夢枕獏の文体のガイドライン

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27水先案名無い人
 昨日の、吉野屋であった。
 小腹が空いたので、何か食べようかと思い、近所の吉野屋へ行ったのだ。
 そこに、すさまじい光景があった。
 人。
 人。
 人。
 人がいるのである。
 先客であった。 それも、おそろしいほどの数で、席を埋め尽くしているのであった。
 このままでは、どこかの席が空くまで、座れそうにもない。
 なぜ──
 と思う。
 奇妙であった。
 いつもはここまで混んでいる店ではなかった。 それなのに、なぜ、今日はこんなに人がいるのか。
 その答えはすぐに解かった。
 垂れ幕が下がっているのである。 そしてその垂れ幕には、
「一五〇円引き」
 などと、書かれているのであった。
 その文字を読んだ途端、体の中にある、何かこわいものが、ざわりと騒いだ。
 何を──
 何を言っているのか。
 それでは、この大勢の客は、今日は一五〇円安いからというだけで、吉野屋へやって来ていると言うのか。
 阿呆か。
 と思った。
 馬鹿か。
 とも思った。
 なぜ、たかが一五〇円引きという利点のみで、普段は来ていない吉野屋へ来ることができるのか。
 木瓜が。
 とも思う。
28水先案名無い人:2005/06/11(土) 15:50:30 ID:7gKdxjQk0
 一五〇円である。
 わずか、一五〇円──
 しかも、よく見ると、客の中には親子連れも交じっているようであった。
 一家四人で、吉野屋へ来ているのである。
 おめでたい話であった。
「ようし、パパはよ、特盛を頼んじまうぜ──」
 そのような声まで、聞こえてくる。
 もはや、見ていられなかった。
 お前ら、一五〇円をくれてやるから、その席を空けな…
 そう、言ってやりたかった。
 吉野屋というのは、もっと殺伐としているべきなのだ、と思う。
 Uの字テーブルの向かいに座った奴と、いつ喧嘩が始まってもおかしくない。
 刺すか刺されるか。
 そのような雰囲気が、いいのである。
 女子供はすっこんでろと、そう思う。
 そのうち、席が空いた。 やっと座れたのである。
 その時であった。
 隣りの客が、
「大盛りつゆだくで──」
 などと、言っているのであった。
 そこでまた、体の中の熱が高まるのを、感じた。
 あのな──
 心の中で、声をかけた。
 つゆだくなんてものは、今日び、流行らねえんだよ。
 木瓜が。
 また、そう思った。
29水先案名無い人:2005/06/11(土) 15:50:51 ID:7gKdxjQk0
 何を──
 何を言うのか。
 得意げな顔をして、何を、つゆだくで、などと言うのか。
 お前は本当に、つゆだくを食べたいのか──
 そう、問い詰めたかった。
 問い詰めたかった。
 小一時間、問い詰めたかった。
 お前は、つゆだくと言いたいだけではないのか。
 そんなものよりも、吉野屋通の間での、最新流行があるのである。
 吉野屋通である身から言わせて貰うのであれば、それはやはり──
 ねぎだく、
 であった。
 大盛りねぎだくギョク──
 それこそが、通の頼み方であった。
 ねぎだくというのは、ねぎが多めに入っていることである。 その代わりに、肉が少ない。
 これが、いい。
 さらに、その上に、大盛りギョク(玉子)。
 これこそが、最強なのであった。
 しかしこれを頼むと、次に来る時から、店員にマークされるという危険があった。
 諸刃の剣であると言えた。
 素人には、お薦めできなかった。
 吉野屋のド素人は、せいぜい、牛鮭定食でも食べていればいいのだ──
 そう、思った。