まあはっきり言わせてもらうと
「ゲームは人生において無駄」と言えるなら小説も無駄だ
たまに想像力を育むとか詭弁を振るう人もいるが、そんなのは幻想
想像力を育む専用の訓練や授業を受けた方が効率がいいだろう
無駄にならんのは将来小説家になりたいとか創作業を考えてる人だけ。ゲームの場合も同じ
ゲーム好きにも注意しとくが、ゲームを擁護してるわけじゃないからな
無駄な立場は変わってないから、必要以上の娯楽と感じることができない人は期を見て辞めとけ
ゲームをすることで直接・間接的に金が入る人なら別に良い
小説というか活字の本を読まない奴の日本語はメタメタだからなぁ
小説でいいから読めと思う。
想像力を育む専用の訓練って何?
瞑想でもするの?
>>475 人に聞く前にちょっとでいいから自分でどういうものか想像してみろよ
小説と言ってもエロ小説やライトノベルなんてのから純文学まであって
それを十把一絡げに扱うのは雑すぎ。
それに「想像力を育む専用の訓練や授業」ってなんぞや?
伊集院が言ってたな。
「よく『ゲームなんか時間の無駄だ!』って言う人がいるけど、ボクはこう言いたい。
『いや何を怒ってるのか知りませんけど、ボクはその時間を楽しく潰したいんですよ』って」
まあ娯楽ってそういうもんだよね。
>>474 小説なんかいくら読んでもまともな日本語は書けねーよ
インプットだけじゃアウトプットの技術が身に付かないもん
>478
小説レベルにすら達してない奴には大きなレベルアップがはかれると思う。
>>477 ゲームと言ってもエロゲからシューティングゲー、音ゲー、将棋やチェスまであるんだから
十把一絡げに突っ込むならゲームにもしてくれよ
>>479 小学生レベルならその通りだけど、大抵の人間のボトルネックはアウトプットの方にあると思う
>>480 ゲームあんまりわかんないの。ごめんね。
確かに将棋やチェスとエロゲだと雲泥の差だね。
アウトプットは小説書く人には文芸同人って言うのがあって、
合評会というので発表した作品を同人が寸評してくれる場がある。
これは読者がどう受け取るかをダイレクトにつかめて
ある程度の修練には良い場かもしれない。
ただ、文芸同人って著しいほどの高齢化が進んでるからなあ。
十代二十代には高齢者や団塊達の中に入ることが越えられない障壁になってるし。
どこかに三十代ぐらいまでで構成されてる文芸同人ないかな?
脱衣将棋とか脱衣チェス(あるか知らんが)だとどのくらいの位置なの?
下乳が見えるぐらいの位置かな
>>477 エロ小説もラノベも純文学も無駄
ゲームは無駄って言ってる偉いさん方が主張する命題は「何が身に付くか」だから、
これらの「感動」を取り扱ったもんは無駄としか言えんだろう
逆にエロ小説やらラノベやら純文学などが無駄じゃないと言えるんなら大抵のゲームだって無駄じゃなくなるぜ
まあかろうじてSF小説が物理を学ぶ上で基盤になるくらいだろう
それから個人的に小説読んだくらいで想像力が育まれるとかそんなバカな話はないと思う
付くっちゃー付くだろうが、そもそもの問題として想像力なんて一般的な人の生涯に必要か?
想像力がある人間はなんでも自己完結させちゃう独善人間になる可能性が高いと思うがね
>想像力がある人間はなんでも自己完結させちゃう独善人間になる可能性が高いと思うがね
想像力のある人間ってお前みたいなのを言うんだな
>>485 なに怒ってんの
小説バカにしたわけじゃないし好きなら読み続ければいいじゃん
過去の偉人達は想像力が豊かな人が多いと思う
想像力が豊かな人を見たいなら+に行けばいい
結局ベクトルの向きが違うだけでそこらへんに大差はないよ
>>484 ひょっとしてリアルに厨房?
話を単純化しすぎ
『「感動」を取り扱ったもんは無駄』って書かれる御仁がどういう方か気になるな。
文章にやや血気走った勢いが感じられるけど
感情が喜怒哀楽のどれかに傾いたら、それは“感動”って言うんじゃないか?
問題は人生に実りを与えるかどうか、だろう
同じ本でも指南書や自己啓発本などは身に付く物があるから有用
小説・ゲームは言ってみれば主になんらかの感動を与える売り物であって
一般人にとって有用とは言えないはず
感動が悪いこととは言ってないが、感動がその後の人生に役に立つかどうかってこと
もちろん感動を他人と共有するのは有りだが、「無駄」のボーダーラインをゲームとしている以上
感動とか他人と語り合うなんてのはやはり無駄と分類すべきではあるはず
極端な例を出せば小説ばっか読んでる人間と、偉い人の言う良い本ばっか読んでる人間の
どっちが大成する可能性があるかってことさな
ところで勘違いしてる人がいるようだが、俺はゲームもするし小説も読むよ
だからこそ無駄と言われる所以がわかると思うんだが
否定してる人は、どっちかをろくに知らないか、いままで安全だと思ってた小説がやり玉にされて憤りを感じてるだけでは?
効率よく吸収できる所しか“有用”って感じられないんじゃないか?
ゲームはわかんないけど、どんな小説や読み物からでも吸収できるだろうに。
基準をID:sJWbU2ItOの言う『人生に実りを与えるかどうか』にしぼると、
それって、吸収した物をいかに使えるかってことでしょう?
たいていの事って一人でやり遂げられなくって
大勢の人と関わりながら大成を築いていくんだけれども
人の集まりの中で動いていると一見無駄に思えることが
スムーズな運用につながる事が多くって、
ID:sJWbU2ItOの言う無駄にそういうのが多い気がする。
人って何でもいいから感動の共有があると距離が縮まって
話しやすくなったり漠然とした壁が低くなったりするわけだし。
そういった場を作れないと『偉い人の言う良い本』から吸収した物を
使っても空回りする場合が増えるんじゃないだろうか?
私も指南書や技術書なんてのはよくお世話になってるけど、
それら以外を無駄というのはバランス悪すぎだろう。
あと、憤りを感じてるのは即製的な有用性以外を無駄とする
器量の狭さにイラっと来ているのが本質かもしんない。
以上長文失礼。