフランス語やドイツ語の検定2級や1級を目指すべきだ。
エスペラントなんてロマンス語知っていたら速習できる。
エスペラントしかしらない日本人は馬鹿とみてさしつかえない。
げんに>>975は、ピジンとクレオールの区別すらもしらずに、
「ピジン+アルファ」などと意味不明の言葉を吐いている。
980名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 09:17:42
むやみに煽る人がいますね。
981名無しさん@3周年:2006/03/24(金) 12:23:14
「簡単なものが劣っている」と考えるとは、また単純な頭をお持ちで
982名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 03:52:11
ラテン語と現代語(ロマンス・ゲルマン・スラヴ)に深く通じている人に
習わないと、正しいエスペラントの活用術は習えないよ。
文法は非常に簡単だが、語法はこれら4種のカクテル状態になっているから。
語法は9割3分定まっていて、残り7分に個人解釈の余地があるね。
(手本がないと言っている人は若い頃に勉強しなかった人だと断定して)
語法の違いやエスペラントにおける応用の基本理念を教えてくれる教師が
存在したなら、そういう人に習った生徒はとても幸運だ。ザメンホフ並みの
知識をもつ教師なら、語彙や語法の由来を一つ一つ丁寧に教えてくれるはず。
日本にはそういう人は、めったにいないけど、
〜外語大学ならいるかもしれないね。
983名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 05:44:20
>>979
区別を知った上で「ピジン+アルファ」だと吐いたのだが。
984名無しさん@3周年
>>982
ピジン+アルファだから「正しいエスペラント活用術」などない。
分かればいいのだ。そこを知ってないな。
ただし、ヨーロッパ言語的用法のほうが好まれているのは確か。
エスペラントしかしらないバカには教わりたくはないのは同意。
っていうか、日本には教師といえる人がほとんといない。