1 :
水先案名無い浪人:
元禄十四年(1701)三月十四日
天気花曇り南風
江戸城
勅使、院使の帰洛の挨拶
将軍が本丸白書院で奉答の儀式の日
後世に知られているのは、松の廊下での刃傷事件である。
2 :
水先案名無い浪人:02/05/16 02:13 ID:2RxICWf7
吉良、キラレター。こんなノリで。
3 :
水先案名無い人:02/05/16 02:41 ID:2KlmgQ+Z
意味わからん
4 :
水先案名無い浪人:02/05/16 03:07 ID:2RxICWf7
>3はまっこと世間知らずよのう。この田舎侍が。フハフハハハハァハァ。
独り善がりなスレを立てるのは辞めましょう。
6 :
水先案名無い人:02/05/16 03:39 ID:Pu6I4OwC
1の文をテンプレになにか珍文作ればいいの?
7 :
水先案名無い浪人:02/05/16 12:13 ID:qWQo9Mws
このたわけ者が!!教えを請いたいのならもっと頭を低くして
地面にはいつくばってお願いをされるがよかろう。
ほんに貴様はダボハゼ以下の鮒侍よのう。
鮒じゃ、鮒じゃ、鮒侍じゃ。
9 :
水先案名無い浪人:02/05/16 16:53 ID:1GcK8k2s
>>8のような輩は味噌汁で顔でもあろうてこられるがよかろう。
ならば教えて進ぜよう。
ほれ、土下座でもせい。
鮒又は雑魚以下の川魚には海の物下とすべからず」と あり、
ダボハゼでも海の魚ならフナより上物としているのじゃわ。
田舎者はくさいよのう。くさい、くさい。
10 :
水先案名無い浪人:02/05/17 00:34 ID:np4d7Or6
それで浅野がぶち切れですよ。
あのな、忠臣蔵なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
12 :
水先案名無い人:02/05/17 14:05 ID:xHPjHHCq
切腹通の俺から言わせてもらえば今、切腹通の間での最新流行はやっぱり、
勇者の切腹、これだね。
腹を十文字に切り裂き、中へ手を入れて大小腸をつかみ出し、
地面に叩きつけて死ぬ。これが通のやり方。
13 :
水先案名無い浪人:02/05/17 14:34 ID:qLF9jefS
>>12は笑止千万、いうてみるだけなら誰にでも出来るわ。
おぬしが通というならば、どうじゃ、その場で腹きってみせい。
みごとにやってのけたならそなたを勇者と認めようが、できまいのう。
できるはずもなかろうて。
フハハハハ、通でないおぬしにそんな勇気があろうはずもないわ。
腹切ってみせい。はようみたいものじゃ。
どうした、はようできぬか、この腰抜けが。
痛いから嫌。おまえがすれ。
15 :
水先案名無い浪人:02/05/18 22:01 ID:LcWx9TAv
ttp://www.fsinet.or.jp/~fight/illust/main/12_14.htm/参考/ 吉良上野介義央[きら-こうずけのすけ-よしなか(または“よしひさ”) 1641-1702]。
高家筆頭四千二百石。万石未満の旗本ながらも、官位は従四位上(浅野内匠頭は従五位下)。
『忠臣蔵』のおかげで「日本一悪いヤツ」にされてしまった人。
日本で『忠臣蔵』がウケないのは、三河吉良庄(現在の愛知県幡州郡吉良町)と
米沢(上野介の長男が養子として入った上杉家のお膝元)だけだという。吉良町では当時から現在に至るまで
吉良上野介義央は名君として慕われており、『忠臣蔵』に対して疑問が提出された戦後には、さらに再評価された。
いわく、洪水に苦しむ領民たちのために一夜で「黄金堤」を築いた…、妻の富子の眼病回復祈願として
「富好新田」を拓いた…、吉良庄に立ち寄ると赤毛の馬にまたがって領内を巡視し人々と親しげに語り合った…
などである。吉良町には「赤馬」という郷土玩具があり、華蔵寺の墓の横の立て札には
「義冬公 子 哀しき名君 高家 吉良上野介義央公」の文字が記されている。
これに対して、吉良上野介に対する世間の評判は非常に厳しい。浅野内匠頭に対する直接の嫌がらせのエピソード以外でも、
上野介から指導を受けたことのある大名が刃傷事件前の内匠頭に「吉良は傲慢だから辛抱するように」
と忠告したという話がいくつかあるし(内匠頭自身が以前指導を受けたのだから吉良の性格は知っていた思うが…)、
三年前にやはり勅使饗応役を務めた津和野藩主の亀井茲親[かめい-これちか]が怒って上野介を斬ろうと謀ったが
家老が吉良に賄賂を贈って穏便に済ませたという話、そして吉良が親戚の津軽公の家で御馳走された際に
「おかずは良いが、飯がまずい」と放言したという話…。
どれも嘘臭いが、こんな話が作られるくらい、江戸城内の大名旗本連中にきらわれていた、
少なくとも好かれてはいなかったことは確かではないだろうか。吉良家は足利家の庶流で、
