華愚矢伏地(かぐやふせじ)
古代中国。
戦乱の世であったため、数々の勇猛な武将と、それに纏わる逸話が生まれた。これもその一つである。
華と呼ばれる武将がいた。彼は勇猛であることでは有名だったが、やや智謀に欠けていると評された。
華がそのことに全く気付く素振りを見せなかったため、なおさら陰で嘲笑されることとなる。
実は華自身はそれを知っていたが、あえて気付いていない振りをしていたのである。
ある合戦の時、華の軍は窮地に立たされ、活路を切り開くことが出来ずにいた。
敵の弓矢部隊の攻撃が激しすぎて近づくことが出来ないのである。
すると華はたった一人で敵に突進。「ああ、所詮は愚かな華であったか」と皆は嘆いた。
相手が愚かな華と見るや、弓矢部隊に狙い撃ちをされる華。しかし華はすぐに馬を捨て、地に伏せることでそれらを避ける。
そして弓矢部隊のその一瞬をつき一気に接近したことにより、華の軍は勝利を上げる。
これにより、「ああ、華は愚かでは無かった」と言い、「華愚矢伏地」として語り継がれるのである。
なお、現在の成人向けゲームメーカーアトリエかぐやにおいて
「な○とか」などと伏字されているにも関わらず音声が「なピーんとか」などのように聞こえることは
敵地に果敢に突入した華を暗示していることは聡明な読者諸君には言うまでもない。
民明書房刊「古代中国の武将伝〜そしてエロ○ゲー今昔〜」より
初めて作ったけどこれ予想以上に難しいな・・・全然ふいんきが出ない
【韓国】「酒によって腹立ちまぎれに…」〜火を付けようとした40代逮捕[07/18]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1153181003/13 13 Name: <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん [] Date: 2006/07/18(火) 09:21:03 ID: Jz7Sb6Qx
埴埴炭(はにはにたん)……
李氏朝鮮の時代、漢城近郊の火病山で生産されていた良質の炭。
手に持って、少し振るだけですぐに着火するという優れたものであった。
しかし、短気な気質な朝鮮人のこと、すぐに喧嘩や強盗に悪用されたため、
時の朝鮮国王は埴埴炭の製造を禁止し、製法書は焚書された。
最近、某巨大掲示板上で、韓国の放火記事を好んで立てる
「ちょーはにはにちゃんw」なる記者がいるが、この固定ハンドルネームが
埴埴炭からとられたかどうかは、推測の域を出ない。
民明書房刊「ソウル消防25時 〜嗚呼、紅の火は燃ゆる〜」より
アブラタニス
西域に強大な権勢を誇ったユーシモッド帝国の将軍。
サン・マルコ、ギョロメニウスといった名将を多数擁するユーシモッドにおいては
中堅クラスの将軍ながら部下からの信頼も篤く、盟友カトゥッサと共に各地を転戦し、
その戦いぶりから「パラディソ・リベルーラ」(まるで天界に舞う蜻蛉のようだ)と賞された。
また西域の武将でありながらバシタカ・ハーンや萩ノ本欽麿といった東方の有力者とも
親交が深く、特に欽麿の主催する球技大会によく参加していたという。
しかし、呆れるほど女癖が非常に悪く、また脱ぎ癖もあったらしい。
そしてついに、欽麿に呼ばれて赴いた東方において、東方の球技選手と共に年端もいかぬ
幼女を手篭めにするという大問題を起こし、東西の開戦は必至かと囁かれた。
しかしユーシモッドはこれにいち早く対応。アブラタニスを国外永久追放とし、
また欽麿も大会の解散を宣言、事なきを得た。
残されたカトゥッサは友の放蕩を諌められなかった自らを悔い、スッキリの丘の上で
民衆に対し涙ながらに深く詫びたという。
これが世に言う「カトゥッサの屈辱」である。
追放後のアブラタニスの消息については諸説あるが、現在ではアラブの唯一神
「タッシーシ」を信奉する暗殺および性犯罪組織に入り、死ぬまで淫蕩の限りを
尽くしたという説が有力である。
アブラがアラブに落ち延びたというところに、筆者は思わず歴史の皮肉を
感じずにはいられない。
ミュンヒハウゼン出版刊「みんな、めちゃ×2困ってるッ!」より抜粋
>186
ネーミングセンスとかは結構良いと思う。
