438 名前:淀殿の日記 投稿日:03/05/25 (日) 21:28
そのうち子供たちが居城生活に飽きはじめ、関ヶ原浪人たちをちょろちょろ城内で走り回らせて遊んでいて私たちも帰らせようか…と荷物をまとめさせ始めたとき、秀頼が
「さっき徳川家に対する態度が悪いって言ってた」というので大野治長と目くばせをして
「誰が?」と聞くと
「家老の人」とのこと。
秀頼の手を引っ張り、二の丸に出て「どの人だった?」と聞くと私の様子がおかしいと気づいたのか「賤ヶ岳七本槍の勲功のある人だけどよく覚えてない」と言いました。
「はっきり言いなさい!」と言うと泣きそうになりながら片桐且元を指差しました。その人のところへ行って
「お前、うちの子たちが浪人を集めてるのを見て徳川家に対する態度がどうとか言ったんだって?」と言うと
「いえ、言ってません」というので秀頼に
「こいつなんでしょ?」と聞くと目をこすりながら
「わかんない」と、怒られたときのようにしゅんとしてしまいました。
木村重成たちも奥の館から出て来て、「どうしました?」と言うので説明すると「なにぃ?」と飛んできて「秀頼殿付側近全員並べろ!!」と大騒ぎ。
もう一度秀頼のそばに行き「豊臣家のためにもきちんと言わないといけないからこの中の誰が言ったのかちゃんと言いなさい」と説得したらやはりその人だと言いました。
頭をなでながら「先に戻っていなさい」と本丸に帰し、そいつの胸ぐらをつかんで
「やっぱりテメーが言ったんじゃねーか!!」と言うと「すいません!!」と蚊の鳴きそうな声を出していました。
殴ろうと思ったら木村重成が横からやってきてボカッ!バコッ!!
少しすると大野治長も出てきてまたもやバキッ!ボカッ!バコッ!!
「アタシらが徳川への態度の悪い親子だよ!!」と言うと「すいません、すいません!!」と泣きそうな顔で謝り、ガタガタ震えていました。
殴る大野治長の手を止めようとする織田信雄の手を押さえ、「豊臣家のためだよ」とワタシが言うとすんなり手を引っ込めたということは殴られても仕方がないなと信雄も思ったのでしょう。