オーストラリア代表のガイドライン

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59水先案名無い人
 京浜工業地帯の国道を走るトラックの車内。
「ところでノリさん、バックミラーにかかってるこの銅メダルみたいなのはなんすっか?」
「いや、ちょっとしたお守りみたいなもんさ」
「あー、ちょっと待てくださいよ。これ、本物の銅メダルじゃないすっか!」
「そんな目で見るなよ。昔、あるスポーツの大会でもらったのさ。そう、俺はオ
リンピックに出たんだ」
「オリンピック? どういう種目で出たんすか?」
「野球、ベース・ボール」
「??? やきゅうってなんすっか?」
「ボールを木の棒で打つ。昔、そういう競技があったのさ」
 相方は困惑しながら運転手の横顔を見つめ、継ぐための言葉を探す。ボールを
木の棒で打つ? ボールを木の棒で打つ? ホッケーとは違うのだろうか?
「‥‥なんにしろ、オリンピックでメダルが取れるなんて凄いすっよ、ノリさん!」
「おう、凄いだろ」
 運転手は静かに微笑みながら、あの頃を思い出す。高級ホテルのベランダから
望む美しいエーゲ海。毎夜くり返された贅を尽くしたパーティー。二日酔いで立
つグランド。広がる青空。貧乏くさい対戦相手。無能なコーチたち。
 試合などどうでもよかった。彼にとってアテネでのオリンピックは観光旅行つ
いでの余興にすぎなかった。夜の放蕩にそなえて抑えめにプレーし、それでも簡
単に勝利を積み重ねていった。運悪く優勝こそできなかったものの、一応メダル
も獲った。そんな彼らの帰国を国民は熱烈な賞賛で迎えてくれた。そう、あの頃
彼は一年で500万ドルを稼ぎ、まぎれもなく栄華の頂点に立っていた。
 それから様々な事が立て続けに起こった。
 オリンピックの翌々年に彼はチームを解雇された。それでも彼は、他の不遇な
同僚と違って、テレビの解説者というありがたい職にあるつくことができた。し
かし、その仕事も2年と続かなかった。野球が国民の関心事ではなくなり、テレ
ビ局がいっせいに野球から手を引いたのだ。その秋、妻は余所で男を作り彼のも
とを去った。気づいた時には彼の手元に残ったのは焼肉店経営の失敗でできた
借金と銅色のメダル一枚だった。
 あれから20年か。彼はバックミラーにかかった銅メダルに目をやり、胸の中で
つぶやく。オレはあの頃、一年で500万ドル稼ぐ男だったんだ・・・