けどどっちかって言うと民明書房と言うよりそのまんま「カノッサの屈辱」っぽいな。
188 :
水先案名無い人:2006/07/21(金) 13:33:07 ID:vBJX8vKW0
>>186 原作では1冊しか出てこなかったミュンヒハウゼン出版も、
2ちゃんでは出典が多いなw
189 :
水先案名無い人:2006/07/23(日) 06:23:35 ID:TViQzdKgO
『熊襟』くまぇり
時は戦国
現在の長野県にあるといわれる秘境 平田山地では名をあげんとする者達が日々修業に励んでいた。
その中で、火計を得意とする一人の修業者が、大名の目にとまりやすくするため、熊の毛皮を首に巻いていた。
それにより、裏はともかく表向きの人柄の良い彼は、親しみを込め
『熊襟』くまぇり
の愛称で呼ばれた。
また彼の操る火計は、あまりの巧みさゆえ、他の修業者は
『得利火』えりか
様々な場面でも利を得る火、と畏怖した。
尚、連続放火犯の平田恵理香容疑者は出身地、愛称、犯行の手口から推測するに、この『熊襟』の子孫ではないかと歴史学者は考えている。 民明書房刊
『欲望は火のように』抜粋
改行ヘタで申し訳ない
下げ忘れたし
雷電「しかし、后宮楽夜魔孟豚・・・まさか奴は、あの悲劇を再現しようと言うのか!?」
后宮楽夜魔孟豚(ごくらくやまもうとん)
古代中国のある王朝で、王がまだ年若い娘を娶った。この若き后に、王の近衛兵であった孟という男は
良からぬ劣情を抱き、策を弄して後宮に入り込み、こともあろうか后に猥褻行為を働いたのである。
この事件が明るみに出た後、王は「わが后の宮でお楽しみとは、夜魔のごとき孟、この豚めが!」と
声を荒げ、一刀のもとに切り伏せたという。
余談ではあるが、この「宮」というのは子宮、つまり女陰を意味していたという解釈もある。
この時に孟を切り捨てた刀というのが、あまりの切れ味に斬られたものを凍りつかせ、霜を与える刀
与霜刀(よしもとう)と呼ばれる伝家の宝刀であったと噂されている。
この後、近衛兵の団長を勤めていた欣茶武(きん・ちゃむ)は、孟の行いに責任を感じて団長職の
辞任を申し出たが、周囲の軍師らは「悪しき者は孟であり、欣将軍に責は無し」と辞任の撤回を
求めたという。
先日から世間を騒がせている、極楽とんぼ・山本の猥褻事件、吉本興業による一刀両断の解雇措置、
欽ちゃん球団の解散騒動という一連の動きが、この后宮楽夜魔孟豚事件と奇妙な符号を見せるのは
ただの偶然なのだろうか、それとも・・・
民明書房・刊 『事件の陰に潜んだ男女の話・あることないこと編』より。
>191
GJ!山本ネタは出来が良いの多いなw
あと出来れば加藤の事も盛り込んで欲しかった。
>>192 出来が良いの多いって、どこかに転がってるなら転載しろよ〜。
気になるじゃないか。
638:名無しさん@6周年 :2006/07/24(月) 19:04:34 ID:7yj49QrYO
【大火謳歌たいぴおうか】
古代中国。
戦乱の世であったため、数々の勇猛な武将と、それに纏わる逸話が生まれた。これもその一つである。
敵の軍勢に、武呂倶(ぶろぐ)の城にて包囲され危機に陥った武将 鷹 桜花(たかおうか)は
伝説の武将 礼 慈艶土(れいじえんど)に応援を要請し、これを打破せんとした。
だが敵の軍勢、弐威斗(にいと)の兵多数。
多勢に無勢の武呂倶城はあっという間に火を放たれ炎上。盟友礼 慈艶土も矢を受けて戦死した。
覚悟を決めた鷹は自らの城に厳重な鍵をかけて籠城し、
奈津刀(なつとう 鷹家に伝わる刀)で自害したという。
末期に鷹は、
「大火謳歌(この炎上する様を楽しもうという意)」
と残し愛馬の葵(あおい)と共に果てたと伝えられる。
民明書房館 『撥血技(はつちぎ)の戦士達』より抜粋
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1146626447/490 ※<円環蛇の無限停滞>
>Infinite Stagnation ON Ouroboros……
>
>"ISONO"と略すのが一般的である。
>敢えて乱暴に例えれば、ニーチェのいう永劫回帰の限定縮小亜種のような概念と
