ヽ( ・∀・)ノ ウンコー のガイドライン

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89水先案名無い人
■■■「( ´∀`)<ぬるぽ」と「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー」 の比較 ■■■
   〜どちらが本当に自由な叫びの書き込みなのか?〜

「( ´∀`)<ぬるぽ」ももちろん悪くない。
しかし、それは「( ´∀`)<ぬるぽ」と言った人を
「ガッ」と叩いてくれる人がいてくれてこその「( ´∀`)<ぬるぽ」の真骨頂なのである。
すなわち、「( ´∀`)<ぬるぽ」は自分一人では自作自演でもしない限り 成立しないのである。
自作自演の「( ´∀`)<ぬるぽ」やスルーされてしまう「( ´∀`)<ぬるぽ」は
本当に満足をもたらす心からの叫びと言えるものなのだろうか? ここの部分を踏まえよく考えていただきたい。

そこでこの「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー 」なのである。 「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー 」を叫ぶのに相手はいらない。
自分一人いればそれで大丈夫なのである。 自作自演の必要もない。スルーされても関係ない。
ただひたすら自分の心の叫びを表現できるのは この「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー 」だけなのである。

疑うのならば自分で試してみるのが一番いい。 「( ´∀`)<ぬるぽ」と「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー 」
どちらが心が洗われるかを。
90水先案名無い人:04/02/18 05:20 ID:7qI6jthv
ヽ( ・∀・)ノ ウンコー  を叫んだ後には憎しみや悲しみ、 苦しさなどは残っていない。
ただひたすら自分の心の中に爽快感が漂うのである。
うんこを我慢してトイレに駆け込み、ようやく用を足せた時の あの体中を駆け巡る爽快感を思い出してほしい。
あれこそが性的興奮によるオルガズムをも凌駕する 人間の持つ最高の快感なのかもしれない。
ヽ( ・∀・)ノ ウンコー  はまさしくそれと同じ快感を肉体と精神にもたらしてくれるのである。
そう。ヽ( ・∀・)ノ ウンコー  こそがオルガズムをも超えた快感を もたらす唯一の叫びなのである。

日常に鬱屈された我々は今こそ心の底から叫ぶべきである。


              ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

                 と。
恥ずかしがることはない。
心の赴くままにヽ( ・∀・)ノ ウンコー と叫べばいいだけなのである。
91水先案名無い人:04/02/18 05:21 ID:7qI6jthv
中には「下品だな」とコメントする人もあることだろう。
このコメントは世間一般の感覚ならばむしろ「正常」と言えるものかもしれない。
しかし、それは自らが「汚いもの」「下品なもの」として「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー」の存在を
遮断し、目をそむけているからこそでてくるコメントなのである。

すなわち、自らの心の中に触れたくない、遮断したい、目をそむけたくない
といったものが存在していることの裏返しなのである。
日常生活の中では真の姿を隠し、覆いかぶせることによって自我を
確立させている人が大半であるかもしれない。
しかしその代償が鬱屈やストレスとして自らに返ってくるのである。

今ここで自分の遮断した心、精神を覗く意味でも
ヽ( ・∀・)ノ ウンコーと書き込む勇気を持ってみる気はないだろうか。
自らの心、精神を見つめなおし、開放するための前進といえよう。
そう、ヽ( ・∀・)ノ ウンコーと書き込んだ者は心、精神の開放に
向けて動き出した者なのである。
勇気をだして書き込んでみよう。

            ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

と。
92水先案名無い人:04/02/18 05:21 ID:7qI6jthv
■■■なぜ「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー」が皆のためにふさわしい書き込みであるのか■■■

例えばこれが「ヽ( ・∀・)ノ チンコー」や「ヽ( ・∀・)ノ マンコー」だとしよう。
「ヽ( ・∀・)ノ チンコー」や「ヽ( ・∀・)ノ マンコー」の場合はどうしても
その人のもつ性別の差というものが発生してしまう。
その差により「ヽ( ・∀・)ノ チンコー」や「ヽ( ・∀・)ノ マンコー」に嫌悪感を持つ人も
いることだろう。そういう意味では全ての人にふさわしい書き込みとは言えない。

しかし「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー」の場合は男性も女性も関係ない。
男性も女性も平等に排泄するものである。
また人間の男性や女性だけではない。動物、昆虫など
地球上のさまざまに生き物が平等に行う行為である。
すなわち、これは真の平等を表す言葉なのである。
ヽ( ・∀・)ノ ウンコーこそが差別や区別のない、本当に人々、
いや、地球上の生き物にとって平等な素晴らしい書き込みとも言えよう。

93水先案名無い人:04/02/18 10:04 ID:7qI6jthv
ではなぜ同様に平等な行為を表す「ヽ( ・∀・)ノ シッコー」ではダメなのか?
これも「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー」と同時に書きこんでみよう。
「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー」のもつ重量感に気付いてもらえただろうか?
この重量感はすなわち、存在感を表すものなのである。
「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー」と存在感を表す書き込みを自己責任で行うことこそ
自己の心を覆っている壁を破壊するにふさわしいのである。
流動的な「ヽ( ・∀・)ノ シッコー」では人によっては心の壁を破壊できないかもしれない。

それらのような点からも「ヽ( ・∀・)ノ ウンコー」がいかに素晴らしいかお分かりになっていただけたであろうか?
もし、これを見たあなたが何かを感じとってもらえたのなら是非心を開いて書き込んでほしい。

                   ヽ( ・∀・)ノ ウンコー

と。