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水先案名無い人:
その様なことよりも壱よ、ちとお耳を拝借。すれと縁無きことなれども。
この度、拙者が江戸面に出仕した折のことで御座る。能楽堂にて
何か騒がしきことあり、一向に前に進めず。
何事かと思い見ゆれば和泉流宗家家某(自称)、作り物を舞台中央に据え置き候。
最早、阿呆奴がと。馬鹿奴がと。
そなたら、船弁慶ごときで場所を違えるとは一体何事か。
前代未聞なり、前代未聞。
何やらシテ方囃子方も打ち出で、一堂総出で物見遊山で御座る。まことに由々しき事態なり。
「我が流はかくのごとし!」などと叫びしは正視に耐えず。
そなたら、介錯し申し上げるから切腹せよと。
そも能楽堂とは本来閑散としているべき物なり。
擦れ違うシテ方との目だけで気まずき礼、
次の間狂言は拙者か否か、その様な雰囲気こそ能楽堂の真髄。
萌え萌えと京都子は引っ込んでおれ。
して、漸く通れたと胸をなでおろし奉りし折、どこぞの販売員が「狂言で御座る」とのたまいし。
そこでまたしても我が怒髪天を衝くが如きに候。
この時勢書店などではすでに過去の遺物なり。
したり顔して何が「狂言で御座る」か。恥を知れ恥を。
そなたは本当に狂言で御座るが面白いかと問いたい。問い詰めたい。半刻弱ほど問い詰めたい。
ただどさくさに紛れて在庫整理し利益を生みたいのみではないかと。
見所の先達である拙者に言わせれば、斯様な如き事態の適切な判断はやはり、
三番叟。
これなり。
別火したる清浄の身に翁の面付け足踏み鳴らし揉みの段。これでござる。
して、見事踏み抜き豊年を言祝ぐ。これぞ狂言方。
されどこれは辛辣なる批評を覚悟の上で披かねばならぬ諸刃の刃。
未熟者には百年早いわ。
まあ和泉某の如き若輩者には、遅刻した上の盆山が関の山なり。