>言えるだろう。尾を呑んだ大蛇ウロボロスの上をそれと知らず歩き続けるように、
>いつまでも同じ所を循環し続ける現象を指す。
>この蛇に囚われた集団の成員は記憶や認識は切れ目無く連続しているにも関わらず、
>時間経過で変遷すべき属性(容姿、年齢、就学者の学年、乳幼児の発語レベル、
>年配者の脱毛状況など)が固定されていることに何らの疑問も抱かない。
民明書房刊
『サンデーナイト・メランコリィ』マーチェンコ・ハシェガエフ著 より
197 :
水先案名無い人:2006/08/02(水) 03:55:11 ID:N6+01ypt0 BE:88906627-2BP(8)
120 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/08/02(水) 02:59:50 ID:U3Eyb5cH0
「うあああああ!!」(ブブンブンブン)
「な、なんじゃぁー!あ、あれはーっ!」
「か、刀がまともに当たったのに、相手が斬れずに吹っ飛んだーっ!」
「ぬぅっ!あれはまさしく研無刀・・・。よもや、あのような年端もいかぬ小僧が・・・!」
「し、知っているのか、雷電!」
研無刀(けんぶとう)
中国拳法において真剣は切れ味がある分扱いやすいし
秘承鶴錘剣から暹氣虎魂まで幅広く使われている拳法家の基本武器
対して研無刀は見た目なんかは真剣とほとんど変わらねぇが
あえて斬れない様に鋭く研がない分
硬度と重量をかなり増加させて
斬るより破壊を目的とした
玄人好みのあつかいにくすぎる刀
使いこなせないとなまくら刀より弱い
ただの鉄くずみたいなもん
だってのに何であのガキは
(民明書房刊 『斬』 より)
「あの刀を見事に使いこなすとは・・・只者ではないでござる!」
「フッ、俺達もとんでもない後輩を持っちまったもんだぜ」
>197
元ネタ解説プリーズ
200 :
水先案名無い人:2006/08/02(水) 08:06:49 ID:a7v7BTih0
蒋悦千(しょうえつせん)
元の時代、南宋は現在の桂林の辺りに蒋悦千(しょうえつせん)なる賤民がいた。
之は病に伏す母を持ち、裏山に自国へ貢ぐ為の一頭の家畜(豚)を飼って暮らしていたと言う。
或る時、悦千は其の母がもうそれ以上存えない事を理解した。
悦千は老い先短い母に最後だけでも素晴らしい食を与えてやりたいと強く思った。
されど悦千には余る金銭も無く、貢物の豚を裁く以外に仕方なかった。
悦千は母に与えた残りだけでも国に貢ぐ為に、豚を余すことなく用い、なおかつ保存の利く料理を作ろうとした。
そこで悦千は豚の肉及び内臓等を細かく挽き、それを豚の腸に詰め保存が利くように加工した。
そして之を蒸して母に与えたところ非常に喜んで食し、間もなく亡くなった。
さて、それから4ヶ月ほど後であろうか、悦千から貢物を回収するために役人がやってきた。
悦千は家畜を処理して之を食とした事を詫び、保存食とした物を代わりに渡した。
役人は怒ったものの事情を飲み込んでそれを受け取り帰っていった。
しかししばらく後、悦千は貢物を納めなかったという罪で国を追われる事となった。
之は試しに貢物を食した役人が、その旨さに感動し全て食い尽くしてしまった為である。
不条理にも国から追い出された悦千は、西夏をさらに西へ行き、山々を越えて放浪した。
そして何番目かの山を登ったとき、悦千は豚飼いのヨーロッパ系の家族に出会った。
かつての豚飼いに共通の何かを感じたのだろうか、彼らは東から来た旅人を厚くもてなしてくれた。
悦千は之に感謝し、お返しに豚の保存食の作り方を教え、またどこかへ去った。
その後の悦千の行方を知るものはいないが、保存食の作り方はその後広く広まった。
人は悦千に敬意を表し此の食品に「シャウエッセン(蒋悦千)ソーセージ」と名づけた。
「ソーセージ」とは "so sage" すなわち「すごい賢人」の意である。
そう、これが昨今スーパー等で売られているシャウエッセンソーセージの起こりなのだ。
現在まで食卓の第一線を飾り続ける食品を生み出した立役者悦千は、
間違いなく歴史を知る人間たちから惜しみない賞賛を受ける対象の一人であろう。
( 民明書房刊 「世界の食卓を作った偉人たち」 より )
>>200 GJ!
