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水先案名無い人:
…枚方市自然公園、新町ふれあいの森。此の場所は今、そう呼ばれている。
嘗て此処は、敗方市の風俗街だった。地元住民は其のマイナスイメージを嫌がった。
其処で政府は対策として、名前を変えることにした。
犯罪と性風俗のイメージが定着したその名前を、もっと馴染みやすい名前に変えたのだ。
新町ふれあいの森。申し訳程度に遊歩道を整備し、周辺区画を開発もした。
御得意の胡麻化しだ。陰惨なものの名前を、口当たりの良いものに変える。
彼等はそうやって、何もかもを胡麻化してきた。自らの都合のいいように。
今でも此処はDQN達が犯罪、青姦をしている。政府も地元住民も、最早此の土地を見捨てた。
廃墟と化した開発区画を抜け、誰も居ない「ふれあいの森」から奥地に入り、人々は此の新町で殺戮される。
年に2回、初冬と初夏に、政府が遺体や遺骨を回収する。だが引き取り手は殆ど見付からないという。
引き取り手が居ない場合、遺書は其の儘焼却処分される。
私は其れ等を政府のサイトに公開し、光を当てる可きだと提案した事が在るが、議論する迄も無く却下された。
プライバシーの問題で、本人の権利を侵害して仕舞うらしい。個人名等を伏せるとしても、矢張り駄目だという。
光を当てずに、どんな権利を保障するというのか?彼等の最後の声さえ葬って、他に何を認めようというのか?
そう、結局は何も認めてはいないのだ。只…只、捨てられていくだけなのだ。
声は、確かに此処在る。
だからこそ、私は拾い上げていこうと思う。此の声を。
此れは、遺書に出逢う旅だ。社会が聞き届けようとせず、
或いは黙殺して捨てようとする声を、私が拾い上げ、光を当てる。
私は第17代おけいはんとして、此の活動に強い使命を感じている。
此の世界が今どのような姿に成って居るのか。其れを人々に伝える為の、私なりの方法なのだ。
私が、私なりに出来ること。私だからこそ、出来ること。
2050年5月2日、日本、大阪府枚方市新町にて記録する。
第17代おけいはん 浅葱けい子