タクティクスオウガのガイドライン Chapter-7

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673水先案名無い人
サッカー日本代表後任監督に関する知らせは瞬く間に広がり、多くの日本人サポーターを驚愕させた。
後任監督が全ての選手に高い運動量を要求するイビチャ・オシムであったことや、
欧州組が信用するに足らない能力しか発揮できなかったこと、
確実のはずのグループリーグ突破が適わなかったこともそうだが、
何よりも日本サッカー協会会長川淵三郎がジーコ路線の継続を唱えたことにある。
サポーターは代表の永く続く楽しくないサッカーに疲れ果てており、代表を導くまともな監督を渇望していた。
オシムの監督指名は救世主の出現に他ならなかった。
川淵は日本サッカー界の代表としてオシムをサッカー日本代表監督の正式な後任者と認め、豪州戦の不可解な采配に沸点を越えた監督批判の終結を宣言した。
川淵はこうした行為によって、グループリーグ敗退の理由を戦術や指導方針、報道、協会のあり方を含めた日本サッカー界全体の問題ではなく
監督の期待に応えられなかった選手たちの能力不足、プロ意識の欠如と位置づけ、現在の日本サッカーの限界として、論争自体を否定したのである。
しかし、こうした主張を受け入れ、支持したのは一部メディアと優遇を受けたサッカー関係者のみで、
各地に広がっている協会批判を封じ込めるだけの力はなかった。
日本サッカーについての議論は、もはや監督人事などではなく応援する側と運営する側の対立、
言い換えるなら不毛な秩序自由、民族文化論を越え純粋にサッカーを楽しむにはどうすればいいかを問い続ける戦いへとその姿を変えていたのである・・・。