一瞬の隙であった。
毛の先ほどの、あるかなしかの一瞬の隙―――
ガッ
その顎は確実に獲物を捕らえていた。
よく太った一尾の魚であった。
獲物を捕らえた瞬間。
既に逃走の体勢に入っていた。
見事な。
ここまでの動きが可能なのか―――
逃がすか!
魂が爆ぜた。
主婦としての―――
矜持。意地。見栄。
その全てかもしれないし、そのどれでもないかもしれない。
分からない。
分からないから駆け出した。
裸足である。
周りの視線が集まる。
嘲笑。冷笑―――
糞。
その魚は、既に獣のアギトの中だ。
もはや夕食の主役は務まらないであろう。
それが分かる。
分かるが、理屈ではない。
その日の空はどこまでも青く広がっていた。
「?」
その気配に気が付いたのは夜も大分過ぎてからのことであった。
気配---
そう呼ぶには僅かすぎる違和感を男は感じていた。
気のせいだろうか?
が、気づいてしまえばもう動くことはできない。
と----
音がした。
カーテンの裏からだ。
カーテンの裏側にある窓に何かが触れるような音。
かさ、
かさ、
音はすぐやんだ。
次に聞こえてきたのは、あるかなしかの何ものかが移動する音であった。
男は意を決してカーテンをめくることにした。
多少、腕に覚えもあり、何より相手はまだこちらに気が付いていない。
そのことが少なからず男を大胆にさせていた。
男がカーテンに手を掛けた。
その瞬間----
「!?」
一気に間合いを詰められていた。
「ちぃ」
男は強引に身体を捻った。
攻撃をかわし体勢を整えようとした刹那----
宙を飛びまっすぐ顔面に向かって来るものがあった。
かわすことのできる距離ではなかった。
かといって、踏み込んで受けることのできる時間もない。
両腕のガードを上げ受けることしかできない。
男の背中を恐怖が走り抜けた。
たまらぬ茶バネであった。
ル。
ルルル。
ルルルルル。
良い天気である。
街を歩いていた。
目的―――
ふふん
目的が無いわけじゃない。
あるかなしかの、笑みを浮かべ主婦は歩いていた。
買い物。
目的は買い物であった。
しかしである。
何か。
何かが心にささくれを生んでいた。
戸締り―――
ガス栓―――
電気―――
予感―――
確認―――
バックを確認した。
ポケットを確認した。
ぐあかかかかかぁぁ―――
内から湧き上がる凶暴な力に発狂しそうであった。
いっそ狂ってしまえばいいと思った。
財布が無かった。
つまり金がないということだ。
そんな主婦が犬と目があった。
薄汚い野良犬であった。
犬までも嘲笑していた。
ちくしょう
ちくしょう
ちくしょう
ちくしょう
空だけはどこまでも青かった。