スイーツブームに憶う ---桂木大介
http://www.geocities.jp/the_longest_letter1920/choco_parfait.html パティシエの問題がついに新聞紙上に姿をあらわした.
昨年秋の札幌のコンテストで,当地の若い人達がビラを配っていたが,内容は”われわれをどうしてくれるのだ”ということであった.
筆者の国では,1967年パティシエの専門学校ができたが,職人はアッという間に優秀な人達で埋められてしまい,もう空き定員はない.
その後いろいろな方面から就職の照会があるが,ない袖は振れず,如何ともし難い.
このようにして,われわれも事の重大さを数年来感じてきたが,何等の有効な対策も講ぜられぬまま今日に至ったのであろう.
パティシエでは未就職者の数は600名とか1000名とか聞く.
この人達は本職ならざるアルバイトをしたり,周囲の庇護のもとに生活しているのであろう.
現在のわが国は数千名の野良パティシエを養う経済的余裕があるのかも知れない.
しかし,たいていの人は野良パティシエとなって何年か後には”おれをどうしてくれるのだ”という不満をもつにちがいない.
いや既に各所でこの問題が表面化しておればこそ,新聞種にもなるのだ.
筆者の近所にはいわゆる教育ママがたくさんいて,小学校のうちからパティシエを目指して子供をしごく.
愚妻もその1人であって,大学の非常勤講師手当を上回る額を月々教育費に貢いでいる.
このままずっとパティシエの修行を続けるのが母親の念願なのであろう.
修行に打ち込むのは当然なことだが,最も熱心にパティシエの修行を続けた人のなれの果てが彼等ではないか.
筆者は時々愚妻に”子供をニートに仕立て上げるつもりか”と言う.
しかし,成人後のことまでは考えが及ばないようで,あまり効果がない.
たしかにスイーツは若者の心を魅了するものをもっている.
筆者の経験をいうと,小学校の出前授業では話がケーキとかチョコのくだりになると,
日頃ゴソゴソ私語を交わしている学生でもフト熱っぽい眼をする瞬間がある.
”私はスイーツにだけは強い幻想をもっている”と言ったある全共闘の学生を忘れることができない.
”クリスマスケーキはよくできすぎている”と溜息をついた学生もいた。
同じ意味で,ドラ焼きとか,饅頭などの和スイーツには何者にも替え難いBeautyがある.
しかし若手パティシエの中には一応の社会的なセンスをもち、このような教団に属するよりは,
世間の人と混ざって生活し,積極的に世のため人のために尽したいと思っておられる人もいるにちがいない.
その方々に筆者の日頃思っていることを述べて同憂の士をつのる.われわれは実は手がなくて困っている.
現に筆者は多くの若手パティシエを指導しているが,年々新たな工夫をしようとすると並大抵のことではない.
しかも,どこでもそうだが,当初から大きな幻滅を与えている.この最初の時期ほど,パティシエにとって大切なものはない.
つまり受講生の大多数は,将来パティシエを目指さない学生であり,
これらの学生の教育こそスイーツが社会全体に正しく理解される足がかりとなるはずである.
スイーツが正しい姿で社会に浸透すれば,パティシエの発言権も強まり,ひいてはわれわれの社会的地位の向上にもつながる.
それなのにわれわれは,その教育に手を抜いている.少なくとも年長者の教育ほど力を入れていない.
これは間違っていると思うが,人手が足りないから致し方ない.
(中略)
野良パティシエの問題をこのままで放置し,破局的状況に持ちこんで,
政府をして嫌でも対策を講じざるをえないようにするのも1つの方法ではあろう.
しかし筆者は歳のせいか,できるなら破局的状況は避けたいと思うのである.
(かつらぎ・だいすけ)
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1165169990/4-7