しかし「何番目かの山を〜」のくだりは何を意味してるの?
よかったらそこだけ書いて
多分、単純に「凄い距離を移動したんだよ」という意味だけかと。
素晴らしいクオリティだ。感動した
204 :
水先案名無い人:2006/08/04(金) 16:04:10 ID:5Z2EjVCc0 BE:202225199-2BP(108)
>>201 あぁそれはあそこらへん山がちだから
いっぱい山越えてソーセージ有名なアルプスあたりまで行ったって事いいたかったの
37 名前:arc ◆arc/U573Xw 投稿日:2006/08/10(木) 21:36:49 HOST:p10137-air02hon32k.tokyo.ocn.ne.jp
魁!漢字塾
例題
Q ラグビー ボクシング ギロチン
A 羅倶美偉 撲針愚 義呂珍
な、何か嫌な予感がするのう…
38 名前: ◆RAIDENARD. 投稿日:2006/08/11(金) 19:50:51 HOST:aksi113091.catv.ppp.infoweb.ne.jp
雷電「むう、これはまさしく唖躰示。まさか現代にまで受け継がれていようとは!」
唖躰示(あていじ)
古代中国の拳法家が好んだ言葉に、「漢は拳で語るもの」というものがあるが、これはまさにそれを
体現化した修行法である。
修行者は一切口を閉ざして、己の肉体のみを使って相手に言葉を伝えなければならない。もちろん
拳法家の行うことであるから、人文字によるジェスチュアなどでは話にならず、素手で地面を殴って
窪ませたり、剣や槍の先端で岩に文字を刻んだりした。
しかし達人になってくると、普通どおりに文字を並べるだけでは技量を存分に見せることができない
ため、読みが同じでも画数の多い文字を敢えて選ぶようになった。
いわゆる「当て字」は、この「唖躰示」が元になったことは想像に難くない。また現代でも暴走族などが
当て字のメッセージを好むのは、己の技量をみせつけようとした達人たちにあやかった行動であると
主張する学者も多い。
民明書房・刊「戦い、そして語るシス」より抜粋。
206 :
水先案名無い人:2006/08/13(日) 00:27:19 ID:08QKYtQX0
(1) 明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
207 :
水先案名無い人:2006/08/13(日) 04:17:04 ID:08QKYtQX0
『大納舞句』(だいなまいく)
漢代の詩人田守(たもり)が完成させた唐代の社会評論集。
中国最古の詩編『詩経』に拠れば、先祖代々の故地であった不玖於珂(ふくおか)県に生まれる。
幼少より、詩文を学び、山に籠って航海術の勉強をしながら道士の修行をした。
また、その一方で、料理を好み、四川料理の原型を作ったとも伝えられる。
不玖於珂を出てから、科挙に及第するべく都の太學に入学。しかし、夷狄の音楽である邪豆(じゃず)に倒錯し、
喇叭(らっぱ)を学ぶ。そのため、学業がおろそかとなりわずか1年で太學を放校となる。
以降は、しばらく流浪の生活を送っていたが、やがて当代きっての画家の赤都貨(あかつか)に詩の才能を認められて、
30歳で赤都貨に仕えるようになった。
彼は周辺各国の諸言語にも秀で、諸外国語をちりばめた四珂哭胡麻雀(よんかこくごまーじゃん)なる
吟遊詩を完成させ、名声を得る。
一般的には『猪彝鞆』(いいとも)という書物が代表作ということになっているが、『大納舞句』はより
田守の芸術性が遺憾なく発揮されている作品という評価も高い。
『大納舞句』は餓梁魏(うえやなぎ)慟乎(どうお)そして田守自身が登場する、説話形式で当代の政治・風俗・社会
を批評した書物であり、現在までに120巻ほどその存在が確認されている。
かつては、通年に亘って刊行されていたものが、時が経つにつれ農閑期である秋冬にわたってのみ刊行されるという
現象が見られた。
中でも注目すべきは『大納舞句』内の「疑問」という項であり、市井の人々が疑問に抱きがちな事柄を餓梁魏、慟乎
