「絵で見る外国語」シリーズについての考察

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50名無しさん@3周年
『(前略)もう何年も前のことだが、ソ連の船が日本海側のある港に入ったと
きのことである。たまたまその町の取材をしていたテレビ局がそのプログラム
の一部として、ソ連の船で来た人たちをスタジオに招待し、歓迎のパーティー
を開いたことがある。そのときアナウンサーがソ連の人たちに、「子どものお
みやげに何を買いますか」と、質問し、その場にいあわせたロシア語をたしな
む人に通訳を依頼した。ところがこの人はあまり会話の経験のない人だとみえ
て、この問いを、「ジェーチ・パダーロック」と、訳した。これは「子どもた
ち・おみやげ」とでもいったのと同じである。もちろんロシア人には何のこと
かさっぱり分からず、けげんな顔をしただけで番組は進行していったが、なぜ
理解できなかったのかについて、ここで考えてみることにする。
 そもそもロシア語では名詞に格変化というものがあって、その名詞が文の中
で果たす役割を示している。いわば「子どもたち〈が〉、子どもたち〈に〉、
子どもたち〈を〉、……」という形があって、傍点をつけた日本語でいえば助
詞にあたるところまで名詞で示すシステムである。だから、もしこの通訳の人
がせめて「子どもたち〈に〉」といったら、話はどうにか通じたのではないか
と思う。(中略)ところが「子どもたち」の格が基本形というか主格を表す格
であったために、このいとも単純な会話すら通じないままで終わってしまった。
これは、ロシア語のような格変化をする言語ではそこをしっかりおさえていな
いと通じない、というよい例なのである』

千野栄一著「外国語上達法」(岩波新書)より