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水先案名無い人:
【戦国武将列伝】
逆撫裸 昌弘(さかさぶら まさひろ)もとの姓は川本(朴・金との説もあり)
相模国程ヶ谷出身の自称「最強武将」
「潜在能力あり」「欠かせない人材」と自らを売り込み、相模国や武蔵野国周辺で幾多の家に仕えるも
武将としての働きはほとんどなく、むしろ軍規を破ること夥しく、流浪の人生を送る。
彼は女性に対する興味が常人の比ではなく、数々の女性に無数の書状を送ったがこの一部は
今も「偽婦賭(ギフト)」と呼ばれ、一部研究家から精神混濁状態の貴重なサンプルとして重要視されている。
また彼は生涯独身を貫き不犯を誓ったといわれている。が、これはただ単に
その機会に恵まれなかったため(いわゆる童貞)とされるのが今では通説となっている。
彼の名が知られるきっかけは、いわゆる「見えない敵を追っての一人働き」であり
北は陸奥、西は讃岐、果ては薩摩にまで転戦し、
時には夜を徹して徒歩で行軍するなど、その行動力は後世に名を残すものであった。
また、女性用武具を着用する肖像画を自ら公開することを好み
「逆撫裸(さかさぶら)」「川本降吐(かわもとふると)」「余皮本(あまりかわもと)」などの異名を持つことになる
後年は、軍規を破ることが知られ、どの家にも仕えることがならず自ら「なめってよ教」なる教えを説く日々であったという
(民明書房刊:戦国武将列伝その参 17010頁より抜粋)