民明書房刊 DNAに刻まれた中國のガイドライン

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37水先案名無い人
背苦臼(せくうす)

古代中国は三国時代、この動乱の時代において国の歴史を記すことは並大抵のことではない。
それは魏の国においても同様で、編さんが平安無事に済むようにと、史書編さん室は安庵(あんあん)
と名づけられたほどだ。その中で当代随一の学者が史書を編んだわけである。それはまさしく
艱難辛苦を極めたため、時の皇帝は歴史学者が逃亡しないように門番を置いた。
そんな半ば幽閉状態の中で、学者は「魏志倭人伝」など後世に残る偉大な業績を残したのだ。
しかし学者は長時間に及ぶデスクワークのために、背骨が曲がって臼のように凹む奇病にかかり
大変苦しむようになった。「背苦臼」と呼ばれるその病気にかかっても学者は執念で史書の編さんを
続けたが、その苦しみの声は聞くに堪えず、門番は気が違いそうになるほどだったという。そして
壁の向こうから夜な夜な「魏志…魏志…」という幽霊のような声が聞こえてくるに及んで、獨緒(どくお)
という名の門番役人はとうとう首をつってしまった。

現代の若者がセクースの「ギシギシ アンアン」という声で首をつりたくなる衝動に駆られるのは、
彼らが獨緒の遺伝子を受け継いでいるからに他ならない。
( 民明書房刊 「魏志・魏志安庵 耗貯補(もうだめぽ)の巻」 より )