室町時代には「公方[くぼう]絶ゆれば吉良継ぐ、吉良絶ゆたれば今川継ぐ」と謳われたほどの名家であり、
徳川家との縁も深い(系図を徳川家に貸したという話もある)。
自然、今は小身の旗本なれども多くの大名よりも家柄は良い…との思いから頭も高くなるだろう。
領内の温厚な顔とは対照的に、他の武士に対しては傲慢不遜の念を抱かせたことは想像に難くない。
少なくとも謙譲の人というイメージは与えなかっただろう。
また、池波正太郎は「自分の国は誰だってかわいがる。いまの政治家や実業家でも、
悪いことをさんざんしている奴が、家に帰るといいパパであり夫である。自分の領地は可愛がらねば、
自分の収入がなくなっちゃうんですから、当然のことです」と言う。
「黄金堤」も吉良庄に都合の良いように作ったので、隣国に迷惑をかけたという話もある。
どうやら、内にやさしく外に厳しいという人だったと言えるかもしれない。
浅野側の赤穂では赤穂浅野家が断絶になったとき領民が餅をついて祝ったという話が伝えられていたり、
現在でも大石内蔵助は神格化されているのに対して浅野内匠頭はほとんど忘れられているという事実、
そして上野介の手当をした栗崎道有が傷の完治後にも往診を続け、
赤穂浪士に斬られた上野介の首と胴体を縫い合わせ、さらには上野介と同じ寺に葬られたという事実を考え合わせると、
さらに含蓄があるだろう。
16 :
水先案名無い浪人:02/05/18 22:23 ID:4R2a5ycm
文章が長くて、難しい漢字があったりして読めぬであろう。
おぬしの頭の程度ではそんなものかと存ずる。
アホかと。馬鹿かと。包茎野郎と。くさいチンポよのう。
>11はくさいよのう。くさい、くさい。
17 :
水先案名無い浪人:02/05/24 01:58 ID:I+nBP1sw
1701年播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩はこの年、京の朝廷からの使者を接待する御馳走役として仕え、
日頃から高家として指導の立場にあった吉良上野介義央から指南を受けるのです。
しかし賂などの不正を嫌う性格の為に折り合いがつかず、田舎侍と馬鹿にされ、数々の嫌がらせを受けてきますが、
その代表的なお話が増上寺の畳替え事件(フィクション)や、伝奏屋敷の「勅使のお居間に墨絵の屏風とは不吉千万、
無礼であろう」と恥をかかせた屏風替え事件(フィクション)でしょうか。話題の伝奏屋敷は大手門外の龍ノ口近くで、
屋敷跡は丸の内新丸ビルの北隣になり、今は建築中ですが永楽ビルと日本興業クラブビルが建っていた場所です。
18 :
水先案名無い浪人:02/05/24 02:02 ID:I+nBP1sw
フィクション,フィクション。浅野の奴がわしの悪口でもゆうておるに違いないわ。
その様なことよりも壱よ、ちとお耳を拝借。すれと縁無きことなれども。
この度、拙者が江戸城に出城した折のことで御座る。松の廊下。
何か騒がしきことあり、一向に前に進めず。
何事かと思い見ゆれば赤穂藩主浅野内匠頭、吉良上野介に斬り付け候。
最早、阿呆奴がと。馬鹿奴がと。
そなたたち、刃傷事件ごときで松の廊下を占拠するとは一体何事か。
刃傷事件なり、刃傷事件。
何やら家老や御家人も打ち出で、一城総出で物見遊山で御座るか、まことに目出度きことなり。
「吉良上野介覚悟!」などと叫びしは正視に耐えず。
そなたたち、介錯し申し上げるから切腹せよと。
そも松の廊下とは本来閑散としているべき物なり。
擦れ違う隣国藩主との目だけで気まずき礼、
次の参勤交代は拙者か否か、その様な雰囲気こそ松の廊下の真髄。
火事と喧嘩と江戸の花は引っ込んでおれ。
して、漸く通れたと胸をなでおろし奉りし折、どこぞの芋侍が「殿中で御座る」とのたまいし。
そこでまたしても我が怒髪天を衝くが如きに候。
この時勢殿中などすでに過去の遺物なり。
したり顔して何が「殿中で御座る」か。恥を知れ恥を。
そなたは本当に殿中で御座ると叫びたいのかと問いたい。問い詰めたい。半刻弱ほど問い詰めたい。
ただ単にどさくさに紛れて歴史に残る言葉を言いたいだけなのではないかと。
江戸城中の先達である拙者に言わせれば、斯様な如き事態の適切な判断はやはり、
討ち入り。
これなり。
雪の降る吉良邸に陣太鼓を鳴らし討ち入り。これでござる。
して、見事仇を討ち果たし凱旋。これぞ武士道。
されどこれは切腹を覚悟の上でやらねばならぬ諸刃の刀。
未熟者には百年早いわ。
まあ壱の如き若輩者には、昼行灯で敵の目を欺くが関の山なり。
20 :
水先案名無い浪人:02/05/24 22:30 ID:+KTwZwai
どこぞのアホが>19のような駄文を張り付けおって。
井原西鶴や近松門左衛門の遠く足元にも及ばんわ、痴れ者が。
