捨道芸徒(シャドウゲイト)
話術や振り付けを駆使して人を笑わせる芸は、
太古の時代から中国に存在していたことがわかっている。
しかし、芸は同じものを繰り返していると次第に飽きられてしまい、
古い芸は新しい芸にとって替わられ、芸人の中には命や誇りを
粗末にしているのではないかと思うほどの過激な芸風で
新たなる笑いを誘おうとする者が現れるようになった。
野外で過酷な自然環境や猛獣に無鉄砲に挑むという芸を披露した
由沙(ゆうしゃ)という芸人もその一人で、彼は結局芸の道に命を
捨てることになってしまい、人々から「捨道芸徒」と呼ばれた。
ダメ勇者ことシャドウゲイトの「しんのゆうしゃ」も、彼の血を引くのかもしれない。
!
民明書房刊『漢たちの滅びの美学』より抜粋
あーっとここで
>>907をスルー!!!
r'::::::::i
トーf/__
\\/ イ| 、ヽ
\//〉 l_l i_ノ、
(_ニノ 〉____〉〉 〉
/ } / ,_-‐、
/\/,ー 'ヾ i"_Y 〈i
〈 </ / ゝ^-'"
.\i"ヽ、 \\ //
.ノ_ノ\iカ ,、
ノ_ソ ) ゝ
身上阿吉良(みじょうあきら)
周知の通り、古代中国にも戦国時代は存在した。
今は身分が上の者でも、ふとした事を契機にいつ身分が下の者に襲われ
「救命阿!!(訳:助けてくれ)」と叫ぶときが来るか分からない、そのような
状況を当時は「身上阿(ミジョウア)」と呼んだ。
時は流れ日本の元禄時代、有名な赤穂四十七士の討入り事件が起こ
る。半端に学をひけらかす者はそれを「身上阿吉良(吉良上野介が反逆さ
れた)」と言って大騒ぎをしたが、これは天下取りなどという性質のものではなく、
己の末路を度外視した自らが仕えた者への忠義であり、市民は四十七士の
衣装を真似て練り歩き、「大義名分、何と聞こえのいい言葉かーー!!」
と喝采したという。
民明書房刊 「武士道とはときめいて死ぬことと見つけたり」より抜粋
910 :
水先案名無い人:04/08/25 10:15 ID:70fwP6sc
「民明書房大全」発行決定記念カキコ
146 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:04/08/19 22:21 ID:153vL1uw
「夷袈面(イケメン)」
国宝。江戸時代の稀代の能面作者斯免祖ヶ衛門作。徳川美術館所蔵。
能曲「金剛不動」で高僧に呪いをかける物の怪「夷袈」の面。
演者の顔と一体化して仮面であることを感じさせないことをもって最高とする
能面にあって、この傑作は本当に使用者と完全に一体化した肉面となってしまい
無理にはがしたところ面の裏に肉がべったりと付いてしまったという
伝説が残っている。
演者が二目とは見られない化け物じみた顔になってしまったこの事件から、
夷袈面とは相手の容貌を蔑む最大級の罵倒語として使われるようなった。
現代でも、芸能人に対して嫉妬と呪いの感情を込めてイケメンと呼ぶことが
多々あるが、歴史的事実を知らない若年層の間では逆の意味に用いられることが
増えてきているとのことだ。言葉は変化する物といってもこれは明らかな誤用。
最近の若者の言葉の乱れは嘆かわしいことである。
民明書房刊「罵倒語大全集〜戦争を起こした言葉」より抜粋
913 :
水先案名無い人:04/08/25 22:37 ID:/tFdkegK
