サッカーが11歳の少年の命を奪ったガイドライン

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57水先案名無い人
大学院が発足して、日本の学問は強くなった。各大学は下部組織を充実させ、
後に赤ポスにつけるような研究者を輩出するようになった。
だが、日本の学問を支えているのは大学院だけではない。いや、大学院によって
育てられた才能は、むしろ少数派と言えるかもしれない。いまも昔も、日本の学問を
支えているのは、かつてのピタゴラスのような、名もなき人たちの情熱である。
12月24日、悲しい事件が起きた。
JR中央線で大学院生が飛び込み自殺し、後続の快速にはねられて死亡したのである。
運転をしていたのは、ベテランの運転手だった。
報道によれば、本人の自殺が事故の原因だという。
愛息を亡くされたご両親からすれば、「なぜ!」と叫びたいお気持ちだろうとは思う。
だが、無責任な第三者であることを自覚したうえで言わせていただくならば、
この院生の命を奪ったのはJRではない。これは、関係者の情熱に
おんぶに抱っこを続けてきた、日本学界の責任である。

大学院重点化とポスドク10000万人計画が、31歳の院生の命を奪ったのだ。

どれほどの謝罪と悔やみの言葉が積み上げられたところで、院生は戻って来ないし、
ご両親の痛切な痛みが消えることもあるまい。ただ、それでもなお、学界は
今回の事件に対して連帯責任を感じるべきである。高校野球の不祥事で
連帯責任を問うのは馬鹿(ばか)げていると考えるわたしだが、今回ばかりは、
学問に携わる者すべてが、哀悼の意を捧(ささ)げなければならないと思う。
同じく無休かつ無給で研究をしているオーバードクターの先輩は参考人になってしまった。
だが、日本の学問は、 いまなお彼のような立場の人々の情熱によって支えられているからである。
(サイエンスライター)