>>664 古典語のような豊富なヴァリアント形が出てこない、希求法がほぼ完全に姿を
消している、用語法が独特である(例えば、キュリオスは奴隷に対する主人の
意味だが、聖書では主=神の意味)など。新約を読みたいのだったら、それに
対応した教科書で学ぶべきだと思う。専門家だと、名詞・動詞変化の方言形を
いちいち覚えなければならない。逆にいうと、語形を見ただけで、著者のギリシアの
出身地方が予測がつく。ホメロスは屈折・語形が特殊なので、これもまたそれに
対応した教科書で学ぶべき。
こういうことに没頭していると、書物だけの古典ギリシア語お宅になってしまう。
古典ギリシアの基礎文法を終えて、現代ギリシアを学び、旅行などして
ギリシア語は生きているのだということを実感してから、再び古典にとりかかる
のがよいと個人的に思う。
私にはわからないが、福音書によって語彙・表現法にばらつきがあるそうだ。
明らかに非ギリシア語話者の文法的に誤った文を書いている人もいる。
若くして古典ギリシア語お宅になってしまうと就職がない。
各方言形をちまちま覚える作業など、高等遊民にしかできない。
老年期になってから学ぶのがよい。サンスクリットも同じ。
若くして古典ギリシアもサンスクリットも習得してしまう奴は秀才であり、
これまで東大で一人しか見たことがない。西欧では、もっといるかもしれないが。