田守の三人で解決するという体裁をとっている。
しかし、『大納舞句』の真の作者は覇諮(はし)(生没年不詳)では無かったのかという研究が近年報告されている。
民明書房刊 『郁達夫と田守 --中国近代社会評論集』より
『阿音右府』(あねうふ)
中国文化が男性優位であることは間違いないが、唯一女性のみが就ける役職があった。
それは芸術文化について研究する最高機関で、「夷望都右府」(いもうとうふ)と呼ばれていた。
この役職には本来、皇帝の長男より後に生まれた女子だけが就くことができた。
ある時皇帝の四女「宜麻李」(ぎまい)がその役職についていたが、彼女は芸術のセンスがなくろくに仕事をしなかった。
芸術文化の衰退を危惧した男性達は、皇帝の長男より先に生まれた長女である「阿音」(あね)に就かせるべきだと考えた。
彼女は自らが作った曲『阿音誌葉』(あねしよう)を「舞踊団・合舞」(あいぶ)と「弦楽団・琴湖」(ことこ)らと合奏し、その音色と詩の美しさから非常に高い評価を受けていた。
男性達は『阿音右府!阿音右府!』と叫びながらデモ行進を行い、暴動を危惧した皇帝はついに阿音をこの役職に就かせた。
その際に名前も『阿音右府』(あねうふ)に定着したと言われる。
これが現在の妹ブームから姉ブームへの変遷と「あねうp」コールの原点だといわれているが、KOTOKOとI'veが主題歌を手がけた「姉しよ」との関連は謎である。
民明書房刊 『現代と比べる中国の芸術文化史』より
>>207 その本には「田守倶楽部」についても記述があるんだろうか
「昆矢覇砕鋼」の記述の有無も気になるな
「御楽琶世戒拿」もあるのかな?
http://game9.2ch.net/test/read.cgi/cgame/1153783640/655-657 「な、なんじゃあーーーっ!? あのエキドナとかいう痴女、股ぐらから巨大な蛇を取り出しやがったーーーっ!?」
「ぬぅ、あれは“卦琉耽”! ではあれが世に聞く“武者巫女蛇地獄”……!」
「し、知っているのか雷電ーーーーっ!?」
武者巫女蛇地獄(むしゃひめへびじごく)…
その起源は猥流道獲瑠婦族に古くから伝わる公開恥辱刑である
これは卦琉耽なる蛇により相手の動きを封じ
勢羅亜服、巣食魅図等、様々な衣装を強制的に装着させ鑑賞し精神を破壊する高等人体操術であり
中でも苦立喰と呼ばれる達人は服を剥ぎ乳首を高速でつつき、赤面させる事に長けたという
現代、マウスのボタンを押す動作をクリックと呼ぶのは
苦立喰の乳首をつつく時の指使いと酷似していた事に由来する
民明書房卓上遊戯部刊
『ホビージャパンはエロ雑誌作れ』より
弧野転覇弟子重誉(このてんはでねえよ)
そのルーツは清朝初期にまでさかのぼる。
野武耶(のぶや、字は愉期(ゆき))という文官がいた。
この「弧野転覇弟子重誉」とは、彼の座右の銘である。
この「弧野転覇弟子重誉」が、彼の座右の銘になるまでの経緯は、実に幾多の波乱に満ちていた。
もともと、野武耶は南京の僧侶の出自であり、都のものからは忌み嫌われていた。
野武耶は自身に数学の才能があることを自覚していたが、しかし、その出自のせいで才能を発揮できないことを嘆いた。
いつしか報われない境遇に阿片に手を出し、亡僧族(ぼうそうぞく)という僧兵の集団に身を投じて暴虐の限りを尽くした。
しかし、都の文官の中に彼の才能を見出したものがいた。
秋山仁(しゅうさんじん)である。
秋山仁は、野武耶にさまざまな数学の薫陶を施し、立派な文官として育て上げた。
そして、野武耶が清朝に登用される際に最後の教えとして「弧野転覇弟子重誉」という言葉を授けた。
これは、孤独であった野武耶が、転じて覇を唱え、誉れ高き弟子を重ね続けるという意味である。
彼はあらゆる数式の解法の研究で名を上げ、彼の解法は文官のみならず、軍師が砲撃の際の弾道計算に珍重され、清の発展に大きく貢献した。
まさしく、覇を唱え誉れ高き弟子を重ねたのである。