誰かパチスロのつくってください
他力本願は市ね。
>902
>出版社 集英社
惜しい…ここだけどうにかならなかったものか。
ムチャ言うなw
印刷:集英社
販売:民明書房
なんて、専用の販売会社つくれば可能だったはず
その昔コミケで、民明書房ってサークルが
「続・世界の怪拳・奇拳」なる同人誌を売って
いましたけどね。。。
>>彼は女性に触れるのを避けるため刃の付いた衣
なのにバイセクシャルとはこれ如何に
921 :
甜菜:04/08/31 22:43 ID:f0ZGdZJ0
379 :水先案名無い人 :04/08/30 02:10 ID:MdZocRqk
煩馬兵(ぼんばへい)
古代中国は春秋戦国時代、各国は勝利の為にさまざまな能力を持つ兵を育てていた。
その中でも斉の栄帝(えいてい)お抱えの歩兵部隊は特に強く、
忍者の隠密性と戦士の攻撃力があったと言われている。
最大の防衛戦であった青砂(せいさ)での合戦では
魏の騎馬兵を舞うような攻撃で翻弄し、敵軍から「馬より煩わしき兵」
すなわち「煩馬兵(ぼんばへい)」と呼ばれ恐れられたという。
国民は栄帝を衛武(えいぶ/守りに強いものの意)、また衛武斉栄帝と称えたが
栄帝の死後に理想を追った和平派が台頭したため内部で過激派とのせめぎ合いが起こり
その隙を突かれ滅ぼされてしまった。
これに関して、のちに俳人一茶が詠んだ
『大波に 流れ青砂(あおさ)の 煩馬兵』
という句が有名であり、ここから「力があるのに十分生かしきれない者」のことを
「煩馬兵」「青砂」と呼びあうようになったとされている。
(ただし、この句では青砂(せいさ)を青砂(あおさ)と読み間違えており
その間違いのまま民衆に伝わってしまったことも忘れてはならない)
現在、m.c.A・Tの「Bomb A Head!」と言う曲には「ボンバヘェ!」「アオーサー」や
「Go on! Go on! Soldiers go on!」などと言う掛け声があるが、
これらは栄帝の煩馬兵が由来であることは賢明な読者ならば察しがつくであろう。
しかし、これが使われている天上天下OPでの踊りや本編の闘いの描写は
煩馬兵の攻撃を参考にしているのかどうかは定かではない。
民明書房刊「唯が独占!天上天下ファンブック(上)」より抜粋
>921
あの民明書房がアニメのムック本出すとは、時代は変わったなぁw
相変わらず、無理矢理漢字当ててるだけだな・・・・
文句ばっかり垂れ流さずネタで勝負しろ。
というか、「無理やりでない」漢字の当て方があるなら
ちょっと教えてもらいたい。
中国語読みで作れとかはなしね。本家も中国語読みで作ってないし。
八弐参参壱刑泥異(82331けいでいい)
古代中国は春秋戦国時代、罪人が捕らえられる刑務所があったそうな。
そこの罪人ナンバ-82331は何につけても文句を言っていたそうな。
地面の泥の成分までに文句を言う姿から、八弐参参壱刑泥異と呼ばれ
恐れられたり馬鹿にされたそうな。
現在82331kDEというIDの漢がこのスレに文句を言っておるようじゃが
八弐参参壱刑泥異の生まれ変わりかもしれんのう
民明書房刊「おじいちゃんが語る豆知識」より抜粋
>>919はともかく
>>921あたりなら
まだうまく由来の説明をしているなぁと感じるが。
欧礼立流の押助するのはやめてほしいね。
というか、そもそも当て字って何のことかな?
