コマンドーのガイドライン part155

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450水先案名無い人
スレがないからここに書くけど、
中二病というか京都アニメーションは確実にジブリに狙いを定めて撃ち落とすような向き方だな。
魔女の宅急便+耳をすませば のふたつを一緒くたに相手にして
それらでの消化不良の問題を解決したうえで、超え、それを現代風のスタイルで伝えるという目標を持っていた感じだな。
「トンボに恋しても魔法は失わない。なぜなら天沢聖司がいるから。」ってことなんだな。

ホーリスティック(全体論的)に見て、
一貫した主張を支える骨組みと、それを際立たせる障害の数々から判断しているのだが、
少ない字数やミクロな視点でここだ、と言うのは難しい。が、そう感じたことを示すレポートなり論文を書けと
いうことなら、十分色々つついて回れるだけの箇所はある。
つついて回るひとつひとつに独立した説得力はない。が、つつき回り通すと、全体として主張の様相が見えてくると思う。

つつく部分を個々に拾ってもこの場で証明することは無理なのだが、
たとえばタイトルの、「中二病でも恋がしたい」というのは、
魔女宅で死んだキキの挽回戦みたいな見方から付けられているのではないだろうか。魔女宅ループ二巡目開始といった感じだ。
最後屋根の上で「俺と契約してくれ」は聖司の「結婚しよう」と重ねてある。自転車二人乗りは言う迄も無い。
今2点だけを挙げたが、こんな感じで小さな点を掻き集めていくと、
なんかそんな感じに、とてもうまくまとめられているように思ったんだよ。