現在代々木ゼミナールの荻野暢也が、三次関数の接点問題の解法を教える際に、「この点はでねえよ!」と教えるが、この逸話との関連性は明らかにされてはいない。
民明書房刊「数学者風雲録」より抜粋
亀三兄弟
中華四大奇書のひとつ、「水滸伝」は施耐庵あるいは羅貫中がまとめたとされる
フィクションであるが、宋江など一部の人物には実在のモデルが存在していた事が
知られている。
その中に登場する水練に長けた荒くれ者、「阮三兄弟」にも実在のモデルがいた。
それが「亀三兄弟」である。
長男は『立地太歳(妖怪・荒神の名)』・亀小児。
次男は『短命二郎(関わった人全てを短命にする次男坊)』・亀唱誤。
三男は『活閻羅(生ける閻魔)』・亀笑止痴。
彼らは性は蛮、言動は卑にして誇りも畏敬もなく、人々から怖れられていた。
しかし、その真の実力は所詮、片田舎の力自慢程度に過ぎず、遠方から来た
武人の使う、まるで嵐の中でしなる枝のように、矢継ぎ早に拳を振るう技
『嵐打枝』の前に、長兄小児はなすすべもなく打ちのめされ敗北した。
しかし彼らの父親がその地の官憲に金を握らせ、武人を追放し「あの果し合いは
小児の勝ちであった」と宣言したため、人々からは続々と不満の声が上がった。
しかし亀家の暴力と官憲の権力を恐れ、大っぴらに彼等を批判できなかった民衆は
亀家の事を侮蔑と皮肉を込めて逆説的に「八百有余もの妖怪をも平らげる長」、
すなわち『八百長』と呼んだ。
もっとも、このような悪行がいつまでも続く訳も無く、彼等は朝廷から派遣された
役人・満(みつる)の繰り出す「仕付け糸」により、親子共々ふん縛られ、哀れな最後を
迎えたと言う。
ちなみに、かの武人の用いた『嵐打枝』が『撲針具』を経て、後のボクシングの
原型となる事は言うまでもない。
民名書房刊『初心者のためのスポーツ入門シリーズ1・ボクシング入門』より抜粋
ちなみに、「撲針具」の書名は何かと思い原作を調べてみたら、意外な事に
撲針具の頃はまだ民明書房が使われていない事が判明。
民明書房が初登場するのは、この次の「羅倶美偉」から(ともに単行本3巻)。
仕方ないので、撲針具の説明の後のコマで、ボクシング素人の富樫がルールを
覚えるために読んでいた本を>214の書名としました。
(男塾にあった本なんだから、当然これも民明書房刊だろうw)
>216
いやいや、当然そりゃ知ってるよ。アブラタニス書いたの俺だしw。
そういう意味じゃなくて、『初心者のための〜』なんて、一見まともな出版物に見える本も、
中身は民名書房系のデタラメな蔵書しかないはずだって事よ。
加美粟図
何かかみ合ってないねw
民明書房・刊 『偉大なる奥義の害怒羅員
>>214-217編』より。
あれ?「剣史記」が最初じゃなかったっけ?
まぁあれは創刊以前の本だが。
遊鋳部(ゆうちゅうぶ)
唐代の中国にて、シルクロード交易によってもたらされた海外の芸術品などを模倣し、閲覧用として製作する部署のことである。
国家非公認の組織であり、度々査察によって製作物を没収・廃棄されるが、されたそばから再び作られ、飾られていく。
国民にとっては、安い値段で海外の芸術品を見られるのは得なため、国家は禁止することまではできなかったようだ。
民明書房刊「いまさら人には聞けない電脳与太話百選」より抜粋
上手いな
222 :
水先案名無い人:2006/09/14(木) 03:53:37 ID:8UBpfunq0 BE:266717467-2BP(21)
【我知無知(がちむち)】
古代ギリシャの哲学者、ソクラテスは恐妻家として有名であった。事あるごとに暴力を振るわれ、
夜の営みなどもっての他だった。そこでソクラテスは哲学の勉強会の時、容貌の美しい青年を
品定めしては男色に耽り、欲望を解消していた。「行為の中で行う議論は発展的である」と彼は
弟子たちに語っていた。この頃から、アテネでは男色スポットの隠語として「発展場」が使われ始めた。
また、ソクラテスはプラトンとの行為の最中に「無知の知」の境地に至ったと言われている。
「私が何者であるかは知らないが、無知であることは知っている」