少なくとも「民明・・・」と謳ってるスレなんだから、本家の民明から
あまりにも逸脱したようなネタはつまらない。
男塾ももちろん無理矢理な漢字を当ててるけど、許容範囲程度。
1つのネタの中であまりにも無理矢理な漢字が多すぎるネタを
読んでると、単なる珍走の文章を読んでるみたいな気になる。
930 :
水先案名無い人:04/09/05 02:44 ID:HI8ezltk
練才(れんさい)
日本がまだ戦国時代真っ只中であったころ、一部の武士達の間では集英(しゅうえい)流剣術という流派が広まっていた。
その剣術はただ実戦向けの技を追求することではなく、それを使う者の心身を極限まで鍛練することに
重きをおくという、当時としては異端の剣術であった。
この集英流独特の鍛錬方法「己の才を信じ、其れを極限まで練り上げる」、すなわち「錬才(れんさい)」は非常に辛く厳しい物で、
全てを修めるのに通常数年、時として二十年以上もかかることがあったというのだから驚きである。
が、非常に優れた者は錬才をわずか十週間程度で修めてしまうこともあり、その者達は
「敵を電光石火の速さで斬り、討ちとる程の腕を持つ」という意味で討斬(うちきり)と呼ばれ畏れ敬われた。
余談であるが東 祖若(あずま そわか)、病上 渡桐(やみがみ どきり)、道本空恩(みちもと あおん)、右馬沢 雷舞(うめざわ らいぶ)ら四人の
討切武士達は関ケ原の戦で一騎当千の活躍をしたと当時の文献に記されている。
( 民明書房刊 「武士達の辛く厳しい錬才生活」 より )
フッフフ
自作自演とはこれはこれは面妖な
自策自炎(じさくじえん)
古代中国の戦国時代からよく知られている戦略の一つに、放火によって敵の食料や補給物資を焼き、
戦力に大きな打撃を与える「火計」というものがある。
この火計は成功すれば高い効果があるが、風向きなどを計算に入れなければ失敗する恐れがある。
峡西相泥(きょうせいあいでぃ)の地において、久 兄朽(きゅう・にいきゅう)は、友軍に見せかけた
ハリボテの軍勢を自軍の2倍用意し、3倍の戦力があるように見せかけて敵を威嚇しようとした。
その上で敵に火計を仕掛けたのだが、久は風向きも何も考えずに作戦を実行したため、その炎は逆に
自軍が用意したハリボテを焼き、自軍の戦力を自ら暴露してしまっただけでなく、炎によって逃げ場を
失ってしまった。
自らの策によって自らを炎の中に追い込みかけた久は、それ以後「自策自炎の久兄朽」と蔑まれ、
二度と周囲の信用を得ることはできなかったと言う。
昨今、インターネットなどで自らの素性がバレないのを良いことに、自らの意見に自ら名を隠して
賛成し、あたかも賛同者が多くいるように見せかけるような行為を「自作自演」と呼び、自作自演を
行った者が信用を失っていくのは、久兄朽の故事に因んだものであることは明らかである。
民明書房刊 「昔の人の恥ずかしい秘密・古代中国編」より
>936
奥義:痔裂痔炎 って書いてあるのに生かせてない。
でもうまい。
「押忍!教官殿、新素麗と典夫麗はいかがいいたしましょう?
(ないとしても)そろそろ決めださないと多数の塾生が難民化するであります!」
「なんだかモーレツに悪い予感がするのう…」
夜通怪縷(やつける)
春秋時代の末期、呉の国にいたとされる妖怪。
夜、ある町人が人気のない通りを歩いていると、野盗の集団に襲われた。
応戦するも、数人に袋叩きにされ、町人は負けそうになった。
その時、どこからともなくこの妖怪が現れて、妖術で盗賊たちを倒したという。
町人が礼を言おうと近寄ったところ、妖怪は糸のように細くなり、消え去ってしまった。
このことから、夜に通りに現れる奇怪な縷ということで、
この妖怪は夜通怪縷と名付けられた。
ちなみに夜通怪縷は人間の男に近い顔で、目が虚ろで唇が厚く、
相手を威嚇するのに適した容貌だったという。
なお、「中国が負けそうになったら自分が出て行って日本をやっつける」と言った
中国人サポーターがいたが、彼が夜通怪縷の末裔である可能性は否定できない。
民明書房刊『呉の国は四面楚歌』より抜粋
とあるところから俺が手にした文献、音多我像・歩折駄によると
その妖術は幽波紋の術、名は「四面楚歌」と言うらしい
阿鼠破楚満疎(アソパソマソ)
古代中国の戦国時代、群雄が割拠した乱世において
楚国は他に抜きんでた国力をもって周囲に覇を唱えていた。
天下一統を狙う秦にとって楚の弱体化こそ急務であり、時の丞相呂不偉は
「士鼠与汚命裸(しねよおめいら)の計」を提言した。これは国中の鼠を集めて士の身分を与え
裸のまま敵国に放ち、汚命、即ち疫病を流行らせる策である。
秦王はこの提言を取り上げ直ちに実行した。
その効果のほどは凄まじく、たちまちにして楚の国力は疲弊し、ついには内乱を経て滅亡に至った。
この故事から、小さな鼠も楚を破り過疎で満たすことができるように、
自分では非力だと思っていても大事を成すことは可能である、
という例えとして「阿鼠破楚満疎」という言葉が生まれた。
しかし現在では匿名掲示板において暴走行為の自己弁護のために、
歪曲された用い方しかされていないのは語源を知る者として甚だ残念である。
民明書房刊「やなせは宮崎に勝てるか」
このスレで大全買ったヤシはいる?
