関口存男について

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223くそ勉強(7)

 正業を捨てて犯罪者の仲間に身を投じた男が振りかえって此
の月並みの正業の世の中を打ち眺めた瞬間、――人間をやめて
単なる財産集積機として居直った男(たとえば貫一!)が腕によ
りをかけて、よりの掛からない腕だらけの此の月並み社会を打
ち眺めた瞬間、――通り一ぺんの勉強家であることをやめて、一
万人に一人もない「クソ勉強家」であるべく決心した男が、そ
のへんの普通の勉強家ばかり寄り合った毒にも薬にもならない
学校とか何とかいうところを打ち眺めた瞬間、――この三つの
瞬間には、期せずして共通なものがあります。それはとりもな
おさず「世間というやつは、実に甘い、到る所隙だらけだ。」と
いう此の認識です。
 もっとも、人殺しや泥坊の場合にあっては、甘いのはほんの
一時で、あとになると可成りからいことも起こってきます。とこ
ろが、金を溜めるのと勉強を溜めるのとは、溜めては不可んと
云う法律がまだ出来てないせいですか、いつまで溜めても新聞
も騒がず警察も動かない。お話にならないほど甘いというのは
つまり此の点です。
 ただ人殺しには滑稽な一面は附き纏わないが、ガッチリ屋と
いうやつには、必ず多少滑稽な一面が附きまといます。これだ
けが欠陥と云えば欠陥ですな。しかし、これはやむを得ません。
八千万人の競争者と同条件で肩を並べても凹たれないという自
信たっぷりな八千万人の天才から見れば、ガッチリ屋とか糞勉
強家とかいったような地下にもぐるタイプは、もちろん滑稽千
万な代物であるに相違ありませんからな。とにかく天才には
何と云ったってかないません。八千万人もいらッしゃると、な
おかなわない。まあ、黙って笑われておくことですな。