この有名な言葉は、中国で「我知無知」と漢訳され、日本にも広まった。
最近日本で、ガチムチ兄貴を求める同性愛者が続出しているのは、荒んだ社会を生きていくために
哲学的な心を持った兄貴的存在を探しているからかもしれない。
民明書房刊『一緒に哲学極めようぜ!』より
王都名路汚道(おとめろおど)
唐代も末期となると、政治ばかりでなく人心の乱れも深刻な状況であった。
唐の都、長安の北部に位置する三舎院(さんしゃいん)へ通じる道には、
男色家が多く住み着き、観光客を襲うなどして社会問題となっていた。
この事態を憂慮した時の王は、三舎院の周りに全国から集めた美女を住まわせ、
男たちの気を引こうとした。しかし男たちは美女たちに興味を示さず、それどころか
美女たちが男たちの行為を詳細に記した手紙を郷里に送ったため、興味を持った
全国の婦人が長安を訪れるようになった。
時の詩人は、群がる婦人たちを見て、『王都名路汚道』(かつては王都の名路と
呼ばれた道も、今では人心の汚染を象徴する道になってしまった)と嘆いた。
現代の日本においても、池袋のサンシャインに通じる道に女子が好む店が集まった
「乙女ロード」なるものが話題となっているが、そのルーツは「王都名路汚道」の
故事にあることは言うまでも無いだろう。
民明書房刊「世界史に学ぶ巨大帝国の終焉」より
うーん、勉強になるのう
朱黄殴鼻(しゅきおうび)
中国においてアルコール摂取を拳法に取り入れた酔拳はご存知の所であろうが
やはり酒を飲む事であり、面白いエピソードが多く伝記に観られる。
なかでも後に酔拳中興の祖と呼ばれた拳法家、朱黄(しゅき)に関しては記載が多く、
そのなかでも朱黄殴鼻(しゅきおうび)のエピソードは著名である。
かつて酔拳の修行に励んでいた朱黄は、同じく修行中の殷州(いんしゅう)と共に
酔っぱらった状態での乗馬術という酔拳奥義の訓練を行っていたが
ふとした手綱裁きの間違いから馬を暴れさせてしまい、町の人に怪我をさせてしまう。
かけつけた役人により殷州は即座に斬られてしまったが、
朱黄は我に帰り、民衆に己の不手際・未熟を詫び、自らの鼻を
石で殴打して、鼻血を出し泣きながら謝罪したという。
人々は真摯な反省の態度に納得し「朱黄殴鼻」(朱黄は酒に酔い醜態を晒したが
鼻を殴って謝ったから軽い罰で許そう)と口々に言ったと言う。
この一件で朱黄は免状を取り上げられ破門されたが、彼は当然の事と反省し、
再度門下生として修行を初め、数年後に再度免状を許され、酔拳の発展に寄与したという。
その後、朱黄は修行者が酒に酔い過ぎ、過ちを犯さぬよう
彼等を見張り、助ける役職『大綱(だいこう・綱となり酔った修行者を縛るの意)』をおき、
自らの失敗を二度とせぬように気を付けたと言う。
いまでも酒を飲んだ帰りに代行を呼び、運転させるのは
このような故事をベースにしているのは言うまでもない。
(民明書房刊『飲んだら乗るな!車と女とうまい話!』)
>>226 「き」に「黄」を当てるのはちょっとなあ。
229 :
水先案名無い人:2006/09/19(火) 14:23:12 ID:1ocvOgC10
474 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2006/09/19(火) 14:17:10 ID:K0287NMM
大韓帝国李朝はハプスブルグ家の血を引く
李教授によるとヨーロッパの文化の起源が韓国であることが判明した。
ヨーロッパ文化の中心都市といえば、ウィーンが有名である。
このウィーンを統治していたのが、ハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国である。
この「ハンガリー」という意味であるが、「韓人の李」という言葉が訛った
ものであることがわかった。
ハプスブルグ家も李家との混血であり、韓国人の血により、様々な文化が花開いたと言える。
民明書房 「偉大なる韓国!コリア驚いた!!」 より
三舎院……
主徒納亜三舎院(すとなあさんしゃいん)か!