雄臨(おりん)
雄臨牌求(おりんぱいきゅう)
紀元前13世紀頃、殷の時代においては、民衆の不満解消と
武芸の達人の発掘を兼ねて、「雄臨(おりん)」と呼ばれる
武術会が数年に一度、開かれていた。
雄臨がその他の武術会と一線を画した点は、
通常の武術会で行われていたような「塔難面闘(とうなんめんとう)」と
呼ばれる勝ち残り式の真剣勝負に加えて、
各人が鍛えた武術を披露しあって優勝者を決める「驚儀(きょうぎ)」が
存在したことであった。
驚儀では、馬術、走術、弓術の三大基礎武術があり、それを
1人ですべて行わねばならなかった。
優勝者には、青銅で作られた「賞牌」が授与された。
賞牌を受け取った者は、一生に渡り、優れた武芸者として
称えられたため、世の武芸者たちは、この牌を求めることに生涯を
費やしたという。
しかし、この雄臨は、王朝が殷から周に移り変わった時に廃止された。
なお、この雄臨が、雄臨牌求と名前が誤って西方に伝わり、
それが古代ギリシャにおいてオリンピックと呼ばれる競技会の開始に
繋がったことは、現代ではほとんど知られていない。
民明書房刊 「中国武術会大全」より
946 :
水先案名無い人:04/09/08 15:50 ID:5Eqj38At
首都来喜(しゅとらいき)
中国では国の中心的な都市を決める為に、たいそう苦労した事があった。
現在の首都は北京であるが、中華人民共和国の名称に決まった時には、まだ、首都は
決まっていなく、各地の人間が「俺の町を首都にしろ」と言って反乱がおきた。
暴力に訴える者もいれば、強盗などの盗みを繰り返す者も現れた。
しかし、北京の人間は、暴れずに血を流さずに北京を首都にしてもらえるような考えを起こした。
それは、労働を拒否する事によって国に損害を与える事だった。
もちろん税金が入らなくなり、国政を圧迫する事を危惧した皇帝は、首都を北京にすることを
決定した。そのとき北京はのものは「首都来期」(次の時代は北京が首都の意)
と言って、作戦の成功を祝った。
現在日本のプロ野球界では、ストライキ問題が世をにぎわせているが、「首都来期」が
語源なのは言うまでも無い。
(民明書房刊 『プロ野球の行方』より抜粋)
947 :
水先案名無い人:04/09/08 21:09 ID:1LNXvJxT
orz (オレゴンヒップホップ)
1990年代、アメリカのオレゴン州で始まった音楽のジャンルと
その文化的ムーブメントの事をミクスチャーした音楽として始まり、
音楽演奏と共に牛の糞を投げる。
テクノミュージックとカントリーミュージックパフォーマンスで有名になった。
「オレゴンテクノ」」と呼ばれたが、これを
アメリカのオレゴン州(Oregon)の略称ORからとって、
ORtechあるいはORsと自称するようになった。
その後、オレゴンテクノに影響を受けたラッパーたちが、
オレゴンテクノをヒップホップに取り入れたものがオレゴンヒップホップである。
ORsの「s」をヒップホップ風の「z」に置き換えて
「ORz」あるいは「orz」と自称する。
なおインターネット内でも「orz」が使われていることがあるが、
これは言葉の意味だけでなく、当時のライブで牛の糞を投げられた観客の多くが、その臭気の余り「orz」のような形をとって会場内で嘔吐いていたことに由来する。
牛の糞を投げられる機会の少なくなった現代社会においては、「orz」を落胆している様子に見立てて表すようになったのである。
(民明書房刊 『音楽と現代文化』より抜粋)
318 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:04/09/09 05:02 ID:i8pSCTki
画異人 世小間(がいじん よんこま)
