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水先案名無い人:
第1話 よつばと樹海(Schwarzshild)
目の前に首吊り死体がひとつ
【綾瀬あさぎ】………。
薄暗い森の中。木にぶら下がる首吊り死体。黙って向き合う一人の女性。
女性の容姿、黒パンツスーツ、白ドレスシャツ、ノーネクタイ
ノンフレーム眼鏡、濃茶ショートヘア、浅葱色の瞳、アクセサリ無し
【綾瀬あさぎ】…富士山麓自然公園、青木ヶ原ふれあいの森。此の場所は今、そう呼ばれている。
一息つく。構えた右手にはスマートフォン。辺りを見回し、彼女は続ける。
【綾瀬あさぎ】嘗て此処は、青木ヶ原樹海と呼ばれる自殺の名所だった。地元住民は其のマイナスイメージを嫌がった。
其処で政府は対策として、名前を変えることにした。
自殺のイメージが定着したその名前を、もっと馴染みやすい名前に変えたのだ。
青木ヶ原ふれあいの森。申し訳程度に遊歩道を整備し、周辺区画を開発もした。
溜め息。険しい目付き。
【綾瀬あさぎ】御得意の胡麻化しだ。陰惨なものの名前を、口当たりの良いものに変える。
彼等はそうやって、何もかもを胡麻化してきた。自らの都合のいいように。
再び首吊り死体を見る。
【綾瀬あさぎ】今でも此処は自殺の名所だ。政府も地元住民も、最早此の土地を見捨てた。
廃墟と化した開発区画を抜け、誰も居ない「ふれあいの森」から奥地に入り、人々は此の樹海で生命を絶つ。
年に2回、初冬と初夏に、政府が遺体や遺骨を回収する。だが引き取り手は殆ど見付からないという。
一歩、歩み寄る。地面に並んだ革靴と遺書。
【綾瀬あさぎ】引き取り手が居ない場合、遺書は其の儘焼却処分される。
私は其れ等を政府のサイトに公開し、光を当てる可きだと提案した事が在るが、議論する迄も無く却下された。
プライバシーの問題で、本人の権利を侵害して仕舞うらしい。個人名等を伏せるとしても、矢張り駄目だという。
81 :
水先案名無い人:2011/02/07(月) 22:49:35 ID:GWEuMvr/0
片膝をついて座る。目を細め、じっと遺書を見る。
【綾瀬あさぎ】光を当てずに、どんな権利を保障するというのか?彼等の最後の声さえ葬って、他に何を認めようというのか?
そう、結局は何も認めてはいないのだ。只…只、捨てられていくだけなのだ。
遺書を拾い上げ、開く。スマートフォンで其の写真を撮っていく。
【綾瀬あさぎ】声は、確かに此処在る。
遺書を元に戻し、立ち上がる。暫しの黙祷。目を開き、また首吊り死体を見る。
【綾瀬あさぎ】だからこそ、私は拾い上げていこうと思う。此の声を。
振り返り、其の場を去る。歩きながら右手のスマートフォンを操作する。遺書の写真が撮れているのを確かめる。
【綾瀬あさぎ】此れは、遺書に出逢う旅だ。社会が聞き届けようとせず、
或いは黙殺して捨てようとする声を、私が拾い上げ、光を当てる。
立ち止まり、一度振り返る。僅かな木漏れ日の向こうに、首吊り死体が小さく見える。そして踵を返す。
【綾瀬あさぎ】私はジャーナリストとして、此の活動に強い使命を感じている。
此の世界が今どのような姿に成って居るのか。其れを人々に伝える為の、私なりの方法なのだ。
私が、私なりに出来ること。私だからこそ、出来ること。
言葉を切り、また立ち止まる。右手を下ろす。上を眺め、視線を流す。
【綾瀬あさぎ】………。
手元を見て、スマートフォンを操作する。GPS対応の地図。前を向き、歩き出す。
【綾瀬あさぎ】2011年1月28日、日本、青木ヶ原樹海にて記録する。
アヤセ・アサギ・エヴァーブルー。