>>535 接続法というのは、話者の主観を表す法。主観でない単なる事柄を表現する直説法と異なる。
文では、話者の主観内容は、「思う」や「願う」などという動詞の従属節のなかで表明される。
印欧語では、主観なのか主観でないのか区別しようとした。
主観であることを表すために、ラテン語等では接続法という固有の形態が作られた。
古くは、「思う」や「願う」などの動詞の従属節内でも、主観なら接続法、主観でないなら
直接法と区別されていただろう。
現在のロマンス諸語の接続法は、このラテン語用法の崩れた形だと考えられる。
時制の一致(テンスの照応)という現象は、主観内容を表す従属節接続法の時間順序が区別されるようになり、発生したのだろう。
ラテン・ギリシア語派は、主観・非主観と時制を組み合わせた緻密な形態を発達させていった。
ゲルマン・スラヴ語派は、主観内容を区別するために、直説法過去形を応用した。
主観内容は、現代ドイツ語では接続法U式という直説法過去形を少し変えた形で、スラヴ語ではbyと過去形で表現されている。
スラヴ語のbyは、現実と反する仮定や祈願ではよく出現する。