世小間とは平安時代、渡来人の芸術家の李居陀(りいだ)が
中国の凱慈院という寺の教えを元に描いたとされる絵。
その絵は4つに区切られていてそれは「生・育・老・死」という自然の摂理に
時には喜び時には悲しむといった人々を表現していた。
面白いことにそこに登場する人々は異国人のようにも見えた。
それは彼自身が異国の民だったからではと言われている。
そのため後にそれらの絵は画異人世小間と呼ばれることとなる。
4コマ漫画というものがあるがこれは世小間を参考にしたものであることは言うまでもないだろう。
現在、インターネット上で外人の画像を使った4コマ作品が多く見られるが
現代における画異人世小間と言ってもいいだろう。
民明書房刊「古代芸術大全」より
寧珂摩・・・
中国宋代、寧珂摩という殺人鬼が巷を騒がせた
寧珂摩は武術の有段者達に、女伊瑠(メ・イル)、
千伊耶亜杜(チイ・ヤアト)等、女性の偽名を使い
男たちに手紙を出しては墺府(オウフ)に誘い出し
殺していたという。事態を重く見た朝廷は天下無双の英雄
雄智爺(オウ・チヤ)に寧珂摩の討伐を依頼した
雄智爺は私兵部隊を引き連れ墺府にて寧珂摩を撃退した
これを墺府之会という。
今日インターネット社会に存在するネカマの語源が
寧珂摩である事は明らかである
尚、寧珂摩が王珂摩の弟子だった事が近年明らかになった。
因みにメール、チャット、オフ会、ウォッチャーという
言葉が、この事件と関係しているかどうかは定かではない。
(民明書房刊『中国殺人事件大全』)
なんだろう
なにかがちがう
そりゃ当然。
オリジナルは何のもじりでも何でもない下を噛みそうな名前の奥義を出してきて、
それの解説の中に何かをもじった名前の達人や開祖が出てくるのが基本。
近年は奥義自体がもじりだったりもするが。トリプルアクセルとか。
馬路道程(まじどうてい)
古代中国において、馬は大切な移動・輸送の手段であった。この時代、
馬の通り道は非常に重要なものとされ、その創設には多大な労力が支払われた。
この道を馬路道程という。
その馬路道程作りの第一人者が己喪伊賀瑠頭(きも・いがるず)であった。彼は馬路道程作りに
人生を懸け、そのせいで生涯女人と交わることがなかったという。その様を女人達は嘲笑った。
現代の某巨大掲示板において、「マジ童貞!?」という言葉が生まれたことと、その言を操るのが
「キモーイガールズ」であるということには、密接な関係があるのは明白である。
(民明書房刊『童貞達の道程』)
>>953 ちょっとうまい。ナイス
ってか500KBオーバーしますよ、次スレどうする?
orz (オレゴンヒップホップ)
1990年代、アメリカのオレゴン州で始まった音楽のジャンルと
その文化的ムーブメントの事をミクスチャーした音楽として始まり、
音楽演奏と共に牛の糞を投げる。
テクノミュージックとカントリーミュージックパフォーマンスで有名になった。
「オレゴンテクノ」」と呼ばれたが、これを
アメリカのオレゴン州(Oregon)の略称ORからとって、
ORtechあるいはORsと自称するようになった。
その後、オレゴンテクノに影響を受けたラッパーたちが、
オレゴンテクノをヒップホップに取り入れたものがオレゴンヒップホップである。
ORsの「s」をヒップホップ風の「z」に置き換えて
「ORz」あるいは「orz」と自称する。
なおインターネット内でも「orz」が使われていることがあるが、
これは言葉の意味だけでなく、当時のライブで牛の糞を投げられた観客の多くが、その臭気の余り「orz」のような形をとって会場内で嘔吐いていたことに由来する。
牛の糞を投げられる機会の少なくなった現代社会においては、「orz」を落胆している様子に見立てて表すようになったのである。
(民明書房刊 『音楽と現代文化』より抜粋)