半刻弱ほど詰問してやろうかのう。
第一、江戸城中で刀を抜くこと自体が狂気の沙汰、もしそんなことをすれば
お家断絶、領地は没収、自身は切腹とご法度に定められておるのじゃわ。
21 :
水先案名無い人:02/05/24 22:51 ID:Vir+opRt
なんで、日本史板ではなくガイドラインなのかと問いたい。
正直どうからんだらいいのかわからんのだが。
23 :
水先案名無い人:02/05/24 23:03 ID:ILwEH3sS
浅野タクミノカミはおじさんも同僚を殺して切腹させられてる。
キチガイドキュソの家系。
24 :
水先案名無い浪人:02/05/26 15:13 ID:FhUj1MhZ
◇ 江戸城三大刃傷事件 楠山永雄/歴史・伝説・民話を歩く/参考/
浅野内匠頭(タクミノカミ)の刃傷以外にも事件はあった。
寛永5年(1628)、突如、降って湧いたような大事件が起こった。
豊島明重が江戸城内で老中・井上主計守を殺害したのである。
あらましは、今をときめく老中・井上家の長男と、大坂町奉行・島田家の娘の縁談であった。
仲人の労をとったのは明重である。
ところが、いよいよ婚儀の日が近づいたとき、井上家側から今回の話は無かったことにする、
と一方的に破談を申し入れてきた。しかも、井上家では山形の22万石の大名・鳥居家の娘を迎えるというのだ。
仲人として面目は丸つぶれとなり、納まらないのは明重である。明重は、武士としてあるまじき井上の二枚舌と、
将軍の威光を傘に「上意」をかざす理不尽な横やりに激昂した。そして、或る決意を固め、
運命の時が訪れる。8月10日、明重は西の丸殿中で井上に出会うや「武士に二言はない筈だ!」
と絶叫し一気に井上を切り伏せた。
城内はたちまち大混乱となる。小姓役の青木忠精が明重を後ろから
羽交いじめにして抑える。「放せ、邪魔だてするな」。青木は必死にしがみつく。
明重は、もはやこれまでと太刀を逆手に持ちかえ自分の腹を刺し貫いた。
後ろから抱き止めていた青木も田楽刺しにされ、両人はその場に倒れまもなく絶命した。
殿中での刃傷沙汰が厳しい御法度<ごはっと>であることは言うまでもない。
刀の鯉口<こいくち>を三寸抜いただけで、その身は切腹、家名断絶というきつい掟である。
明重はそれを取り締まる立場の目付役であった。しかも殺害した相手が遠州5万2千石の
老中・井上主計守であれば、よほどの覚悟があったはずだ。50歳という分別ざかりであった。
「武士に二言はない」と叫び、武士道をつらぬいた明重の生きざまであろうか。
江戸城内での刃傷といえば、この豊島事件から56年後に若年寄・稲葉石見守が、
大老の 堀田筑前守を殺害した事件。さらに17年経った元禄14年(1701)、ご存知の
浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた松の廊下事件がある。
明重の事件は、「江戸城三大刃傷事件」と呼ばれる中で、実に最初の事件だったのである。
浅野は相手を殺すことに失敗したので、あだ討ちが行われたのであった。
つまり、相手を殺そうとして切りつけたのではなくカッとして、われを忘れて
斬りつけたのではなかろうか。
25 :
水先案名無い浪人:02/05/27 14:21 ID:dc8qba4d
>22はからまんでも良いわ。長屋住まいのおぬしは、てきとうな紐でも
みつくろって梁にでもかけ、電気箱の回線切ってから踏み台にのって、
心でくれると助かるがのう。逝ってよしとでもいうのじゃったかのう。
】■アイシールド21■11th down
1 名前:ガッデム 02/09/23 20:26 ID:z4MYcCS/
ノヽ
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ヽ ヽ、__, ノ:::;r'
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ノヽ
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/'"`''''--::;;:::::::::::::::::::::!, ▲みんな仲良くしてね
!/ `ヽ::::::::::::::::i ▲ネタバレは月曜0時から
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ヽ ヽ、__, ノ:::;r'
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■アイシールド21■11th down
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ご、ごめんなさい
42 :
山崎渉:
(^^)