856 名無しさん@6周年 2006/09/29(金) 21:00:14 ID:Gc+azTct0
恋経流辺巣(こいへるぺす)
熊本に勝尾という豪族有り。
平和に暮らしていた彼らだが、世は戦国。
豪族たちが各地で兵を上げ、覇を争う中、勝尾一族も戦渦に巻き込まれることとなる。
当主である勝尾鯉太郎は、精鋭ぞろいの騎馬隊を率い、戦場に赴くが、戦力が違いすぎた。
二十二歳の鯉太郎は愛する妻と一族の女子供を逃がすため、最後の戦いに赴き、勝尾騎馬部隊は全滅したという。
やがて戦国の世は終わりを告げ、時は経ち、無事逃げのびた鯉太郎の妻の元へ一通の手紙が届けられる。
それは鯉太郎が妻への愛を綴った手紙だった。
死を覚悟した鯉太郎が人に託し、それは時を経て妻の手に渡ったのだ。
妻はそれを代々語り継ぎ、その物語は「鯉は時を経て流れ、巣に帰る」すなわち「鯉経流帰巣」と呼ばれ、現在「恋経流辺巣」と呼ばれている。
現在、熊本県最大の暴走族グループ「コイヘルペス」はこれにちなんで名付けられたと思われる。メンバーの勝尾が鯉太郎と関係があるかは定かではない。
コイヘルペスも、小さなウイルスが鯉を殺す様に、少数ながら多くの敵を倒した勝尾家騎馬隊の姿を重ねて名付けられたと言われている。
民明書房刊 「知られざる熊本の最強騎馬隊」より抜粋
【社会】 暴走族「コイヘルペス」メンバー、バイクに車接触で立腹→男性を車で何回も轢く…熊本★3
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1159514712/
232 :
水先案名無い人:2006/10/07(土) 02:45:51 ID:RPY1NASb0
卑似唖多(ピニャータ)
遥か海の彼方からもたらされた、異国の宗教秘儀で使われたとされる形代術具。
その正確な出自や生誕は不明とされ、三国志演義の原本にも載ったことが在るとされる。
それによると、海を越えた人知未開の地に興った呪術帝国の神官『武迂怒胡(ブードゥー)』達が、
自らの力を臣民に知らしめるために術で拵えた生き人形が卑似唖多の原型と言われ、動物や
人間の魂を封じ込めて創り出されていたという。
封じ込める魂は、死んだばかりの動物が良いとされ、その動物の力が強ければ強いほど、
卑似唖多は力を発揮し、荒野を緑豊な草原に変えたり、日照りで乾燥しきった大地に
溢れんばかりの雨水すらもたらしたと伝えられている。
本来は武迂怒胡同士が、お互いの術を競うために作られたのだが、帝国末期にはより強力な
卑似唖多を生むために人の魂を封印する邪法が流行り、人を監視したり呪殺するために安易
に生み出された卑似唖多が術者の下から逃げ出したり、呪術の乱用により帝国の版図は瓦解し、
術自体も口伝であったためか、本当の製造方法は全て失われてしまったのだと言われている。
数百年後、かつての呪術帝国の首都の跡にメキシコ帝国が興り、周辺の少数民族を取り込み
ながら発展していく中で、伝承で伝えられていた『卑似唖多』は、長い年月をかけて術具から、
子供の健康を願うためのお守り「ピニャータ」へと変化し、今に至ったのだという。
現在中南米で、誕生日や聖誕祭を祝う催しとして行われる「ピニャータ」が、紙で作った中空の
動物や星を叩き割るのは、太古の昔に術者の下から逃げ出し、野生化した卑似唖多が、家畜や
子供を喰らう凶暴な生き物だった証とされ、 中に囚われた哀れな動物や人の魂を天に帰すため
の行為が転じたものと言う説が神秘学界を騒がせているが、真偽の程は定かではない。
(民明書房刊「読解:三国志演義〜呪術と伝来、『嗚呼!卑似唖多(あつまれ!ピニャータ)』より抜粋〜」)
ttp://www.xbox.com/ja-JP/games/v/vivapinata/
【頑駄無】
古代中国に阿武鷺(あ・むろ)という男がいた。
ある日彼の村が山賊・慈穏(じおん)に襲われた際、阿武鷺は白馬に跨り負傷しながらも勇敢に戦ったという。
この話を聞いた時の将軍・蕪礼途(ぶらいと)は阿武鷺に頑駄無(頑なな努力は無駄では無い、の意)の称号をさずけ武官として重宝したと伝う。
これが日本の某アニメの起源であることは語るまでもないだろう。
民明書房刊「中国武将百選」より