プロジェクトXのガイドライン

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16水先案名無い人
吉野家へ、行った。
大勢の客で混雑していた。座れなかった。
よく見ると、垂れ幕が下がっていた。
「150円引き」と、書いてあった。

「アホか」「馬鹿か」、そんな言葉が頭をよぎった。
そして、お前達、たかが150円引きで吉野家に来るな、と思った。

親子連れも、いた。
一家4人で吉野家、おめでたかった。
父親が「特盛頼んじゃうぞ」といった。もう、見ていられなかった。

思わず、「150円やるからその席空けろ」、叫びそうになった。

吉野家は、もっと殺伐としているべきであるという、信念が、あった。
向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がよかった。
女子供はすっこんでろ、偽らざる本心だった。

そして、ようやく、座れた。
そのとき、隣の男が、大盛つゆだくで、といった。
切れた。もう、限界だった。

つゆだくなんてきょうび流行らない、得意げな顔で何がつゆだくだ、
怒りが込み上げた。
本当につゆだくを食いたいのか、問いたかった。
問い詰めたかった。小一時間、問い詰めたかった。
つゆだくと、言いたいだけではないのか、と。

吉野家通の間での最新流行は、ねぎだく、だった。
通の頼み方、大盛りねぎだくギョク。

ねぎだくは、ねぎが多めに入っていた。そのかわり、肉は少なめだった。
そして、大盛りギョク。これが、最強だった。

しかし、これを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴った。
諸刃の剣、だった。
とても素人に薦められるものでは、なかった。

素人は牛鮭定食でも食っていろ、プロジェクトを率いた男の、最後の言葉だった。
17水先案名無い人:01/12/22 02:04 ID:bWUaaCSF
<国井アナ>
牛鮭定食でも食っていろ!と言われた時、どんなお気持ちでした?
<客A>
自分はまだまだ...だと思いましたね。だけど、そういう言葉を無駄にせずに
「最強の吉野家の客」に1歩でも近づかねば。と痛切に感じました
<クボジュン>
それでは、その後のプロジェクトです
18水先案名無い人:01/12/22 02:04 ID:bWUaaCSF
失意の元に吉野家を去った、Xさん。
街にはいつも、ファーストフード店を見回るXさんの姿があった。
(映像:家庭用ビデオカメラで撮影された松屋店内)
そんなある日、突然倒れ、帰らぬ人となった。
狂牛病だった。

Xさんの言葉を聞いた、>1さん。
感銘を受けた。
吉野家の奥深さに、魅せられた。
自分の立てたスレッドが、急に色あせて見えた。
毎日、吉野家に通うようになった。

特盛を頼んだ、お父さん。
食べきれず、残した。悔しかった。
自分が信じられなくなった。
酒を飲み、荒れた。
家族の幸せを願って、家を出た。
新宿の公園で新しい生活を始めた。
今も、あの時の牛丼の味を覚えている。

牛鮭定食を勧められた、隣の客さん。
本部のブラックリストにも一目置かれる、最強の常連となった。
出張先の吉野家で、Xさんの訃報を聞いた。
遺志を継いでみせます。そう、誓った。
今日も、Xさんの残した仕事を続けている。
19水先案名無い人:01/12/22 02:19 ID:bWUaaCSF
『牛鮭定食でも食べていろ』と言われた隣の客さん。
病に伏せるまで全国の吉野家を渡り歩き、1000を越える現場で
客の注文法をノートに書き綴った。その数、12冊。
家族に看取られながら最後に呟いた言葉
「つゆだく。という言葉は、広辞苑に載っているか?」

特盛りを頼んだ、お父さん。
反発してきた息子、成人式のアンケートの「尊敬する人」という設問に
父の名を、挙げた。
「特盛りをたのんだお父さんは、つよい」
家の居間には、今でも当時の作文が掲げられている。


〜今日も日本の街で、橙色の明かりは人々を包みこんでいる…
20水先案名無い人:01/12/22 02:20 ID:bWUaaCSF
お父さんには、肌身離さず大切にしているお守りが、ある。
その中には、あの日、押しつけられる様に渡された二枚の硬貨、150円が入っている。
(お父さんの台詞)
あの人の吉野家に賭ける意気込み全てを、私にくれた。って思ってますから
一生、お金、というのじゃなく、宝物としてずっと使わず持っていたいですね。


「おあとぉ、大盛りねぎだく・ギョク入りますっ!」
今でも、全国の吉野家では、この注文を想定した訓練が週に一度行なわれている。