748 :
「アサヒる」ラテン語形の再建(その1):
「アサヒる」のラテン語原については、現在のところ2つの説が知られている。
>>589 >>646 ところが、こうした説では、語幹が"asah-"なのに、近代語では"asahir"(フランス語)
"asahieren"(ドイツ語)、「アサヒる」(日本語)のように、"r"(ル)の音が現われることを説明できない。
これは初期中世の混乱期に大量の史料が散逸し、「アサヒる」の語形が不完全な形で
後世に伝わったためであると考えられる。
そこで比較言語学の手法を用いて「アサヒる」のラテン語形を再建することが求められる。
従来の説は、「アサヒる」が通常の第四変化動詞であり、能動相の不定法(asahire)が
存在したとみなしている点で共通している。
だが、残存する史料の中には能動相不定法は皆無である。このことは、「アサヒる」が
受動相の変化形式しかもたない形式所相動詞(deponentia)である可能性を示唆する。
749 :
「アサヒる」ラテン語形の再建(その2):2007/09/30(日) 12:44:13 ID:5hWyob070
以下では、「アサヒる」が形式所相動詞であると仮定して、ラテン語形の再建を試みる。
なお、「[]」を付したものは、現存する史料にないが、想定される変化形である。
(不定法)「アサヒること」
現在「アサヒること」:asahiri
完了「アサヒたこと」:asahitus esse
未来「アサヒるだろうこと」:[asahitum iri]
(命令法)「アサヒろ」
現在:asahire, asahimini
未来:asahitor, asahitor, asahiuntor
(直説法)「アサヒる」
現在:[asahior,] asahiris (-re), asahitur, [asahimur,] asahimini, asahiuntur
未完了過去:[asahiebar,] asahiebaris (-re), asahiebatur, [asahiebamur,] asahiebamini, asahiebantur
未来:[asahiar,] asahieris (-re), asahietur, [asahiemur,] asahiemini, asahientur
(接続法)
現在:[asahiar,] asahiaris (-re), asahiatur, [asahiamur,] asahiamini, asahiantur
未完了過去:[asahirer,] asahireris (-re), asahiretur, [asahiremur,] asahiremini, asahirentur
750 :
「アサヒる」ラテン語形の再建(その3)ラスト:2007/09/30(日) 12:45:01 ID:5hWyob070
このように形式所相動詞として「アサヒる」のラテン語形を再建すると、もともとラテン語幹になかった"r"音が
近代語に現れる原因を推定することができる。
すなわち、ラテン語では受動相を表す語尾であったものが、近代語に導入された際に誤って能動形として理解された可能性が高い。
その場合、従来受動的に理解されてきた個所が、実は能動的に理解されねばならないことになる。
例えば、"non veni, non vidi, sed asahiri"は、「来ず、見ず、されどアサヒられた」ではなく、
「来ず、見ず、されどアサヒた」となる。
このことは、これまで受動的に理解されてきた史料の根本的な読み直しを迫ることになる。
すなわち、従来は受け手・被害者の証拠とされてきた史料が、張本人・加害者の証拠となる可能性が生じているのである。
奇妙なことに、現存する史料には動詞「アサヒる」の一人称形がない。
あらゆる活用形にについて一人称形のみを欠くのはきわめて珍しいことである。
これは、単に史料散逸のためなのか、もともと動詞「アサヒる」は一人称では用いられなかったのか、
あるいは、元来は非人称動詞であったものに、後に誤って二人称の用法が生じたのか、
今のところは不明である。