世間は、筋肉労働に対しては実にせちがらい――精神労働
に対しては実に低脳と云っていいほどお甘い
そもそも人間が手足を労して成し遂げる仕事、即ちいわゆる
筋肉労働というやつには、おのずから限度というものがありま
す。どんな精力家だって、まさか人の三倍働いて三倍のお給金
を貰うことは絶対に不可能です。また、三倍働かなければ三倍の
給金が貰えないというところに致命的なせちがらさがあります。とこ
ろが、精神労働の方はそうではない。たとえば技術者や学者や
芸人などになると、人よりもほんの少し傑れているというだけ
で人の三倍も四倍もの収入があることになる。
それはマア話があんまりロコツだが、実際のところそうなん
です。つまり世間というやつは、学問とか脳力とか芸能とか技
術とか経験とか識見とか肚とか信用とか名望とか、とにかくそ
う云った精神的な即人格的存在に対しては、だいいち計量も単
位もなければ標準もないものだから、実に何と云って好いかお
話にもならないほどチャンリンなんです。チャンリンというの
は親馬鹿チャンリンの後半部を切り離した新造語ですが、単に
「おめでたい」と云ったのではとても云い足りないから「チャン
リン」とでも云うより仕方がありません。
乗ずるべき隙は此処にあるのです!否、乗ずるべき隙は此処
にしかないと云った方が好いでしょう。