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水先案名無い人:
ベネディクタ・フェジテの生い立ち
私は嘗てキャサリン・リオと呼ばれた者。彼女は嘗てベネディクタ・フェジテと呼ばれた者。
二大女性科学者として世界にその名を知らしめている、あの二人です。御存じでしょう?
フェジテという一つの家系。其処から全ては始まります。
フェジテ家は代々学問の名士を輩出し続ける、世界的に有名な名門の血統でした。
そしてまた一人、名士としての期待と責務を背負い、この家に女の子が生まれます。
それがベネディクタ・フェジテ。時は2687年。今から135年前の事です。彼女の家には、両親と一人の姉が居ました。
しかし両親は有能な学者として多忙。姉も英才教育で彼女の相手をしてる時間は無かった。
其処で両親に成り代わって彼女の世話をしたのが、ハウゼンなのです。
抑もハウゼンは彼女の生まれる3年前、フェジテ家の守衛用マジックドールとして彼女の両親が作ったものです。
そしてそれ以来、不在がちの両親に代わって家を守り続けていた存在。
或いはベネディクタにとっては、本当の両親よりも近しい存在でした。
大病もせず順調に育って行ったベネディクタ。しかしその道は明るくは在りませんでした。
彼女は"凡才"だったのです。決して劣等とまでは言わずとも、"中の下"位の。
両親は彼女を徹底的に教育しましたが、芽が出る事は無く、やがて見切りを付けます。
注がれる愛情は存在せず、代わりに与えられるのは、"一家の面汚し"、"恥曝し"、"出来損ない"などと、非情な謗りの言葉ばかり。
譬え健やかで在ろうとも、フェジテ家の名に不名誉と成る事だけは許されなかった。
寧ろそんな"出来損ない"は、大病でも患って早く死んでしまえと。
多くの名門が裏の顔として持ち合わせている淘汰の理論は、フェジテ家も例外ではなかったのです。
家の中にさえ居場所を失って、それでも唯一味方で在ったハウゼンだけを支えに、彼女は生きて行った。
だがその一方で何とか両親に褒められ、そして愛を受けたいと願った彼女は、自ら進んで猛勉強に励んだ。
しかしそれは強迫観念。愛を求め、愛無き事に怯える行為として、そうせずには居られなかった…。
勉強が実を結ぶ事は在りませんでした。
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水先案名無い人:2011/06/12(日) 21:18:01.80 ID:bzJkbGlz0
結局凡才の域を抜け出せないまま、彼女が19歳の時に母親が、26歳の時に父親が、夫々病死してしまったのです。
葬儀に出たベネディクタを待っていたのは、親戚一同から出来損ないの親不孝者に向けられる、冷たい蔑みの眼差しでした。
何れの葬儀に於いても、故人に贈る言葉として彼女はこう述べています。
ベネディクタ「私が生まれて来た事で、家族は様々なものを失いました。母が無駄に御腹を痛めました。
多額の養育費が無駄に使われました。名家の名声に泥が塗られました。
この私の罪…。謹んで御詫び申し上げます。生まれて来て、御免なさい。」
しかしこの少し後、皮肉な結果が待ち受けていました。
彼女は典型的な大器晩成型。数々の功績を残し、気が付けばフェジテ家屈指の天才科学者と成っていたのです。
しかし彼女の心が満たされる事は在りませんでした。
彼女が求め続けて来た"もの"は、如何なる名声や勲章でもない、両親からの愛と賞賛。
それらは最早、永遠に失われた後だったのです。
そして2732年、彼女は45歳の若さで生涯に幕を閉じます。
自殺でした。
史実では病に依る急死とされています。世間体を気にした親族が捏造したものです。
彼女はあの日、夜中の内に自宅の庭園の大木で首を吊って自殺。
そして翌朝、ハウゼンが遺体を見付けました。
涙を流せぬ自分の身体を呪ったと、彼はその時の事を哀しげに振り返っていました。
天才科学者として数々の誉れを与えられるも、真に求め続けたものだけは決して与えられぬ。
その空虚な日々の中で、彼女はシャボンの様に漂い続け…。あの日、ふっと消えてしまったのです。