何の気もなく教科書を見ると、俺の風刺絵のそばに大きな字で、【どうだ明るくなつたろう?】と書いてある。
俺の顔を見てみんなわぁと笑った。俺は馬鹿々々しいから、「札を燃やしちゃおかしいか」と聞いた。
すると、その中の一人が、「然し百円は過ぎるぞな、もし」と言った。百円燃やそうが二百円燃やそうが、俺の銭で
俺が燃やすのに文句があるもんかと、さっさとその場をやり過ごして料亭に飯を食いに行った。
料亭から戻ってまた風刺画を見ると 髭、鼻毛、グラサンが書き足され、おまけに額に【成金】と落書きされている。
さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪に障った。冗談も度を越せばいぢめだ。
札束の黒焦(反対語は、小判は山吹色)のようなもので、誰も誉め手はない。
貧乏人は此呼吸が分からないから、どこ迄押していっても構わないという了見だろう。
日が暮れると、どこに靴があるか分からなくなるような暗い玄関がある家に住んで、外に何も芸がないから、
この出来事を、日露戦争のように触れちらかすんだろう。憐れな奴らだ。
子供の時から、こんな境遇であるから、いやにひねっこびた、植木鉢の楓見た様な小人ができるんだ。
無邪気なら一所に笑ってもいいが、こりゃなんだ。庶民の癖に乙に毒気を持ってる。
「こんないたづらが面白いか、卑怯な冗談だ。君らは卑怯という意味を知ってるか」と言ったら、
「戦争に乗じて金儲けするほうが卑怯ぢゃろうがな、もし」と答えた奴がある。
俺もそう思う。
わざわざ、こんな奴に笑われるために教科書に載ったのか思ったら情けなくなった。