17 :
水先案名無い人:
「センター化学IBが易化したよ」
受講生は黙っていた。
「俺さ、考えたんだけど、君、頭おかしいですよ」
「なぜ」
「なぜって、まだ随分ながく17族を覚えられなかったじゃないか。もう絶対狂ってますよ」
「まだ、やりたいことをやりかけだわ。先生だってこれからだといってくださるんだもの」
「誰だ、その先生ってのは」
「吉野先生よ。昨日、話したじゃない」受講生は今度は怒ったように言った。「代ゼミで古文を担当する一流の講師よ。日本人で彼にささやく女房は私一人よ」
私は思わず、自分たちの周囲をもう一度みまわした。相変わらずドラクエ関係の講座名を付ける数学講師や、ホストのような風体をした英語講師たちが幾十人も講師室のなかを右往左往していた。
これらは屑だ。どれもこれも代ゼミのなかで自分だけは才能があると思い、沈んでいく連中だ。この受講生も今、この異国の都会でその一人になろうとしている。
「でも、こんな連中みたいになったらホント狂ってますよ」
私は自分のハロゲンヒーターに眼を落とした。だが妹は負けずに、
「たとえ、そうなったって……生きることって結果ではないじゃないの。償われなくたって自分がいいならそれでじゃないの」
「だがな、この連中を見ろよ。惨めだと思わないかい」
講師室にまで来て受講生と争いたくはない。ただ、これら講師が、しゃべったり、懸命になったり誠実に生きても、受験の残酷な世界では立派なものを生むとは限らないと受講生に言ってやりたかったのである。
だが言葉はうまく口からは出ずにそれは別の結果を彼女に及ぼしたらしい。
「わかったわ」受講生はまばたきもせず黒い大きな眼で私をみつめて、「ハァァーロォォーゲン!!!」
「ハァァーロォォーゲン!!!」
私は蛍光ペンを手にとった。受講生の言っていることは正しい。七年前、私の半分は希ガスを捨てろ、もっともっと17族一本槍で突き進むべきだと囁いていた。
それから開眼した私は結婚を諦め、かわりにこのハァァーロォォーゲン!!!をえた。